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2013年04月07日19:54

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いまひとつな感触のお話。

森炎(著)「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか―変わりゆく死刑基準と国民感情 」(幻冬舎新書)という本を読んだ。
最近では,同じ著者による「司法殺人」という本が少し話題になっている。
そこで,それを読む前提として,同じ著者の著作を古い方から読んでみようかと思ったのだ。

この本のまえがきに
「ここには死刑判決のすべてがあります。」
と書いてあったので,期待したのだけれど。
残念ながら,この本には,死刑判決の「すべて」はなかった。
※ 私が関わった控訴審で「控訴棄却」判決が出て第一審(水戸地裁)での死刑の結論が維持されたた事件についても,触れられていなかった。
取り上げたのは「戦後日本のめぼしい死刑事件」だそうなので,あの事件は「めぼしい死刑事件」ではないということなのだろう。
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私の読後感は,今回のこの日記の表題のとおり。
なお,著者の手抜きではないかと感じられた記述もあった。

「日本の無期懲役には仮釈放が認められていて,統計上は二十数年で仮釈放となっています(仮釈放者の在所年数平均)」
(「第四章 死刑判決と正義」中の「死刑に終身刑を超える必要性はあるか」の記述から)
実際の新仮釈放者平均在所年数は,平成20年が28年10か月,平成21年が30年2か月,平成22年が35年3か月,平成23年が35年2か月。
http://www.moj.go.jp/content/000096744.pdf(「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」の「表1−1 無期刑受刑者の推移(平成14年〜平成23年)」より)

森炎という著者がこの本を著したのは平成23年。
当時はもちろん,この「無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について」という資料は発表されていなかった。
しかし,その気になれば,平成21年や22年の仮釈放者在所平均年数くらい,簡単に調べることができただろうに。
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まあ,読んだことによる収穫もあった。

死刑という結論を出すかどうかにつき殺された被害者の人数が重視されるのは,犯人が持っている人命軽視という傾向の度合いを測る尺度になるから,ということ。
かつては,犯人に「抜きがたい犯罪(殺人)傾向」があるかどうかが大きな観点となっていたこと。
最近ではこれに代わり(またはこれと並んで)「犯罪被害の極限性」という観点が基本となりつつあること。

私もそういったことを漠然と感じていたのだけれど,きちんと整理して提示してくれたのはありがたかった。
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しかし。
この著者は,刑事法制のいちばん大元のところを整理し切れていない,と思う。
なぜ,犯罪を行った者に刑罰を科すのか,ということについて,この著者はとおりいっぺんのきわめて浅い理解しか示していない,という印象がぬぐえない。

刑罰は,歴史的には被害者の復讐の国家による代行としてはじまり,それが国民の客観的な正義観念にまで昇華されてきた。
そういう,とおりいっぺんの説明はされている。
しかし,肝心のその「客観的な正義観念」とは何なのか。
この点について,著者はきちんと提示していない。
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私は,犯罪を行った者に刑罰を科す大元の理由は「応報」ということにあると思っている。
大辞林によると,「応報」とは
「行為の善悪に応じて受ける苦または楽の報い。果報。」
という意味とされている。
悪いことをした者はそれに応じて苦しみを受けなければならない,それが正義というものだろう。

では,たとえば殺人行為における「悪いこと」の内実とは何か。
もちろん,他人の生命を奪うことそれ自体が悪いことであるのは疑いがない。
でも,それだけだったら,たとえば交通事故で誤って他人の命を奪ってしまったときも,「悪いこと」の度合いでは故意の人殺しと異ならない。

本当に,そうだろうか。

私は,たとえば殺人行為における「悪いこと」の中核は,「人を殺してはいけないというルールを破ったこと」にある,と考えている。
(大学で刑法の勉強をした方には,私の考え方が「行為無価値論」と呼ばれる考え方に連なるものであることを理解していただけるだろうか。)
「客観的な正義観念」の中核には「ルールを破ったことに対する応報非難」があると考えている。

しかし,「悪いこと」の内実については,私とは異なり,やはり犯罪行為によって引き起こされた否定されるべき結果を中心として考えていくべきである,という考え方も根強い(「行為無価値論」と対立する「結果無価値論」の考え方)。
根強いというより,刑法の学者の間では,この結果無価値論を支持する人の方が多いのかもしれない。

いずれにしてもこの本では,刑法や刑事裁判が指向する「正義」の内容についての考察が足りていないという点で,私には「いまひとつな感触」と思えてしまったのであった。
この調子だと,「司法殺人」の方も,読むかどうかは検討を要するかもしれない。
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