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2012年09月11日21:34

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熊野修験 秋峰入り

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9月7日〜9日

今回の熊野修験の奥駈は旭林道の登山口から釈迦ヶ岳に登り、弥山小屋、和佐又ヒュッテに泊まって吉野まで歩く。男性は二泊目は山上ヶ岳の桜本坊の宿坊に泊まる。
3月に始まった那智山からの奥駈の最後の行程だ。

この熊野修験の奥駈は3、4、5、9月と4回あるが、誰もが全コースに参加するわけではない。3月だけ参加とか、4月と9月だけ参加などなどそれぞれの人の都合で違う。
また、サポートで参加してくださる方も多い。送迎や車の配送、御接待などをしてくださる。

私が初めてこのコースを歩いたのは10年前だ。
それまでは日帰りの3、4月しか参加したことがなかった。この年は3、4、9月と参加した。
釈迦ヶ岳も八経ヶ岳も初めてだった。二泊三日の山行も20年近く経験していなかった。
不安と期待でいっぱいだった。
登山口から10時間かかって弥山小屋に着いたときはかなり疲れていた。大普賢岳の急な階段の下りはゆっくりと慎重だった。
くたびれ果てて着いた和佐又ヒュッテのお風呂がありがたかった。
吉野ではいくつかのお寺や神社で勤行する。その時はそれがちょっと面倒できつく感じられた。

翌年はやっと3、4、5、9月と全部参加させていただくことができ満行した。
その年は小学6年だった息子も3、4、9月と参加させていただいた。息子には初めての泊まりの山歩きだった。
一泊目は私と一緒の弥山小屋だったが、大普賢岳からは別行動だ。いろいろな男性の方々によろしくお願いした。
そのとき息子は山上ヶ岳の西の覗の修行もさせていただいた。
五番関で出迎えると息子は元気に歩いてきた。周りの男性から可愛がられていた。
吉野でお寺にお参りすると、満行できた感動で涙が溢れてきた。お参りできることが嬉しかった。

その翌年は息子も3、4、5、9月と全行程歩かせていただいて満行することができた。私も2年続けて満行することができた。
それ以降は3、4月の日帰りしか参加していなかった。
今回は8年ぶりの満行だ。

この8年の間に私は以前よりも多くの山歩きをするようになった。当時は紀伊半島の日帰りの山ばかりだったが、息子とテントでアルプスを縦走するようになった。そして一人でもテントを担いでアルプスに行くようにもなった。
あの頃よりも体力がついたし、山に慣れたなあと思う。当時は怖かった鎖場や垂直に近い階段が怖くない。
今回が初めてだという人が時間がかかっているのを見ると、自分もああだったんだろうなと思う。

大普賢岳で男性と別れて、いつもなら翌日は女人結界門のある五番関までサポートの人に車で送ってもらってそこから男性と合流するが、今年は林道が崩れていて五番関には行かれなった。それで、その先の百丁茶屋で合流することになった。

百丁茶屋には滋賀の行者さんの中島さんが女性の信者数人と我々を接待するために来てくれた。
中島さんは百丁茶屋にある二蔵小屋やそのあたりの山を管理して下さっている。今回も去年の台風で大きく崩れた山道を直して下さっていた。その場所を見たが、たくさんの土嚢が積まれていた。1週間ほど前に男性が木を切ったり力仕事をして、女性が土嚢を積んだと言っていた。
「直した道を最初に歩くのは熊野修験の方たちなんですよ。」と中島さんが言った。その道にはまだ通行止めのロープが張ってあって、他の人たちはまだ別の大天井岳回りの道しか通れないようになっていた。
改めてこの奥駈が多くの人によって支えられていることを感じた。

吉野に着くと、吉野だけ参加する方たちが待っていてくれていた。その中には私が大好きで尊敬している東京のFさんもいた。彼女の顔を見るととても嬉しくなった。以前よく参加されていた山伏のHさんと会うのも久しぶりだ。
今年は熊野修験再興25周年に当たるのだ。

蔵王堂に着く。
思わず涙が溢れてきた。
歩き通せて良かった。
般若心経を唱える。
今年の奥駈で勤行するたびに祈っていたことをまた祈る。
果たして私の祈りは通じるだろうか。

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崩れやすい道を直す中島さん。

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9年前、西の覗の修行をする息子。
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