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2013年06月02日23:28

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リアリティのお話。

今回は,最近読んだ小説について。
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5月の連休に実家に戻って,甥っ子たちの相手をしたとき。
小学校6年生になった上の甥が
「映画『図書館戦争』を見てみたい」
と言いだした。
この甥っ子,テレビの「相棒」シリーズとか映画「海猿」とかを好んで見ている。
だから,そこそこ話題になっているこの「図書館戦争」の実写映画を見たいという気持ちも,分からないではない。

一方,私の方は,「図書館戦争」といえば数年前にフジテレビ系深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放映されたアニメで知っている程度。
あのアニメ,そこそこに面白かったとは思うけど,それほど気に入ったわけでもなかった。
そんなわけなので,昨年,その続編が劇場用アニメ映画として公開されたときも,食指が動かなかった。

しかし,甥っ子がこの映画を見るということなら,話は少し違ってくる。
おまけに,この「図書館戦争」の作者である有川浩という人の小説は,「フリーター,家を買う」とか「県庁おもてなし課」とか,最近では映像化される作品が少なくない。
それで,ここはひとつ,次に甥っ子と会うときの話のネタになるようにということで,我が読書端末に「図書館戦争」シリーズ全6冊をダウンロードして,通勤途上で片っ端から読みまくった。
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「図書館戦争」というお話は,おおざっぱに言うと,中央政府による実質的検閲に地方政府の図書館が武装して対抗するという社会情勢において,その武装した図書館(図書隊)における登場人物たちの恋と成長の物語,といったところだろうか。

お話の設定自体が相当に荒唐無稽ではあるのだけれど,まあ,それはそれとして。
そもそも,作者の有川浩さんが,近所の図書館で『図書館の自由に関する宣言』を目にして,妙に気になっていろいろ調べてるうちにこんな設定が立ち上がってきた(「図書館戦争」あとがきより)というのだから,その設定の荒唐無稽さは織り込み済みというべきだろう。
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ずいぶんと前に私は,この日記で,フィクションのリアリティについてこんなことを書いた。
(以下,2007年04月01日のこの日記「現実性についての考察。」より抜粋http://mixi.jp/view_diary.pl?id=390692636&owner_id=2230648
フィクションについての論評でときどき、「リアリティがない」という言い方を見かけることがある。
曰く
「沈没した巨大戦艦を引き上げて宇宙戦艦に仕立て直すなんて、リアリティがない」
「人間型の大型ロボットが宇宙を飛び回る主力兵器として戦争をするなんて、リアリティがない」
「女子中学生がセーラー服をアレンジしたようなコスチュームの戦士に変身して悪の組織と闘うなんて、リアリティがない」
とまあ、こんな具合。

しかし、宇宙戦艦ヤマトにリアリティがないとか、機動戦士ガンダムにリアリティがないとか、そういう論評をする人はそれほど多くないだろう(セーラームーンにリアリティがないという論評は有りだと思うけど(^^))。
それは、一見すると荒唐無稽な設定であるはずなのに、物語の内容が圧倒的な説得力を持って迫ってくるからだと思われる。
逆に言えば、宇宙戦艦ヤマトも機動戦士ガンダムも、お話が面白くなかったら「リアリティがない」と酷評されていたに違いない。

そうしてみると、フィクションにおけるリアリティの有無とは設定の荒唐無稽さではなく、説得力の有無によることが分かる。
どんなに荒唐無稽な舞台設定であろうとも、その設定がその物語における必然であって説得力があれば、リアリティを備える。
マンガ・アニメ・小説・ゲームなどで、作品世界に「あり得ない設定」がなされていることはよくある。
しかし、その作品にリアリティが欠如しているとしたら、それはその「あり得ない設定」の故ではなく、その作品の説得力の欠如故であろう。
(抜粋終了)
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では,「図書館戦争」シリーズの説得力は,どうだろうか。
私は,そこそこいい線いっている,とは思うのだ。

主要登場人物たちの性格設定には多少の問題があるけれども,その行動はおおむね一貫している。
宮部みゆきさんの言葉を借りれば,主要登場人物に対しては「作者による役作りが徹底している」といえるだろう。(2012年06月24日のこの日記「かみであるお話。」よりhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854438245&owner_id=2230648

反面,検閲実施機関側に対する「役作り」は徹底していない。
これは結構多くの人が指摘しているようだが,このお話においては検閲実施機関側の言い分に全く言及されていないのだ。
ただ,作者は,これはあえて書かなかったのだという(「図書館革命」あとがきより)。
ウィキペディアの記述によると,「作家の立場から検閲をする理念は書けないという著者の意思からくるもの」でもあるらしい(Wikipedia「図書館戦争」脚注16より)。

まあ,作家の意思はそれはそれとしてそういうものなのかもしれないと思うけど,それでも,検閲実施機関の言い分が盛り込まれていたらもっとおもしろい物語になったのかもしれないな,とは思う。
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登場人物の役作り・演技指導の方はともかく。
この「図書館戦争」シリーズで私がちょっと残念に感じるのは,作者の「表現の自由」「検閲の禁止」についての憲法解釈学からの理解があまり深くないように思われることだ。

日本国憲法第21条第2項に定める「検閲」の定義について,最高裁判所は「行政権が主体となって,思想内容等の表現物を対象とし,その全部又は一部の発表の禁止を目的とし,対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に,発表前にその内容を審査した上,不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(最判昭59.12.12民集38-12-1308)と判示している。
「図書館戦争」の作中で行われている検閲は,書店に並んだ書籍の撤去を命じ没収するという形式になっているので,発表それ自体を禁止してはおらず,憲法第21条には反しない,というのが,作中の検閲実施機関による見解,ということになっている。

しかし,憲法第21条からは検閲禁止の他に「事前抑制原則禁止法理」が認められることはほぼ確立した判例法理であること,「北方ジャーナル事件」や「『石に泳ぐ魚』事件」の判決で最高裁が提示したそれなりに厳しい事前抑制の要件について,この作品では考慮がなされていない。

はたまた,作中においては大学法学部のカリキュラムにおいて検閲制度に触れることも検閲実施機関によって制限されているらしいが,これは憲法第21条の「表現の自由」のみならず第23条の「学問の自由」そして「大学の自治」に抵触する可能性が大きいことについても,十分な考慮がなされていない。

もっとも,この点についても,有川浩という作家は「プロット派」ではなく「ライブ派」だから,執筆前に入念な取材活動など行わないのだ,ということなのかもしれない。
※(「図書館内乱」あとがきより引用)
小説の設計図であるプロットをきちんと建てるタイプの作家を「プロット派」と呼ぶとした場合,プロットを立てずにぶっつけ本番で小説を書くタイプの作家を「ライブ派」と呼ぶ,という(以下省略)
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結局,有川浩という人は,自分の書きたいものだけを書く人なのだろう。
自分の書きたい登場人物を,自分の書いてみたい設定で遊ばせてみる。
その情景を,あたかも後ろからライブで見ているかのように描き出す。
だから,さほど興味の持てない登場人物に対してはろくに役作りをしないし,都合の悪い設定については説明をしない。

有川浩さんは新井素子さんの影響を受けたのだそうだけど,その新井素子さんも「・・・・・絶句」という小説の中でこんなことを書いている。
(新井素子「・・・・・絶句(下)」ハヤカワ文庫新装版111ページより引用)
「適当に,キャラクター頭の中からひっぱりだして,適当にいろいろなシチュエイションの中におしこんで,いろいろなシーン考えて」
(引用終了)
要するに,新井素子さんも「ライブ派」の書き手なのだろう。
もっとも,新井素子さんは脇役の登場人物に対しても結構丁寧に役作りをしているような気がするけど。

それでも,「図書館戦争」は舞台設定も登場人物の言動もおもしろいから,引き込まれていく。
けれども,ふと我に返ってみると何も残っていない。
要するに,厚みがない。
まあ,「図書館戦争」のコンセプトは「図書館で戦争。月9連ドラ風で一発GO!」というものだったのだそうだから(「図書館戦争」あとがき・同文庫版あとがきより),厚みがないのもこのお話の個性のひとつなのかもしれない。
有川浩という作家は,ライトノベル陣営から出発した人なのだから。
「ライトノベル」に「厚み」を求めるというのは,本末転倒なのだろうから。
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