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2014年03月27日19:10

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実は経世済民≒GNH?

 私が思うに、GDPが上昇しても国民が豊かになるとは限りません。例えばいざなみ景気のように、GDPは上がっていても、物価と平均所得が下落し、非正規割合が増えていくようなのは不幸であり、それは三橋先生の言う経世済民とは違う政策ではないでしょうかと思います。恐らくここまでは、三橋塾生に異論はないかと思います。
 次に、恐らくGDPが減少する場合は、ほとんど例外なく国民の豊かさや幸福感も比例して減少すると思われます。これも恐らく三橋塾生に異論はないかと思います。理屈は後述します。(※)

 すなわち、上記に異論なければ、 GDP成長しても幸せとは限らない と GDPが減少したら不幸だ は矛盾しないという事になります。


 前々からこのように思っていたのですが、それを裏付けるような記述を、「ブータンこれでいいのだ」という本の中に見つけました。興味深い内容なので引用します。

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 ブータンのGNHについては日本では、多少誤解されている事もあるように感じます。例えば「ブータンは、社会経済発展や近代化をしないで、昔ながらの生活を守ろうとしているんだよね」「ブータンはGDPの向上を目指した政治に反対して、GNHという概念を作ったんだよね」(中略)
 GNHを掲げた政治は、決して社会経済発展に反対している訳ではありません。ただ、ここで重要なのは、ブータンの国づくりが目指すものは、国民の幸福であって、社会経済発展はそれを実現する為の一要素に過ぎない、という点です。(中略)
 ティレン首相はよく言います。「ブータンは、人々の幸せを一番に考えた政治をする。そして、社会経済発展というのは、その一つの要素(中略)私達は、GNHを、GDPに対立する概念だとは思っていない」

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 このように、GDP成長という政策も、GNHの概念に含まれているのです。

 さて、もしこれを知ったならば、とある98万人の東京都民はある事に気付かなければなりません。そう、細川氏が語った「日本は成熟社会でありもう経済成長しない。経済成長に変わる新たな幸福社会の実現を検討せねばならない」というのは詭弁どころではない大きな間違いであるという事です。

 細川氏の上記の発言(正確な文言ではないですが大体あんな感じな事言ってた記憶が)は、日本人にはあたかもGNHの理念のように聞こえます。 ですが、引用部のように日本人はGNHを誤解しており、GDP成長もGNHの概念に含まれています。 日本が経済成長しないと言った事自体も間違いでありますが、GNH理念の理解に関しても間違っているのです。

 さて、GNHについて更に説明すると、GNH思想は以下の4つを柱としています。

1持続可能で公正な社会経済発展(Sustainable and Equitable Socio-Economic Develpment)

2自然環境の保全(Conservation of the Environment)

3文化の維持・促進(Preservation and Promotion of Culture)

4よいガバナンス(Good Governance)


 これに対し、経世済民の定義はなんでしょう?

 「経済」とはそもそも、明治時代に「エコノミーを何と翻訳するか?」と考えた結果、経世済民から二文字をとってエコノミーの日本語とされてきました。
 では経世済民=経済=エコノミーなのでしょうか? しかし、どうにも違和感があります。 「エコノミー」はなんとなく、GDPそのものを言い表す単語でしかないような気がするのです。
 という訳で エコノミー でググッてみますと、 経済 理財 節約 とでてきます。
 しかし、経世済民 でググッてみますと、案の定でした。ウィキペディアより引用します。

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 略して「經濟」(経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指示する語であった。

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 やはりと言いますか、少なくともウィキペディアを根拠とする限りは、エコノミーは経世済民とは定義が違う、という事になります。明治初期にはエコノミーに該当する概念が日本になかった為、しかたなく経世済民→経済が訳語という事で当てはめられたのでしょう。

 それはさておき、では、経世済民とは、GNH理念に限りなく近いのではないでしょうか? 少なくとも、単純にGDPを指す単語ではないのですから、4本柱の内 1持続可能で公正な社会エコノミー発展 4良いガバナンス の2つは当てはまります。
 残り2つはどうでしょうか?
 土木チャンネルにおいて、藤井先生が「築土構木も経世済民の中に含まれる」という事を仰っていたような記憶があります。 恐らくですが、自然環境の保全、も築土構木という活動に含まれるのではないでしょうか、多分。
 文化の維持、促進、については、例えば伝統工芸品も作って売れば経済活動ですし、そういった文化を残そうと国が支援すれば経済政策ですから、これも経世済民の中にあると言えるのではないでしょうか。
 という訳で、三橋先生が仰るような経世済民の定義はGNH理念に極めて近い、と考えていいかも知れません。

 異論なければ、これで エコノミー≠経世済民≒GNH理念 という図式ができます。
 


 勿論、日本とブータンでは国の規模が違いすぎるので、ブータンが素晴らしいといって政治においてブータンの真似をするなんて事は到底不可能です。

 とはいえ、参考にすべき点は多々あります。

 ブータンには持続可能性を保つ為の規制が多々あります。例えば、ブータンの重要産業である観光にすら、何かと強い規制が掛かっています。これは、重要産業だからこそ、短期的利益を追求して莫大な観光客を受け入れてしまうと、観光資源の品質(景観や寺院の衛生など)が維持できなくなり、長期的には需要を失う恐れがある、との考えに基いています。 まさに新自由主義が見落としがちな観点ですね。もしもブータンがユーロ加盟国だったらと思うとゾッとします(笑)

 日々西田参議院議員が国会で訴えておられるように、「長期的視野」は非常に重要です。対して新自由主義は、短期的視野に囚われすぎているように思います。
 日本で言えば、公共事業費の増額は長期的コミットをしなければ、土建産業が十分な人材育成を行わないでしょう。
 もっと先のブータンの観光規制に近い例を言うならば、日本の漁業には一時的に何かしらの規制をした方がいいかも知れません。日本では年々漁獲量が落ち、漁獲量が落ちているが為に稚魚まで獲っていて余計に来年の漁獲量が落ちるという状況に陥っています。福島の海なんかは、3年漁をしなかっただけで今もの凄い量の魚が居ます。そこから考えれば、短期的に少し規制を敷くだけで、長期的には却って漁業に活気が戻るという利益が得られると見込めます。(漁獲制限中には漁業への補助金と一時的輸入拡大が必要かも知れませんね)

 また、ブータン政府の思想は「保守」というのにまさに相応しいです。ブータンこれでいいのだ6章より引用します。

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 確かにブータンは、国民の正装が民族衣装であったり、各県の行政機能はゾンと呼ばれるお城の中にあったりと、ほかの国ではみられない昔ながらの面影を残しては居ます。しかし、だからといって、社会経済発展や近代化を放棄している訳ではありません(中略) より多くの国民が医療と教育にアクセスできるよう、病院、学校の数を増やし、道路も整備しようとしています(中略) ブータンにとって知恵の絞りどころは、それらを財政的に成り立つ形で実現する、ということではないかと思います。しかもブータンの場合、国として財政的に成り立つようにする為に産業を強化するといっても、やみくもに産業発展をさせられる訳でもありません。例えば、山を切り崩して工場を建てたら、自然を壊してしまいます。自然を破壊しないようにしながら、伝統文化を壊さないようにしながら、人々のワークライフバランスを保ちながら、産業も育成し、国として自立可能な形で幸せの国を実現する。そこにこそ難しさがあり(中略)
 この国では、水力発電のダムを作る為に住民に立ち退きをさせたり、広範囲に浸水させ生態系を壊したりするような事をしません。それらが怒らないよう場所を慎重に選びながら、水力発電インフラの開発をしてきたそうです。きっと困難も多かったはずですが、そのおかげで現在では電力が国の最大事業になるまでに至りました。

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 このように、長期的視野を持ち、伝統や国の形を大切にしつつ、かといって産業発展の意欲は持ちつつ、しかしそれは極めて慎重に行う、といった政治は、まさに「真の保守」ではないでしょうか。
 因みに余談ですが、「これでいいのだブータン」とはまた別のブータンに関する著書に書いてあった事ですが、GNH理念による政治は決してただ単なるポピュリズムに陥る訳でもなく、例えばある場所の民意による要望が、自然破壊に繋がるような事であった場合、ブータン政府は賛成しません。そして、そのような形で住民と政府間に齟齬が生じた場合、国王が住民を説得しにいく、なんて事もあるそうです。

 また、ブータン人は極めて消費性向が高いです。というかローンを組んでまで高級な物を買います。なんとIMFからバブルの忠告を受けるくらい!
 バブルは勿論ブータンにとって問題ですが、銀行貸し出しが伸びない国(日本)にとっては参考になるかも知れない事柄があります。
 ブータン人の消費性向の高さは 楽観、安心感 からきているという事です。ではその原因は何かというと、ブータン人は親戚や故郷の村落との繋がりがあまりにも濃く、例えば破産したり何か困っても必ず誰かが助けてくれるそうです。
 バブルはよくありませんが、故郷や付き合いがセーフティーネットになっている為消費性向が高い、なんてのは例えば田母神氏の描く理想と近い状況なのではないでしょうか。

 無論ブータンは良い所ばかりではありません。先程言ったようにIMFから忠告を受けるほどバブルが行き過ぎていたり、公共事業従事者の主力がインド人労働者であったり、その他諸々ダメなところ、あるいは少なくとも日本人が真似するべきではないところ、というのも多々あります。
 ただそれらも、知る事で(特に公共事業を外国人労働者に頼るところなんか!)反面教師とする事ができます。


 結論としましては、経世済民を考えるにあたって、ブータンを知る事は、かなり参考になるのではなかろうか! という事であります。



 さて、以下は脱線話となります。

 先述のように、ブータン人は共同体意識が非常に強いのです。
 共同体意識が強いという事は、逆に言えばオルテガが言うところの「大衆性」が低いであろう事が予想されます。
 ブータンこれでいいのだ の中で印象深かった言葉を引用します。GNHコミッション長官の言葉です。

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「幸せになろうと思ったらね、自分の幸せを願ってはいけないんだ。自分の幸せを探し出したら、どんどん幸せから遠ざかってしまう。これはとても大切な事なんだ。幸せを願うのであったら、自分の幸せではなく、周囲の人の幸せを願わなくてはいけない。家族だとか友人だとか、自分の身近な大切な人達。そして周りの人達が幸せでいられるように、できる限りの事をするんだ。知ってるかい? 人の為に何か役に立つ事をして、相手が幸せになるのを見ると、自分にもとても大きな満足感が返って来るんだよ(中略) 幸せになりたかったら、まず、周りの人の幸せを願って、その為に何かする事が大切なんだ。自分の幸せを探し出したら、幸せはみつからないんだよ。ブータン人は、それを皆よく分かっている]


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 なるほどこの言葉は、藤井聡、羽鳥剛史著の「大衆社会の処方箋」の中で、囚人のジレンマなどを用いて説明していた理屈に良く合うように思われます。

 大衆社会の処方箋は、哲学的なようでしかし科学的理論的に書かれているので、これを読んだ後に何か文化や習慣などに関する記述を読んだ時には、例えば相対性理論を知っている人間が猿の惑星を観た時「ああこれはつまり浦島効果か」と気付けるように、色々気付く事があります。

 ブータン人には共同体意識が高いという事の他に、死を強く意識している事(人間いつ死んでもおかしくない、とも思っている)や、何が起こっても概ね「まぁ人生こんな事もある」と受け止める性質を持っています。その他諸々、ブータンこれでいいのだ の記述からは、ブータン人は「運命愛」が強いのだろうという事が分析できます。

 ただ、とある一点に置いて、大衆社会の処方箋とは一見矛盾しているように思える点が存在します。

 西洋ではキリスト教により輪廻転生の思想が普及した事が、運命愛の低下に繋がった、とあるのですが、ブータンにも輪廻転生の思想がある事です。

 ただし、これを矛盾と解さずに済む二つの仮説を立てる事ができます。

 仮説1 ブータンこれでいいのだ、の中には、「人生一度きりなんだから」というブータン人のセリフが何度か登場します。ブータン人は信仰の厚いチベット仏教徒ですから、輪廻を信じていないとは考え難いです。 なので、「今この記憶を保有している人格の人生」は一度きり、という意味だと解釈するのが妥当です。つまり、魂の輪廻は信じていても、記憶と人格が完全にリセットされるという覚悟をしている→大衆社会の処方箋における「死の覚悟→運命愛」の理論に当てはまる。 


 仮説2 ブータンの輪廻思想はキリスト教ではなく、チベット仏教に基くものです。そしてチベット仏教では、今生での行き方が来世にも影響すると考えられます。つまり、徳が来世へ引き継がれる為、徳の高い生き方を心掛けるのです。
 という事は、キリスト教的輪廻思想が「俺来世から本気出すわ(AA略)」のようにして運命愛の低下をもたらし大衆性を引き上げたのとは対照的に、徳が引き継がれると考えるチベット仏教式の輪廻思想は逆に大衆性を下げる効果があるのではないか。

 とまぁそんな事を考えてしまいました。

 まぁ何が言いたいかというと、大衆社会の処方箋 には、こうして他の著書の見え方も変わってくるという面白い副作用があります。

 猿の惑星を観た後に相対性理論を知ると、なるほどあれは浦島効果か! となるが如く、実は「希臘から来たソフィア」も、大衆社会の処方箋とセットで読むと面白い発見があったりします。長くなったのでここには書きませんけど。

 思ったより長くなってしまいました。最後までお読み頂いた方はありがとうございました。
 

(※)
 GDPが減る場合、失業率が上がり飢える人がでてくるなど必ず貧困問題が起こる。に対し、「一人当たりのGDPは横ばい若しくは増えつつ、それ以上に人口が減少していく場合は人々が豊さを維持しながら国家GDPが減少するという事態もあり得る」などと反論してくる人が居るかも知れない。

 まぁそれに対する反論は「そんな事例が世界史にあるか!?」で済むと思うが、敢えて生真面目な反論を考えてみると、 例え一人当たりのGDPが上がっていたとしても、国家のGDPが下がれば「政府債務対GDP比」が増す事になる。
 政府債務対GDP比の増大を放置していれば、いずれ中央銀行による大規模買いオペが必要となる(異次元緩和より更に異次元レベルでの)。それに伴う金融バブルの危険性や極端な通貨安化による急激な輸入インフレの危険性から逃れる術はあるのだろうか?

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