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2013年09月04日15:55

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あの日起こったこと。

『あまちゃん』の震災編が、見事だったのです。何が見事だったかと言えば演出が。

実際の津波の映像や、それを想起させる映像を使うのではなく、観光協会の菅原さんが作っていたジオラマが破壊されたコトで、震災の被害を想像させる。見事でした。こういうのを演出って言うんだと本気で思いました。あと、「やられた!そうきたか!」感が、物凄くあった。

最初から、このジオラマを震災の表現に使おうと思ったのか、途中で思いついたのかは分かりませんが、マイミクさんが仰るように、このドラマは、震災のことを扱うというコトは、作る前から分かっていたコトなので(ただ、震災直後を扱うのか、数年後を扱うのかはまだ分からない・・と、インタビューで、宮藤官九郎氏が仰っていた)、最初から、この演出ありきで、ジオラマが出て来たのかも知れません。そう考えると、もの凄く長いフリですね。

本当に、カメラワークも含め、見事だったのです。まず、むちゃくちゃになった、観光協会の部屋が映る。次に、破壊されたジオラマが、引きの絵で映る。そして、次はアップで映る。海に使っていた、青いガラスは割れ、陸に散らばる。その散らばった破片は、家々の上に、のしかかる様に落ちている。ジオラマの模型電車の線路も壊れている。

本当の映像を使ったら、衝撃は伝わると思うのですが、衝撃しか伝わらなかったと思うのです。でも、ジオラマにしたコトで、その当時の色々なコトが合わさっていった。津波の映像もそうだし、めちゃくちゃになった町もそうだし、東京のパニックもそうだし。
私は、その破壊されたジオラマを見て、切なく悔しいという気持ちになりました。

この「悔しい」という感情が最初は自分で不思議でした。何でだろう?と。

見てるからなんですね。ドラマで、菅原さんが「ジオラマ馬鹿」と言われながらも、ジオラマを作っているところを見てるからなんですね。その一生懸命作ったモノが一瞬で破壊されてしまった。

北三陸・・・モデルになったのは久慈市ですが・・・という町をあの町の人達が作ったところってのは、私は見ていません。殆どの人はそうでしょう。だからあの町を「作ってるところを見た」という追体験は出来ません。でも、菅原さんのジオラマは追体験できるんですね。
作ってるところを見てるから。ドラマに、そう言うシーンは出て来るから。そのコツコツ作っていたものが破壊される。その悔しさなんですね。
おそらく、本物の映像だったら、そんな感情わかなかった。

あと、このドラマ。やっぱり、コメディなんですね。たとえ震災があろうと、震災後の復興を描こうと、コメディなのです。悲劇を喜劇にするのは、大人計画の十八番です。当然、宮藤官九郎氏も多く手掛けています。でも、1番の違いは、コレは実話が入っているっていうところですよね。でも、宮藤さんは、やっぱり笑わせたいんですね。
もし、本物の映像を使っていたら、衝撃がデカすぎて、何をやっても笑いにならないです。
ジオラマにしたコトで、直接表現から、間接表現になって、そして、悔しい反面、ちょっと気の抜けた感じもあるのです。それは「菅原さん、あんなに一生懸命作ってたのに、あ〜あ。」という、気の抜けたマヌケな感情の笑いになるのかも知れません。(これ、宮藤さんや、松尾氏が得意とする表現でもありますが)
ジオラマだったから、その後、アキちゃんが、机の下にもぐって、ミサンガ探して、太巻さんに「天野、オマエの家は、そこか?」と言う台詞で笑えるんですね。

悲劇を喜劇に変えるのは、大人計画の常套手段。そうか。こんなところにも、私が長年見て来た大人計画はあるんだな・・・と思えて、ちょっと感慨深くもありました。

震災直後の話も良かったです。この物語が、芸能のことを取り扱っているからか、映画は中止になり、ライブは延期になり、「映画や歌がなくても人は生きて行ける。でも、水や食料や電気がなくては生きて行けない。」と言う春子さんのナレーションが入る。
宮藤さんも悔しかったのかな?と思いました。で、自分はどうするか測りかねていたのかなぁ・・と。演劇の人ですからね、宮藤さん。演劇がなくたって人は生きて行ける。
「自粛」「自粛」で、色々な娯楽表現が中止になっていく情景を見て、演劇人の宮藤さんは、どう思ったのかな・・・。『感じるジャッカル』や、『笑う犬』のコントを書いていた宮藤さんは、どう思ったのかな?

そして、私は、震災があった時の、あの日のコトを自分なりに思い出しました。

あの時、いったいいくつのお笑いライブが中止になったのだろう?

当時の日記を遡ればレポが読めますが。震災1週間後に、フフフのフーというフラットファイブのライブが、チャリティーライブとして行われました。THE MAN氏も出ていたんだよね。スゲエ。
行われたのは、おそらく、フフフの主催者が、ホロッコだったから。ホロッコ。サンドウィッチマンと同じホリプロの勉強会にいたんだものね。ずっと一緒に舞台に立っていた人達だ。

その時、結構大き目の余震があったのだけど。舞台に出ていたのは、大本営八俵氏(米粒写経の居島さん)と、マキタスポーツ氏。その時の2人の対応が素晴らしかった。居島氏は、すぐにお客に「あ、地震ですね。皆さん、落ち着いて下さいね。大丈夫ですから。」と言ってから、すぐに、震災ギャグをやった。「震度7!」って言って、変なポーズを取る(笑)というギャグ。笑いで緊張が抜けるコトを知っているんでしょうね。マキタ氏は、すぐにスタッフに「続行して平気?・・OK?」と舞台上から、確認をとった。おそらく、万一の時は、何があっても、お客を1番先に逃がそうと思ったのだろう。

居島さんなんて、普段、右翼漫談やってる人ですよ?ライブ友達の結婚披露寄席でも、右翼漫談して「他の皆は、芸人ですが、私は、ただのキチガイです!」って叫んだ人ですよ?人の披露宴で「キチガイ!」と叫ぶ人。本気でキチガイです。でも、なんて、人間としてまっとうなキチガイなのだろう!と、その余震の対応を見て思ったものです。恰好良かった。

そして、EDの時。マキタスポーツ氏は、お客さんに向かって「こんな時に、お笑いライブに来るなんて、オマエらが1番頭がオカシイよ。」と言って、客席に向かって拍手をしてくれた。どんな励ましの言葉や、慰めの言葉より嬉しかった。そして、私は、その倍の拍手を、舞台に出ている芸人皆にしたかった。ライブをやってくれて嬉しかったから。
そして、そうか、芸能で飯食ってる人は、お客さんがいないと、どうしようもないのか・・と言う当たり前のコトに気づいた。お客も結構凄いのかも知れない。そんなコト、それまで思ったコトはなかったけれど。

他には。藤井ペイジ氏の毎月やってるライブは、チャリティーオークションライブになったり。漫才米騒動のDVD落札したかったなぁ。出来なかったケド(値段が上がり過ぎるとマズイので、上限2000円までで、希望者多数の場合は、ジャンケンだった)。藤井さんが、漫才米騒動に出た時、イジリまくられた映像だったらしい。

その時。スギちゃん氏(当時は、おっぱい先生だったケド)が小声で・・・おそらく、私にしか聞こえない程度の声で(私は、スギちゃん氏の目の前に座っていた)「もっと(チャリティーの商品を)持って来れば良かったな・・・・」と呟いたのが、未だに印象に残っている。藤井さんが大量に持って来たからね。あげられるモノは全てあげるくらいの勢いで。
でも、私は、スギちゃん氏に「いや、ライブに出て、人を笑わせてくれるだけで、結構なチャリティーなんだよ。本当に。」と言いたかった。

サンドウィッチマンの朋友の水町タカオ氏が、節電ライブをやったり、そんなコトを、もう、脳内高速フル回転で、ドラマを見ていたら、ガ〜〜〜〜って思い出した。

あと、サンドウィッチマンの芸人コミュニティも凄かったな。サンドが、被災地の為に、『東北魂』という義援金の窓口をすぐに作り、サンドの芸人仲間が、ブログやツイッターで、一斉にこれを報告した。私は、水町氏のブログで知った。あの、リレーも見事だった。
因みに。サンドウィッチマンは、気仙沼で被災し、実際の津波を目撃しているのだが、いち早く、「大丈夫?」というメールを送ったのは、水町氏だったらしい。仲良しだから、サンドがロケに行ってるコトを知っていたのかな?

『あまちゃん』で、GMTの小野寺ちゃんのお母さんの無事を、ファンのブログで知る・・と言う場面があるのだが、ツイッターで、『あれは、サンドウィッチマン(おそらく、伊達さん)が、いち早くブログで状況を知らせたのが、元ネタかな?』と言っていたが、そうかも知れない。メールや電話はつながらなくても、ネットのHPは繋がったりしたんだよね。
私は、仙台の友人に連絡がつかなかった時、ネットの災害掲示板に書き込んだ。これは繋がったので。(その3日後に友人からは連絡が来て、被災して、避難所にいるコトが分かった)

ドラマを見ていて、そんなコトをガ〜〜〜っと思い出す。思い出すというより、忘れられないんでしょうね。きっと、他の人達もそうなんだろな・・・と思います。

そんな中、やっぱり、アキちゃんがダメ人間なのも、宮藤さんの作りたもうたキャラだなぁ〜と思います。アキちゃん「被災地」って言っちゃったりね。おそらく、これからは復興が描かれるのだろうな・・・と思います。どの辺りまで描かれるのかは分からないけれど。

とりあえず、甲斐さんは、まだ出番がありそうだな・・・と思いました。
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