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2013年12月09日16:52

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美輪明宏 ロマンティック音楽会

『美輪明宏 ロマンティック音楽会』に行きました。母がチケットを取ったので母と一緒に行ったのですが、「うわっ出て来た。」やら、「この歌なんだ?」とか、舞台で起こることを逐一口に出すのは如何なものか?と思う。おばちゃんって、美術館でもそうだったりするので、そういうものなのかも知れないのですが・・・。

フォト

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ロマンティック音楽会なのですが、今回は、前半は、社会派の歌、後半は愛がテーマの歌と分かれておりました。「世の中がきな臭くなってきたので、今回は、そうしました。」と美輪さん。
前半、戦時中のコトや、戦争のコトや、従軍慰安婦の話などをしていました。

従軍慰安婦の話が1番印象に残ってるな。日本で、娼婦をやっていた女性。戦争で娼館が焼けてしまった。軍は「それなら、満州に来れば良い仕事がある。」と言われ行ってみたが、それはようは従軍慰安婦の仕事。従軍なので、その名の通り、軍と一緒に行動せねばせねばならず、長い山道を兵士と一緒に行動。そして、兵士とセックスをする際は、杭を立てて、その上に筵を被せた粗末なほったて小屋のようなところでしなければいけなかった。(コレ。衛生面も問題あったでしょうね。状況としては、報道写真展で見た、イタリア近郊の沿道の娼婦と同じ感じだね)
そして、敵が来ると、娼婦であっても、ライフルを持たされて一緒に戦わねばならなかった。
しかも、死んでしまうと、もんぺを脱がされ、裸にされ、中国の服を着せられ、沿道に捨てられた。「日本の婦人は娼婦などという卑しい職業にはついていない。」と言うのが建前だった為、中国人として死んでいったらしい。運が良い娼婦は、それでも火葬にしてもらえた。

戦争が終わったその日。日本が負けたその日。敵が攻めて来た。真っ先に逃げたのは、幹部や偉い将校たち。この娼婦のそばでは、敵が、娼婦をバンバン殺している。その娼婦は命からがらそこから逃げ出し、何とか日本に帰り故郷に戻ったら、今度は「娼婦などやっていて!この一族の面汚し!」と罵られ、彼女は村八分にされた。「家族を食わせる為に娼婦になったのに、家族にまで見放された!なんてコト!」と頭にきて、面当てに自殺を試みるも死にきれず未遂に終わり、行くあてもなかったので、再び東京に戻ってきて、たまたまそこで、美輪さんと会ったらしい。
美輪さんは、この娼婦の女性が「また死ぬつもりだ」と分かったので、「死んだってバカバカしいでしょう?生きて復讐しなさい。復讐とはあなたが幸せになることです。」と言って元気づけたそうな。

他、政治のコトをぶったぎってる時は、綺麗な立川談志みたいだな・・・と思ったり。

戦後に、実家が破産して、学校にも行けなくなり(美輪さん音楽学校行ってたんだよね)、下宿代も払えず、一時ホームレスをしていたそうなのだが。その頃は、まだ、戦争の爪痕が残っており、戦災孤児たちが、新宿や東京駅の構内に沢山いたので、彼らと行動を共にしていたらしい。
「皆、仲間をかばい合って生きてましたよ。食べ物も分けてね。ただ、大人に対しては、嘘をつくは、盗むは、そんなコトをやってましたけどね。」 美輪さんは、当時アメリカ軍が駐留していたので、軍のキャンプ地に行って、ジャズなどを唄って、コンビーフなどを貰っていたそうな。それを皆で分けて食べていたと。
美輪さん・・・。軍のキャンプ地行って、貞操大丈夫だったのかなぁ〜・・・って思う。大丈夫じゃなかったのかも知れない。あれだけの美少年なのだものな。色々あったろうな・・・と思ってしまう。

そんな話をしながらの前半。
セットリスト。全部は覚えられなかったが唄った歌は。

悪魔
祖国と女達(従軍慰安婦の唄)
亡霊達の行進
ヨイトマケの唄
あと、星の流れにを唄ったかなぁ・・・。

母曰く、「前半は暗くて嫌だった。」そうです(^_^;)。母は社会派の唄は好きじゃないらしい。

冒頭の悪魔が凄かったな。美輪さん悪魔っぽい恰好(黒いケープを着ている)で出て来る。唄い終ってから「ロマンティックって言っておきながら、いきなり怖がらせてごめんなさいね。」と言っていた。

前半の舞台は昭和初期の街並みが描かれたセットだった。チンチン電車(だと思う)があったり、赤玉ポートワインの看板があったり、カフェがあったり。

ヨイトマケの唄が生で聴けて嬉しかった。去年NHKで唄ったら、ツイッターの反応が凄かったらしい。今年も紅白に出るのだが、『愛の賛歌』を唄ってくれという要望が多いと。「まだ決まってないんですケドね。」と言っていた。たとえ本当は決まってても、紅白の箝口令はすさまじいので、ネタバレは出来ないんだよね。個人的には、愛の賛歌より、愛する権利の方を唄って欲しいんだが(どっちもエディット・ピアフの唄よね?)。

後半は、薔薇の咲き誇るロココ調の絵が描かれた舞台美術。
美輪さんは、ブルーのドレス。バンドマンの人の紹介もあったのだが、「今、東京カワイイカワイイコレクションが世界を席巻してます。海外の有名ブランドが、こぞって、日本の東京カワイイカワイイコレクションを見に来ている。普段はバンドマンは黒のタキシードですが、今回は、こちらも、東京カワイイカワイイコレクションに合わせてみました。温かい目で見てあげて。」と。バンドマンはピンクのフリフリのドレスシャツを着て、可愛いポーズをとって挨拶。照れてるおじさまもいらした。

セットリスト。こっちも完全ではないですが・・・。
メケメケ
ロシアのカフェ
黒蜥蜴の歌
愛する権利
愛の賛歌(フランス語ヴァージョン)
花(アンコールで)

だったかな?

今年は不思議な巡り合わせの年だったと。黒蜥蜴は映画にもなり、海外でも評判になった。で、フランスの映画監督が、子供の頃黒蜥蜴を見て感動し、美輪さんのドキュメンタリー映画を撮りたいという打診があったそうな。それはOKして、映画は出来たのだが。
舞台の制作現場に密着した時。その映画監督が泣いていた。てっきり、芝居に感動したのかと思ったら、監督「私が子供の頃に見た人が、生きてて、まだ第一線で活躍してて嬉しい。」と泣いたと。美輪さん「・・・私、自分が500歳か600歳くらいに思えましたよ・・・。」

美輪さん現在78歳。78歳で、3時間1人で出ずっぱり(20分の休憩はあるとしても)で、喋って唄う。そりゃ、専門のトレーナーについてトレーニングをしてるとは思うが、それにしてもスゲエ体力だよな。

ただ、流石に1曲唄った直後に話し出すと息切れが凄い。しかも、叫ぶように唄うものもあり、美輪さん「こんな唄い方してちゃ、死ぬと思うんですケドね・・・。」

マイクもほぼ、胸というか、お腹の位置なのね。そこにマイクがあっても、十分声が入る。スタンドマイクを立てても、かなり間をあける。母が「マイクの性能が良いのかねぇ?」と言っていた。マイクの性能も良くなってるだろうが、ちゃんと腹式呼吸で唄えるんだよ。それじゃないと、あのデカイ声を喉だけで出したら、喉潰す。

今年、『MIWA』という、美輪さんを描いた野田秀樹作の芝居があったが、それは、前述のドキュメンタリー映画を知った野田氏が「舞台にしたら面白いんじゃね?」と企画したかららしい。許可を野田氏が取りに来た時、美輪さんは「私、まだ生きてますよ?」と言ったそうな(笑)。確かに、普通は、故人でやるよな、こういう芝居って。
そんな面白い巡り合わせが今年は多かったそうな。

ロシアのカフェを唄う前のロシアカフェのエピソード。
当時まだ海外旅行が一般的ではなかった頃。美輪さんはフランスに行き、社交界の場であるロシアカフェに行った。ロシアの宮殿風のキラキラのカフェ。着飾った上流階級の紳士淑女たち。美輪さんはエスコートして来た男性と一緒だった。そこに、ウエイターがバンド演奏の注文をとりに来た。美輪さんは、注文をして(美輪さんて、フランス語堪能でしたよね?って、まぁ、シャンソン歌手は、フランス語が出来なきゃなれないのでしょうが)、チップを払った。
すると、横の男性が激怒。「君はレディなんだから、それは男がやるコトだ!レディが直接注文して、チップを払うなど、はしたない!なんで、そんなはしたない真似をするんだ!君はレディなんだぞ!」 
美輪さん「私、自分がレディだってコト忘れちゃってたのね・・・。」
で、ダンスミュージックがかかった。美輪さんは、その男性を踊りに誘うも、男性はむくれていて、応じない。美輪さんは「だったらいいや。」と1人で踊った。すると、まわりに、人が集まって来て「素晴らしかった」と誉めてくれて、テーブルには、高いワインや、豪華な食事が並べられた。さっきまでむくれていた男性、笑顔で、美輪さんに「また次来ようね!」 美輪さん「なんて、ケチ!ケチな男っ!」(爆笑) 

黒蜥蜴の歌の前のトーク。
フランスの有名バンドから、黒蜥蜴の歌を唄いたいという打診が来た。(作詞作曲が美輪さんなのかな?) 美輪さんはOKした。何でも当初は、一緒にツアーをまわって下さいという打診もあったらしいのだが「忙しくてとても無理。」と断った。暫くして、出来たCDを相手が送ってくれた。
美輪さん「どんなもんだろう?と思って、聴いてやったんですよ。そしたら、私より上手くて、綺麗な声でね。・・・私、(その歌手を)つねってやろうか!と思いました。」(笑) (唄っていた人・・ヴォーカルになるのかな?は、女性だったらしいのだが)

愛の権利の前のエピソード。
これは聞いた時、すぐに訳そうと思った。(元はピアフの歌だと思う。)
その理由は。こんなコトがあったから。
終戦間近。黒人の将校さんと奥さんになった元娼婦の女性。2人の間に子供が生まれた。ハーフの子供。ところが、「そんな異端な子供は幸せになれるものか。」と、親戚から圧力がかかる。母親は、子供と引き離され、将校とも別れさせられた。失意のうちに、その女性は自殺をした。

とあるうなぎ屋さんの旦那さん。彼は65歳だったのだが、18歳の娘さんが、その男性に本気で惚れて結婚した。しかし、年の差が問題になり、親戚中に吊し上げられる。客の間にもその噂が広がり、商売がたちいかなくなった。この夫婦は身投げして心中してしまった。「旦那さんはね。とても紳士で、素敵な方だったんですよ。」

またある日。有名企業に勤めていた真面目な男性。同性愛者というコトがばれて、即刻クビに。彼は、山の中でクビを吊って死んでしまった。(私の友達にも、同性愛者って分かったら、クビになった人がいるので、他人事ではない。因みに、彼は、室長だか何だかに「君は、同性愛者ってことを、履歴書の何処にも書かなかったじゃないか!」と言われたらしい。友人は一瞬「健康欄に書くのかな?」と思ったと・・・。(酷い話だが、ここだけは笑ってしまった) 私は「趣味の欄じゃね?」と返した。友人「その“趣味”じゃねえ!」 友人は死んでないから笑える話。)

また、ある旧家で。やはり同性愛者であることがばれてしまったその家の息子。親族会議が始まり、その男性は吊し上げられる。その男性は、ちゅうざした。いつまで待っても戻ってこない。彼はトイレで首を吊って死んでしまったのだ。その場に美輪さんはいたそうなのだが、「綺麗な人だったのに、目玉は飛び出て、口から泡をふいて、糞尿が流れててね。あの光景は絶対に忘れない。私、その後、その家のオヤジと大ゲンカして飛び出してきましたケドね!」

私は、この『愛する権利』という歌が好きです。
少しだけ歌詞を抜粋させていただく。

人が人を愛することは、悪ではない罪ではない
男と女が
男と男が
女と女が
年寄りと若者が
異国人同士が愛し合っても
人間同士が愛し合うことに変わりはない
殺したわけでも、盗んだわけでもないのだから

愛の賛歌の時は、原語(フランス語)で唄うので、お芝居風に、どんなコトが唄われているか説明があった。
無償の愛の歌ね。「あなたの為なら、月も盗んで来ましょう。」というのが、ロマンティックではある。でも、これ、最後まで聴くと、芯の強い歌だってのが分かるよね。
「殺されたって平気よ。だって、人はいつか死ぬんだから。」 ピアフも美輪さんも強い人ではあるか。原語で唄われ感動し、泣きかける私。

会場内は、コンサート中、薔薇の香りが漂っていた。演出の一つだろうが、すげえと思った。

あと、最後の、金の紙ふぶきの中の美輪さんは、菩薩様のようだった。手を合わせて拝みたくなる(笑)。手を合わせていたのは、美輪さんの方だったが。(スタンディングオベーションが起こったので、その挨拶として、美輪さんは、手を合わせていた)

78歳には思えませんでした。若いね。あと、綺麗ですね。神武以来の美少年は、きっとこれからも、神武以来の美少年であり続けるのでしょう。
ロビーに、美輪さんのあみぐるみとか展示してあって面白かったな。一緒に写真撮ってる人もいた。

ご年配が多かったが、若い方もいて、若い男性が、本やDVDを沢山買って、ポスターと一緒に写真をとって、ご満悦だったのもちょっと面白い。大ファンなんでしょうね。

画像に美輪さんの若かりし頃のモノを貼ってみた。入浴シーンは、サービスショットなのだろうか?しかし、若かりし頃の美輪さんの美少年っぷりったらないな。人形かよ!って思う。綺麗な顔だよね。
私が好きなエピソードで、美輪氏が、「オカマ野郎!」って罵られた時に、「なんだい、ブサイクのくせに!」って言いかえしたというのがあるのだが、コレ、美輪さんだから、そう言いかえせるんだよな。この言いかえし方が絵になる人。美輪さんと比べりゃ、殆どの人間はブサイクである。
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