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2014年02月28日18:34

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小阪の通学路

色川の中の小阪の集落。
今は子供はいない。
昔子供だった、Nさん、Mさんはここから色川中学まで山道を通ったそうだ。
今日は、その通学路を案内してもらった。

スタートは椙𠮷神社。
「上が士の字の吉じゃなくて、上が土の𠮷なんですよ。」
この椙𠮷神社には台風12号の時に大量の土砂が流れ込んだが、今はきれいに整地されていた。
それでも、石段がゆがんだりしている。

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歩き始めてすぐに美しい棚田が広がる。ここは少し前まで荒れたままだったが、今は「棚田を守る会」の人たちが田んぼを維持している。

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通学路は山道になる。
下ったり登ったりの繰り返しだ。
中学校まで片道5キロの山道だ。
「行きは1時間半くらいだったが、帰りは遊びながら歩いたからね。円満地の川で泳いだ帰りの登りはきつかった。」
「ヒヨドリを捕まえて持って帰って、焼き鳥にして食べたこともあるなあ。肉なんてほんのちょっとだった。」
「Sさんの家の柿はいつも勝手に取って食べていたなあ。」
NさんもMさんも懐かしそうに話す。

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私たちの足で休憩を入れて2時間半、それを当時の中学生は休まず1時間半で毎日歩いたのだ。
「学校に着いたらもうお腹がすいてね。」
「帰り用の弁当も持って行ったもんだ。」

こんな話をするNさんもMさんも実は私と4歳しか違わないのだ。
東京の平坦なアスファルトの道を30分もかからず通学していた私とはずいぶん違うものだ。
俄百姓の我々がとても太刀打ちできない地元の人たちの底力はこの不便さに培われたものなのだろうな。

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