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2013年02月15日16:20

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『エッグ』と『ふくすけ』

WOWOWで放送していた、『ふくすけ』と『エッグ』を見ました。
『ふくすけ』は、舞台でも見ているのですが。そして、遡ると、何処かにレポがある。今回のふくすけは、再々演。そして、私は、初演は見たのに、再演は見ておらず、再々演は見る・・と言う、ちょっとおかしな見方をしています。今思うと、何で、再演見なかったんだろう?初演を見たからいいやって思ったんでしょうか?

初演を、『ズスナリ』でやっていてね。あの、熱気と言うか、比較的狭い小屋ですよね、スズナリ。あそこで演じられた、あのカオスのパワーは、物凄いモノがありました。初演は、ふくすけ役は、温水洋一氏だった。再演からは、阿部サダヲ氏。初演は、温水氏、水頭症の頭が、思いっきり、チンコの形だったのを思い出します・・・そうだったよね?初演って、1991年だったんだね・・・。そうか・・・。1991年だったんだぁ〜・・・。
松尾氏の著作、『星の遠さ寿命の長さ』の中で、『悪くて強いエレファントマンがいたらどうなるか』と書いてあり、なるほど、ふくすけは、悪くて強いエレファントマンなんだ・・・と。
悪くて強い障害児。

インタビューで、「生まれて来たことの選べなさ。」と松尾氏は言っていて、そうだよな・・・と思う。死は選べる。だって、自殺が出来るから。でも、生まれるってコトは選べないんだ・・・と思ったら、急に怖くなりました。そして、死にたくなりますね。ふくすけの言う「生まれてこなければ良かったのに。」は、それでも生まれて来ちゃったコトへのある種の復讐心からの言葉なのかも知れません。
ふくすけは、薬害の被害者として水頭症で生まれているけれど、この場合、もう、被害者も加害者も知ったこっちゃないんだよな。「てめえら、障害も持ってねえような奴が、偉そうなコト言ってんじゃねえよ!偉そうなコト言うくらいなら、俺とセックスさせろ!」だよな。「水頭症の俺とセックスしろ!黒柳徹子、アンジェリーナ・ジョリー、俺とセックスさせろ!だって、そう言うコトでしょ?俺を救うって。」 ふくすけの放つ、この台詞。恰好良い台詞だよな。痛い台詞ではあるんだよ。でも、パワーが漲っていて、生まれて来たことへのやるせなさはあるけれど、それでも、諦めてはいなくって。

松尾氏が、障害者を身近に感じるのは、お姉さんの子供さんが障害児だから・・と言うのを何かのインタビューで読んだけれど、それより何より、松尾氏が昔インタビューで言っていた「だっているじゃん」の方を強く思う。皆さんの周りにも、障害者くらい普通〜におりますでしょ?手がない人、気が狂ってる人、知能がない人、おりますでしょ?で、その中には、嫌な奴も、良い人も自分に合う人、合わない人もいるワケで。
私はふっと、昔出会った、すんげえ、嫌な奴だった精神障害者の男性を思い出すのです。本当に嫌な奴だったんだよなぁ〜(笑)。女癖がメッチャクチャ悪いの(笑)。「キチガイのくせに、女癖も悪いとは、救われないねっ!」って思ったもんだ(笑)。
でも、その嫌な奴にも、壱分の理。話してみると、嫌な奴ではあるけれど、「なるほど」と思う部分もあったりね。そっか。彼も思ったのかも知れない。「セックスさせろ!俺とセックスしろ!俺を救うって、そういうコトでしょ?」と。

初期の松尾氏の作品なので、本当に救いがない。誰も救われない。デストピア感、満載。そして、それが心地良い。
話は、結構散漫してるようにも見えるのだが、松尾氏が言うように、頭の中でちゃんと整合して行けばお話になる。
薬害問題と、障害児しか愛せない歪んだ男と、新興宗教団体と、歌舞伎町の風像業界のトップの争いと。その中心に関わるふくすけと。物凄く情報量は多いが、頭できちんと処理して行けば、ちゃんと整合した話になる。
松尾氏は、大量殺人=悪とは描かないのも凄いよな。この大量殺人がある意味、黒いハッピーエンドにもなっている。そっか。人は、生まれてくるコトは選べないけれど、死ぬことは選べるんだものね。

今回のヒデイチ役は古田新太氏だったけれど、初演は、山崎一氏だったんだね。そして、今回コオロギを演じたのはオクイシュージ氏だが、初演は松尾スズキ氏。常々思っているのだが。オクイ氏は、松尾氏が演じた殆どの役を演じられそうな気がします。決して松尾氏と似ているタイプの役者ではない・・と言うか、松尾氏に似ている役者なんていねえよ!なんですが(^_^;)。と思ったら、オクイ氏、今度は『マシーン日記』に出るという。あ、合ってるって思った。おそらく、ミチオ役だと思うんだケド。初演、再演は、有薗氏が演じていた。再々演時は、松尾スズキ氏。松尾氏曰く「本当は、俺がやろうと思って書いた役だった。」と言っていた。『マシーン日記』。私の大好きな芝居です。見終わったあと、清々しく、嫌な気分になれるんだ。あの、陰惨で血まみれの『オズの魔法使い』が、また見られるんだなぁ。

『ふくすけ』。ヒデイチが見る、終盤の幸せ家族の妄想が切ない。ふくすけが息子、ホテトル嬢のフタバは娘。そして、自分と妻のマス・・・そんな妄想の中の嘘家族。また、自分の妻・・・めくらの妻を殺したコオロギと、殺された妻・・・サカエとの会話も切ない。サカエの「私は死んだのよ、もう、アンタのお弁当も作れないの。」に、「死んでなんているものか。」と言うコオロギ。本当にダメ人間だけれど。「私は幸せ」と言うサカエに、一言、「私は本当は不幸せ。」と言って欲しかったんだろうな・・と。
めくらで、自分のようなダメ男と結婚して、幸せなワケはない・・と思いたかったコオロギ。「めくらのオマエが、幸せのワケない。」と思いたかったコオロギ。でも、人が幸せと感じる感情なんて曖昧なモノだから、DV受けてたって、「幸せ」と思える奴は、思えるのだから、きっと、サカエは、本当に幸せだったのにね。
コオロギがサカエを殺す場面・・また、コレが陰惨で迫真の演技なんだ・・・を、背景に(スクリーンに映る)、殺されたサカエとコオロギが会話する。この演出がとても好きです。

そして、松尾氏やケラ氏得意の、多数場面、同時動かし(笑)。コレ、見慣れてない人には、頭の中、パニックだろうな・・・と、見慣れている私は、ほくそ笑む(笑)。
今回は、4場面の違う場面が、同時に舞台上に現れ、進行する。演劇でしか出来ない手法。映像には無理。凄く演劇的で、私は好きです。「観客を信頼してくれてる。」とも思うし。観客を信頼してないと、怖くてコレ、出来ないよね。松尾氏は以前「今の観客は、成熟してるから、これくらいは読み解ける。」と言っていて、それが嬉しかったな。松尾氏は、結構、お客を信頼しますよね。

『エッグ』。こちらは野田秀樹氏の作・演出。私、野田氏の脚本苦手なんですケドね(^_^;)。どうも、理屈っぽく見えてしまって・・・。東大出身で、頭の良い人だからかな?とも思うのだけれど。でも、夢の遊民社の舞台、結構見てたりするのは、夢の遊民社が好きだった、友人に連れられて行っていたから。

『エッグ』は、エッグと言う幻の競技と東京オリンピックを軸に話は進む。冒頭。この『エッグ』と言う競技を描いた寺山修司の戯曲が、改装中の劇場の梁から見つかった・・と言う導入で始まる。その戯曲を、野田秀樹が演じる、野田秀樹っぽい(笑)芸術監督が、読み下していくテイで物語は進む。
最初、現代で始まった物語は、読み進めると、実は、東京オリンピックの時代であるコトが分かり、しかも、男性ではなく、女性の競技であるコトが分かり、更に読み進めると、この東京オリンピックは、幻となった1940年代の戦前の東京オリンピックであるコトが分かる。そして、更に読み進めると、このオリンピック競技だと思っていたエッグが、実は、満州国での人体実験を表していたコトが分かる。

女オーナーが雇う『廊下のつぶやき』は、ネットのSNSなどにはびこる噂や、情報の不確かなモノの象徴なのだろう。廊下のつぶやきによって、流れた噂は、実態はないのに、実態を持ち、やがてうごめいて、本当になっていく。実態のない本当。
エッグは、「競技である」と言えば・・・世間が思ってしまえば、エッグは競技になるのだ。そう、“なる”のだ。
私は、我が物顔で、ネットで時事を切る輩が大嫌いなのだが(私が「嫌い」と言う言葉を使うのは珍しいです。嫌悪と言う意味合いが多分に含まれるので)、何故嫌いかと言えば、この雇われている『廊下のつぶやき』のような、曖昧模糊としたモノを介在してしかそこにいられない輩に少し、嫌悪があるのかも知れません。そして、私も、その一部であるコトに、嫌悪感があるのかも。
“情報”って何でしょう?アナタは、何処まで、情報を信じられますか?

野田氏は、スポーツ・・オリンピックのナショナリズムと、軍国主義のナショナリズムとを重ね合わせたかったらしい。
確かに、スポーツ・・特にオリンピック競技は、自国を応援しますよね。ナショナリズムを是とする。私もそうだし、おそらく、殆どの人は、大してそれに疑問を持たずに、ナショナリズムを是とする。「敵国負けろ!」と言う。当たり前なのに、なんだろう?冷静に考えると、ちょっと気持ち悪いね・・と思ってしまう。そっか。スポーツは、肯定されたナショナリズムの場なんだね。

あと、女オーナーの台詞「外科医と言えば、男性をイメージし、オーナーと言うと男性をイメージする。」は、確かにな・・とも思う。このイメージを逆手にとった演出もいくつか出てくる。特に、男性競技だと思って描いていたエッグが、女性の競技だった時の場面とか。(この後、男優は、皆看護婦っぽい恰好をしてエッグに興じるのだが、この看護婦姿は、人体実験をしていた男性科学者が満州国から逃げる時の姿でもあったのか・・・。女装して逃げ出す・・と言うやつだ)

とても、意欲的で、凄いなぁ〜とは思うも、途中、ちょっと寝かけるって言う・・・(^_^;)。やはり、私には、ちょっと理屈っぽく感じるみたい。勿論、それが悪いワケではないです。完全に好みの問題。

この2つのお芝居。根底にあるのは「何某かの怒り」なのかな?と思いました。どちらも世間のままならぬモノに対しての怒りなのかも知れない。
この2本のお芝居を見て、そんなコトを思いました。
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