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2012年08月26日07:52

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2012年夏休み列車旅 01

☆ 助走(2012年08月25日(土))

19時45分。
我が魔窟の雨戸を閉めて,屋外にあるプロパンガスの元栓を閉めて,新聞配達店に電話して旅行中の新聞配達停止を依頼して。
荷物を担いで,さて,出発。

路線バスにて最寄り駅まで,そして電車にて東京都心へ。
自転車を使わなかった点を除けば,いつもの通勤ルートとほぼ同じ。
違うのは,都心に入ってから,職場のある霞ヶ関には向かわず秋葉原にて地下鉄からJRに乗り換えたこと。

今日乗る列車の乗車券は,実は,すでにインターネットで手配してある。
確保した乗車券等はJR東日本の駅の指定券自動券売機で受け取ることが可能。
というわけで,無事に乗車券を入手。
その乗車券でもって,引き続き東京駅を目指す。

☆ はやぶさ3号(08月25日(土))
 東京0936−新青森1246

東京駅・新幹線21番ホーム。
9時25分ころに,折り返しになるE5系電車が入線してきた。
話には聞いていたけど,改めて実物を見ると,先頭車両のノーズの部分が,えらく長い。
ちょっと滑稽な印象すらある。

しばらく待たされて,9時33分,ようやく乗車開始。
乗車開始から発射まで3分しか余裕がないというのは,ちょっとせわしないような気がした。

はやぶさ号は全席指定で,自由席はない。
私の席は1号車2E。
最後尾車両の2列の窓側。
この車両もノーズ部分が長い分だけ,座席数が少ない。

列車は定刻に発車,数分もしないうちに,上野駅の地下ホームを通過していく。
かつての北への玄関駅をこともなげに通過してしまうのがちょっとさびしい気もするけれども,まあ,そんなことは私のような昭和世代の鉄道ファンのくだらない感傷に過ぎない。

私の座席は窓側であり,足元にはACコンセントがある。
さっそくPCを起動してACアダプタを接続し,日記風雑文をアップロードする。
そして,引き続きこの雑文を作成すべく,キーボードをパコパコと。

10時,大宮。
結構な数の乗車があり,車内はほぼ満席になった。
この列車を仮に上野に停めたとしても,こんなに乗客はいなかっただろう。
上野は通過するけど大宮は通過しない,たしかに合理的だ。

大宮を過ぎても,車掌による検札はない。
そういえば,新幹線では自動改札機による指定席チェック機能が働いているというのを聞いたような気がする。

国鉄という企業体が存在していたころ,上野・大宮を通る新幹線のことを,鉄道ファンは「緑の新幹線」と呼んでいた。
(東京駅から新横浜方面に向かう新幹線は「青い新幹線」。)
要するに,上野・大宮を通る新幹線車両はすべて,窓枠の周りが緑色だったり緑色のラインが入ったりしたカラーリングだったのだ。
国鉄がJRになってからも,JR東海はわりとかたくなに,青いラインという新幹線車両のカラーリングを守っている。
これに対してJR東日本の新幹線車両は,今やバリエーションに富んだものになっている。
おかげで,窓から見える新幹線車両の色もさまざま。
私の席は進行方向左側なので,反対方向にすれ違う新幹線車両はあまり見えない。
それでも,途中駅で先行列車を追い抜いたりするときに,やはりいろんなカラーの新幹線車両を見ることができた。
いろんなカラーがあるのは楽しい反面,「これぞ新幹線!」という塗装がないのはちょっとさびしいような気もする。

列車は仙台に停車し,盛岡に停車する。
11時58分に盛岡を発車すると,あとは終点新青森までノンストップ。
私は,その途中の八戸までは乗ったことがあるので,そこから先が今回初めて乗る区間ということになる。

列車は12時23分ころに八戸を通過し,12時33分ころに七戸十和田駅を通過した。
私が大好きだった南部縦貫鉄道の終着地,七戸の最寄り駅である七戸十和田駅の周辺は,見たところ何もないような感じだった。

南部縦貫鉄道が営業を休止したのは,もう15年も前のこと。
あの頃は,東北新幹線が青森までつながって七戸に新幹線の駅ができれば,南部縦貫鉄道もひょっとしたら存続の目があるんじゃないか,なんて夢みたいなことを考えていた。
まあ,冷静に考えてみれば,たとえ七戸十和田駅開業まで南部縦貫鉄道が持ちこたえたとしても,早晩廃止は免れなかっただろう。
とはいうものの,「南部縦貫鉄道が廃止になったのも当然だ」などと他者から言われると,やはりムッとしてしまうのが愛好者の複雑な心境だったりする。
経済的合理性という奴に反旗を翻して何とか生き残ろうとしていた南部縦貫鉄道に,昨今のグローバル市場における国民経済のあり方のヒントを見いだせないかと思うのだけれど,まあ,そんなことは私の感傷的な身びいきに過ぎない。

益体もないことをつらつら考えているうちに,列車は定刻に新青森駅に到着した。


☆ 三内丸山遺跡(08月25日(土))

新青森駅で,トイレを済ませて,コインロッカーを探す。
しばらく探した後,やっと,駅の東口にコインロッカーがあるのを見つけてそこに荷物を放り込む。

同じ東口のバス停に「ねぶたん号」というシャトルバスが来たのでそれに乗ろうとしたら。
「このバス,三内丸山遺跡に行きますよね」
「行きますけど,このバスは右回りルートなので1時間以上かかっちゃうんです。駅の南口から出ているねぶたん号は左回りルートなので10分ほどで行きますよ」
というわけで,橋上駅舎をえっちらおっちらと通り抜けて南口へ
そしたら。
ちょうど3分ほど前に,バスは出発してしまったところだった。
次のバスまで1時間40分ほどある。
仕方がない,いくらなんでもそこまで待ってはいられないので,タクシーを使うことにした。
やれやれ,きちんと予習してこなかったからこういうことになる(^^ゞ。
しかし,1人旅ではこういうときにもどうにだってできるから,あまり気にすることでもない(^^)。

南口のタクシー乗り場にいた個人タクシーの運転手さんは,ちょっと津軽なまりが強かったけど気の良いおっちゃんだった。
「バスだったら200円のところを,タクシーだと1000円だよ。お客さん,災難だったねぇ」
「いやまあ,きちんと下調べしてくれば良かったんだけど」

三内丸山遺跡には「縄文時遊館」という施設があって,ここが遺跡のミュージアムになっている。
その中で出土物を展示している「さんまるミュージアム」にて,展示物を見て回った。
三内丸山遺跡で出動する土偶は「板状土偶」という平べったい形の土偶で,どれもどこかが破損しているという。
ひょっとすると,身代わりに土偶を壊すという意味があったのではないか,例えば右足が痛かったら土偶の右足を壊すことで身代わりになってもらうということではなかったか,との推測もあるらしい。

三内丸山では,土器だけではなく漆塗りの木の器も使われていたという。
縄文時代の器は土器や石器ばかりだろうと思っていたので,ただの木の器ではない漆器があったというのはちょっと意外だった。

展示物をひとおり見終わったところで,ちょうど,ボランティアの方による遺跡案内があるとの案内放送が入ったので,出発地点の集合場所に行ってみた。

実は,三内丸山遺跡には,何年か前に1回来たことがある。
その時もボランティアの方の遺跡案内について回ったのだけれど,そのときのボランティアの方がおっしゃっていたのが,
「地下に学問,地上にロマン」
という言葉だった。

例えば。
三内丸山遺跡というと,公式ウェブページのトップにもデカデカと出ている,あの巨大な掘立柱建物が有名だろう。
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
しかし,本当にあのような構築物があったのかどうかは,実は分かっていないのだという。
実際に見つかったのは直径2メートル深さ2メートルの6個の穴と木柱の残骸。
その状態から,地上に大きな栗の木の柱が立っていたことは確認できるが,どのような構造物であったかまでは実は分からないのだという。
地下の痕跡を学問の見地からきっちり検証する,そしてその検証を基に,地上に何があったのかを自由に想像する。
「地下に学問,地上にロマン」

それで,同じような面白い説明を今回も聴けるのではないかと楽しみにしていたところ,今回も期待に違わぬ楽しい説明だった。
今回の案内は,昨年秋からボランティア説明員になったという,やはりちょっと津軽なまりの強いおばさま,というかお姉さま(^^)。
縄文時遊館の開業が東北新幹線八戸開業の1日前だったこととか(^^),青森県住宅供給公社の幹部職員が14億円もの公金を横領してチリ人妻に貢いだその損害を取り戻していないのに三内丸山遺跡の観光客(年間約30万人)からは金を取らないその太っ腹な経済感覚だとか(^^;,三内丸山遺跡の隣にある青森県運転免許センターを建設したときにも何か出土品があったんじゃないかなぁ(^^ゞ,とか,楽しい話題がてんこ盛りだった。

遺跡見学を適当に切り上げて,16時02分に出るバス「ねぶたん号」で新青森駅に戻るべく,バス停へ。
しかし,実際にこのバスがやってきたのは16時15分ころ。
三内丸山遺跡から乗り込んだ乗客によって,バスは満席になってしまった。
次の「県立美術館前」バス停で待っていた人に運転手さんが
「満員なのでお乗せできないんですよ」
と話していたところで,おそらく地元の人であろうお子さん連れのお母さんが
「じゃあ,私たち,近所なので,降りますよ」と申し出てくれた。
おかげで,県立美術館前で待っていた人たち,無事にバスに乗ることができた。

新青森駅南口には14分遅れの16時27分に到着。
えっちらおっちらと東口に回って,コインロッカーから荷物を出して。
さて,これから青森駅まで移動しなければならない。
JRの列車に乗ろうと思って在来線の改札口に向かったら,函館行きの特急スーパー白鳥27号が16時41分に発車するという。
青森までだったら特急券なしで自由席車両に乗車可能とのことだったので,遠慮なく乗り込んだ。
ほどなく青森駅に到着,公式ウェブサイトの情報だと青森駅から徒歩25分という今宵のお宿へ向かう。


☆ 味の札幌 大西(08月25日(土))

あ,そうそう,今回の旅行では晩御飯に縛りをかけることにした。
コンビニ弁当などで晩御飯を済ますことを禁止する。
コンビニ弁当ではなく,駅弁を買って宿の部屋で食べることについては,おまけして大目に見る。
もちろん,地元の食堂などで晩御飯を食べることは,何ら問題なし。
結果,地元の食堂にめぼしいところがなく,駅弁などの確保にも失敗した場合は,晩御飯抜きということになる(T_T)。

ところで。
私の趣味のひとつはカレーライスの食べ歩きであるのだけれど,カレーライスの上を行く国民食とも言うべきラーメンに関しては,私はあまりこだわりがない。
まあ,父も母も札幌出身であるので,札幌ラーメンの流儀に従って麺は縮れ麺が好みだけれど,ストレート麺が嫌いというわけでもない。

しかるに先日,「カレーの王女さま」という4コマ漫画を読んでいたら,「カレーラーメン」が取り上げられていた。
たしか,室蘭にカレーラーメンがあるのはどこかで聞いた気がしていたけれど,なんと,青森には30年ほど前から「味噌カレー牛乳ラーメン」というメニューがあるという。
せっかく青森に来たのだから,カレー好きとしてはこれを食さないわけにいくまい。
というわけで,「青森味噌カレー牛乳ラーメン普及会」のウェブサイト(http://www.misokare-gyu.com/modules/tinyd0/)でこのラーメンを出す店舗を調べ,宿から比較的近いところにある「味の札幌 大西」に行ってみることにした。

で,20時ころにお店に着いてみると。
お店が入っているビルの外側には足場が組まれていて,なんと,工事中。
それでも「営業中」の表示はあったので,店の中に入った。
テーブル席がひとつ,小上がりには10人ほども座れそうな掘りごたつテーブルがふたつ,カウンター席が9席ほど。
私が入ったときは,小上がりに4人の家族連れが1組いただけだった。

予定通り,味噌カレー牛乳ラーメンを注文して。
お店の壁の表示を見て,自分の幸運に感謝した。
というのが,8月21日から8月24日まで,店舗とビルの改装工事のため臨時休業だったのだそうで。
いやぁ,このお店,昨日まで臨時休業だったのね。
ウェブページのどこにもそんなこと書いてなかったような気がするけど。

それで,肝腎の味噌カレー牛乳ラーメンは。
麺は太めの縮れ麺(^^)。
スープは,味噌の味は後景に退いていて,脂の浮いたミルクカレーという印象。
「日本一のカレーうどん」と称された東京巣鴨「古奈屋」のカレーうどんの,牛乳をたっぷり使ったクリーミーなカレー汁を思い出した。
さすがは,30年前から愛されてきたお味。
優しくてまろやかな,美味しいカレーラーメンだった。

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