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2014年01月09日16:16

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祝英台(チュンインタイ)の伝説の故郷、浙江省上虞市「祝家庄」に「祝家テーマパーク」が2011年10/23にオープンしていた最新情報!

祝英台(チュンインタイ)の伝説の故郷、浙江省上虞市「祝家庄」に「祝家テーマパーク」が2011年10/23にオープンしていた最新情報!    http://blog.liangzhu.jp/にもアップ
 
「祝家テーマパーク」にも「梁祝三部作」が展示されているという。
写真1、今回訪問時の古野さん、2、古野さん撮影、3、「戯曲梁祝」鎌倉公演で祝英台の父を演じた古野さん。


寧波「中国梁祝文化博物館」に関する新情報を鎌倉で「戯曲梁祝」を作、上演した古野さんにお送りしたところ返信とともに新しい「祝家庄」の情報が送られてきた。

実はこれについては裏話しがある。その一つは2006年に「梁祝会」のメンバーで上虞市英台文化研究会の会長「陳秋強」に「梁祝三部作」贈呈のため表敬訪問した際に上虞市と祝家庄を案内してもらった時にテーマパークの完成予想図を見せてもらった(撮影禁止だった)ことがあり、


古野氏が以下にレポートしているのはそれだと思われる。二つ目は湘潭シャンタン大学で日本語教師をしていた2011年10/23に「祝家テーマパークのオープンセレモニーを行うので渡辺明次を航空券も手配するので是非ご出席いただきたい」と

上虞の陳秋強氏より恐縮するほど度々のメールをもらったが、大学の授業を優先せざるを得ず欠席した経緯がある。


以下「古野氏」のメールとお願いして書いてもらったレポートです
 
1,返信メール


寧波「中国梁祝文化博物館」に関する新情報、ありがとうございます。


昨秋、紹興市に近い祝英台の出身地、祝家庄の「祝家テーマパーク」資料館もオープン。同じころ、紹興を訪ねた際に見物してきました。資料館は、’南山’麓の広大な敷地に祝家の菩提寺(こちらは未だ未完成で開館は1年後とか)に隣接し、


観光バスを十数台ほど収容できる駐車場の後方にありました。寧波の梁祝博物館ほど梁祝関連の資料は多くは有りませんでしたが、渡辺先生の著作もショーケースの中で立派に展示されていました(撮影不可でした)。祝家一族の末裔が今に至るまで生活している場所であること、


戯曲「梁祝」の舞台となった祝家一族が住んだ屋敷(英台の楼閣も含む)を模した屋敷も併設されており、まるで、未だ訪れたことがなかった故郷に帰って来たような思いで屋敷の中を歩いてきました。梁祝関連の資料のコピーがあるかも、と期待した資料館売店も未だオープンしていませんでした。菩提寺が完成するまでにば開く予定です。

2、お願いして書いていただいた訪問レポート


 “「梁祝」伝説の故郷‘英台故里’を探ねて”

2013年11月上旬、「梁祝」(中国版ロミオとジュリエット)物語の娘役主人公、祝英台の故郷、中国・浙江省紹興市南東郊外の山あいにある祝家庄(村)景区(景勝地)‘祝府/英台故里’を訪ねた。

紹興の東バス発着所から快速で35分、最近、広域紹興市に編入されたばかりの上虞市区の西バスターミナルへ。ここでローカルバスに乗り換え、約15分で上虞・東バス発着所へ移動。タクシーを飛ばし、約15分で‘英台故里’に着いた(バスなら「梁呑」方面行きで約半時間、祝家庄で下車)。

祝家庄・景区(総面積2.84平方キロ)は、上虞市区から舗装された道路を東南に9キロの地点にあり、東に杭甬运河,西に青竜山(峰山)、北に凤亭山,南を玉水河に囲まれた‘半農半工’の地。古来、仏教/道教がここで栄え、

後漢・東晋時代の古墳群も多数発掘された由緒ある土地柄。9世紀初頭、空海と共に入唐した最澄が峰山で‘授法’した地としても知られる。近年、都市化が進み、紡績業など軽工業も進出したが、京劇や越劇の「梁山伯と祝英台」舞台にとどまらず、

映画や音楽など各種メディアで「梁祝」物語が中国全土で拡まるにつれ、2011年10月、この地は、上虞市と上級市政府により、「梁祝」伝説発祥の地、祝英台出生の地として重点観光名所に指定されている。


11月5日昼過ぎ。タクシーの運転手の案内で祝家庄「英台故里」の‘中心’で降ろされた。周囲を見渡すが、目の前に伝統様式で建てられた平屋建ての、こじんまりとしたホテル、その脇に農家の薄汚れた土塀が見えるだけで、観光案内所や店舗、広告塔などまるでなく、殺風景極まりない。閑散としたホテルフロントで観光の名所はどこ?と尋ねると、(舗装されていない田舎道を)山の方に歩くとすぐにあると言うので、その通り、とぼとぼと歩く。


ほどなく大きなお寺の‘前門’が視界に入ってきた。まだ改修中のようで、入口は閉ざされたまま。仕方なくお寺の周囲を囲む黄色い外壁の土塀(長さ約200メートル)に沿って山の麓を目指すと左に新築の大きな建物が見えてきた。


凤亭山の山肌の傾斜地に沿って悠然と拡がる祝府/英台故里の中核施設だ。建物は、越劇「梁祝」舞台でお馴染の祝家の館(魏晋南北朝時代の建築様式)をイメージして設計されている。

前庭の後方‘員外楼’(?)に入ると、ドキッとした。いきなり東晋時代の衣装をまとった等身大の人形が座っている。長い髪を頭の上で結い、口髭の長さ、年恰好から、戯曲「梁祝」の登場人物、祝家の主で英台の父、‘祝公遠’であろうか。2009年秋の「梁祝」鎌倉公演で筆者が演じた役だけに、まるで実家に帰ってきた思いだ。


「梁祝」関連の展示物はいずこ、と回廊沿いの展示室を足早に回る。祝家庄の歴史や、祝家の系譜をパネルと写真で紹介した‘文心苑’の建物を過ぎたところのややうす暗い‘書斎’展示室。日本の「梁祝」物語研究の第一者、「梁祝文化研究所」(東京・池袋)の渡辺明次所長が著わした著作物「小説・梁山伯と祝英台」(趙清閣著、渡辺明次訳、

日本僑報社刊)など梁祝三部作のほか、越劇「梁祝」のポスター写真類などが、ガラスケースにきれいに収められていた。が、寧波の「梁祝公園」内で2013年秋に開館したばかりの「梁祝博物館」展示物の所蔵量に比べると、かなり見劣りしそうだ。


敷地内にはこのほか、「梁祝」舞台で英台が育った‘英台楼’、太湖石をあしらった‘築山’風‘の中庭などがあるが、やや急ごしらえの感。国慶節(10月初旬)後、秋の行楽シーズンも峠を越えた時期とはいえ、館内を訪ねる観光客が少なく、大型観光バスを10数台も駐車できる建物前の広場もガラガラだった。

館の外には、後世の祝家一族とゆかりある薬師寺(敷地面積19,600平方メートル、地蔵殿、多宝塔(七重の塔)、長廊(長さ660メートルの回廊含む)は目と鼻の先だが、

現在、大改築中で、完成は2015年予定とか。再度、訪ねてみたい。

(了)


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