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2011年10月23日16:44

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萩原朔太郎展

世田谷文学館で開催中の『萩原朔太郎展』を見てきました。チケットは、毎度お馴染み、新聞屋さんからの貰い物。新聞屋さん本当に有難う。私は新聞屋さんの善意で色々見ています。

常設展で、萩原朔太郎の娘さんの、萩原葉子さん(エッセイスト)の展示もやってて、そっちから見てしまったんだが。葉子さんは、両親の離婚後、父方の祖母に育てられて、あんまり、幸せな環境ではなかったようです。で、自分も離婚しちゃうんですが。息子さんは、作家の萩原朔美氏ですな。この家は、3代物書きなんだねぇ。

私知らなかったのだが、朔太郎氏は、下北沢や、代田に住んでいたそうで。だから、世田谷文学館で、この展示なのね。生誕125年記念でもあるらしい。

葉子さんは40代でダンスを習って、60代でオブジェ制作を始めたりしたそうな。オブジェの展示もあったケド、やっぱり猫モティーフなんだなぁ〜。(虫モティーフもあったが)
人形や、時計も猫モティーフだった。
で、原稿展示もありました。何でも評論家の山岸外史氏が突然家におしかけて、『青い花』という同人に作品を書けと言われたそうな。で、父親の思い出を書くようにも勧められたと。それが、エッセイストになるきっかけらしい。文章書きの人ってえのは、パンチが強い人が多いよね。フィジカル表現する人より、言葉悪いが「変わり者」が多いような気がするの。
山岸氏は酒飲んで酔っ払ったまま葉子さんの家に来たらしい(^_^;)。

葉子さんのお葬式の模様が、朔美氏が編集したらしい映像作品として流れてました。

で、何故か、この文学館には、ムットーニさんのからくり人形が沢山あって、時間になると、それを動かしてくれる。で、それも見てきた。
夏目漱石の夢十夜の『漂流者』、『The Spirit Of Song』(曲は宮沢和史氏だった)、村上春樹の『眠り』、『Alone Rende Zvoius』、レイ・ブラッドベリの刺青の男より『万華鏡』があった。
朗読は、ムットーニ氏本人がやるんですね。
私、ムットーニさんの動いている作品は初めて見たかも知れんです。動いてない状態の人形は見たことあるけれど。

で、それを見た後、企画展の、萩原朔太郎展に行きました。
壁に、朔太郎の詩や箴言が、書かれているのだが、どうにも読んでしまうね。だから進みが遅い遅い・・・。

『直接感電がないものは詩ではない』(浄罪詩篇ノオト)とか。もう、恰好良いやら、恰好良すぎて、若干ムカつくやら(笑)。

朔太郎氏って、「幻想詩」って言われたりするケド、私にとっては、幻想と言うより『幻覚』に近いんだよな。幻覚詩・・とでも言えば良いのだろうか。

朔太郎は、若い頃は都会(朔太郎は前橋生まれ)や西洋文化に憧れ、それらに失望し、現実のあらゆるものへ向けて激しい怒りの感情を詠うようになったそうな。
萩原家は医者だったそうなのだが、朔太郎の父親の兄の長男の栄次さんって人が、朔太郎に文学の手ほどきをしたらしく、朔太郎氏は、この従兄弟(よね?)の栄次さんをとても尊敬していたらしい。栄次さんに宛てた書簡の展示などもあった。

で、朔太郎氏は、詩集を作ろうとして、絵(版画)を田中恭吉って人に頼むのだが、この方、23歳で亡くなってしまった・・と言う。田中さんの手紙もありました。『熱が高くて、仕事できません』みたいな断りの手紙だったのだが。結果、絵は、恩地孝四郎と言う方が担当するらしいのだが、朔太郎は、その人に宛てて、田中さんが死んじゃったコトへの落胆の手紙を書いていたりした(これも展示してあった)。
田中氏の版画作品の展示もありました。凄く不思議〜な幻想絵だった。こちらは、幻覚ではなく、幻想的だったなぁ。

朔太郎氏らしいのは、この頃朔太郎は『草木姦淫』と言う奇妙な病気にかかっていて、それになりました・・って言う内容の書簡があった。草木とエッチする病気(てか、コレ、病気だったの?性癖じゃないの?)だったと思ったよ。草木姦淫。赤江瀑氏の小説にも、草木姦淫の話が出てくる(こちらは、木とセックスする男の話)。
幻覚小説家っぽい症状。

この辺りで、竹の詩が出来てくるのだが、この竹の小説も何か不思議で、擬人化みたいな部分もあって、この方、竹とも草木姦淫してたのかなぁ?って思った。

で、朔太郎は、やたら、大学で落第して、落第するたび学校変えて、それでも卒業できなかったみたいなのですが(^_^;)。あんまりマジメに授業出てなかったんじゃないかな??
27歳の時、北原白秋に出会います。で、北原白秋主宰の『朱樂』と言う同人に詩が5篇掲載され、コレで詩壇に登場!室生犀星と友達になったりしたようです。
一緒に写ってる写真の展示もあった。

30歳の時、ドフトエフスキーを耽読し、神を見る経験をしたらしい。神様見ちゃったの?でも、手紙に『あれはやっぱり気のせいでした』って書いてあった(^_^;)。
で。この頃、大手拓次氏と交流し、鎌倉で療養していた日夏耿之介と親交を持つ。
うわぁ〜!!もう、この辺り、幻想文学バカには堪りませんな。
大手拓次に日夏耿之介ですよっ!!私、この名前だけで大興奮ですよっ。
因みに。大手拓次氏は、室生犀星、朔太郎と共に、白秋門下三羽鴉と呼ばれていたらしいのだが、大手拓次氏は生前に詩集を刊行せずに亡くなってしまったそうな。死後に出たんだね。私、大手さんの詩も好きなんだよな。

その頃の手紙に朔太郎は『在京中の御厚情は忘れることが出来ません。私の恋人が二人できました。室生照道(犀星)と北原隆吉(白秋)です。』と書いている。恋人って言っちゃうくらい仲良くて、また尊敬もしていたのでしょう。

33歳で結婚して43歳で離婚。2児を引き取る。そのうちの1人が前述の葉子さんだな。

本の展示もあったのですが、『猫町』は、朔太郎が唯一書いた小説らしい。(舞台設定は、下北沢だったようだよ) この本、デザインも朔太郎がやったらしいのだが、朔太郎は絵も描くし、デザインするのも好きだったようだ。詩人は絵が上手いんだよね。堀口大学氏は絵が下手だったらしく、「どうして僕は絵が下手なんだろう。詩人は皆絵が上手いのに・・・」って、コンプレックスに思っていたそうだよ。

『明星』って言う有名な短歌同人には短歌も発表。

原稿展示もあるのだが、『蛙の死』 『恋を恋する人』の草稿があり、書き込み(メモ?)が凄い。細かっ!直しの文章なのか、メモなのか。詩ってインスピレーションで作るんじゃなくて、草稿作って、ブラッシュアップして、何回も推敲して作られていくんだなぁ〜って分かった。あと、朔太郎氏の字はしっかりしている。
『猫』の草稿も書き込みが細かかった。メモっぽい部分に『ねぼけん海援隊』って書いてあるように見えたのだが・・・何なんだろう??

そんな中、お父さんの密蔵さんに宛てた手紙があるのだが、最初は『落第ばかりしてスミマセン』と言う詫びの手紙だったのに、途中、『人生とは何ぞや、空なり・・』と、宗教感を語る文章になり、最後、『来月分の学費をご送付下さい』になっていた。結果、金のむしんの手紙じゃねえか(^_^;)。
おうちが医者だったから、裕福は裕福だったんだろうね。途中宗教感を挟んだのは、ただむしんするのが、こっ恥ずかしかったのだろうか?

あと、朔太郎とは関係ないが、個人的に『卓上噴水』の表紙絵が、この間、古代ギリシャ展で見た、ウサギと若者の絵だったのに「おおう!」と思う。

朔太郎氏は、他、音楽やったり、写真やったりと、幅が広い活動もしています。朔太郎が弾いていた楽器の展示もあった。マンドリンとギターを弾いていて、朔太郎の自筆の楽譜の展示もありました。(因みに、娘の葉子さんは、ハープをやっていた。)
あと、斎藤総産と言う、マンドリン倶楽部の後援者には第1楽章『アレグレット』、最終章『フィナーレ』のように、曲形式で手紙を書いたりしてました(コレも展示されていた)。

写真はステレオカメラと言う、立体写真が撮れるカメラに嵌っていたらしく、その作品も展示されてました。道の写真や、波止場の写真、大森付近の写真などがあった。立体写真って、そんなにハッキリ立体になるワケではないんだな。奥行きがあるように見える・・・くらいかな?と。3D映画みたいに飛び出しては来ないんだね(^_^;)。

朔太郎には箴言や警句も多いらしいのだが。
妻の教訓ってのが面白かった。
『私の別れた妻が、私に教へてくれた教訓は1つしかない。観念(イデア)で物を食はうとしないで、胃袋で消化せよと言ふことだった。妻はいつも食事の時にもっと生々した言葉でこれを言った。「ぼんやりしてないで、さっさと食べてしまいなさい」』(絶望の逃走)

私、朔太郎の気持ち少し分かるんだよなぁ。私、食に殆ど興味がないので、ぶっちゃけ食事って嫌いなんですよ。だから「食べる意味」とか考えちゃうんだよ。朔太郎風に言えば、イデアな。
でもサ。コレ、家事やってる奥さんからしたら、「そんなど〜〜〜でも良いコト考えてないで、さっさと食べてよ!片付かないでしょ!」でしょ?
もうね・・・そりゃ離婚するは・・・みたいな(^_^;)。
朔太郎は、どうやら、結婚したら「何かが変わる」と思っていた節があって、言い方悪いケド、現実逃避と言う意味合いで結婚した部分もあるみたい。それじゃあ、結婚生活は上手くいかねえよなぁ〜・・・って、ちょっと思った。

『南京陥落の日』。朔太郎の唯一の戦争詩なのだが、書簡が残ってて『気が弱くて断りきれずに書いてしまった』と書いてあった。戦意高揚に使う戦争詩は書きたくなかったようです。

他、司修氏の『朔太郎に寄せて』って言う絵の展示もあった。マーブリングの技法のような、ドロっとした感じのマチエールが好きです。狼の絵なのかな?そんなのもあった。

舟越保武氏の絵と頭部の彫像があって、「何で?」と思ったら、何でも、舟越さんの妻と、朔太郎の長女の葉子さんは、文化学院で同級生だったらしい。その関係で作ったようです。

最後、猫町の一部が壁に書かれ、ムットーニさんの猫町からくり人形があった。
からくり人形は動かす時間が決まっているので、暫く待って、そのからくり人形を見ました。
『猫町』は主人公が、下北沢と思しき街を散策中、猫だらけの街に行ってしまう、幻想小説(幻覚小説)。

他、猫町モティーフの映像作品もあったのだが、こちらは時間がなくて見られなかった(-_-;)。見たかったな・・・猫町映像。見たい方は、世田谷文学館にあらかじめ上映時間を訊いてから行った方が良いと思う。(6回くらい上映するんだケド)

お土産は、朔太郎の写真付きクリアファイル。

なかなか面白い作品展だとは思います。
あと、やっぱりちょっと思ったのは。
今、作家さんて、殆ど、PCで文章書くよね。そうなると、こういう原稿展示とかは、なくなるんだろうなぁ〜って思いました。○○先生が使っていたPCです・・とか、そんな展示になるんでしょうかね?何か、それも味気ないなぁ〜って思うよね。
文章は、文字で見ると、その時、その人が、どんな気持ちだったか、少し分かるような気がするから。
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