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2011年08月06日22:16

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NO MORE ヒロシマ。NO MORE ナガサキ。〜原爆に関する日記集〜




身内に被爆者がいるのに日記に父から聞いた体験談を書くのが精一杯です。
せめて、過去に日記に書き連ねたことをどなたにでも覗いて頂きやすいように
ホームに窓口を作りたいと思います。

とりあえず、関連のある日記を貼り付けておくのでぜひ、覗いてみて下さい。
コメント欄で話が膨らんだり、リンク先が貼付されたりしていることもありますので、コメント欄にも目を通していただけると幸いです。


重い内容なので、コメントをし辛いかと思います。
読んでいただけるだけでもありがたいと思っていますので。

「読んだよ」と、一言だけでも足跡を残していただけたなら、
本当に嬉しくて感謝の雨霰でございます。

そしてこれらの話を誰かに伝えたいと感じていただけたとしたら、
語り継ぎとしてこちらへのリンクを
身近な方々にだけでも伝えて頂ければ
原爆で家族や友を亡くした父も本望です。



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黙とう
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=895456634&owner_id=19426232

エピソード
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=898154902&owner_id=19426232

父の8月15日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=913648320&owner_id=19426232

父からのメッセージ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=925972227&owner_id=19426232

ハロルド・アグニュー博士 広島へ行く〜愉快♨さんへのレス〜
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=934068821&owner_id=19426232

大道あや展、行きました♪
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=942758214&owner_id=19426232
 ↑
最後の日記はちょっと話がズレてるけど、平和のありがたみに溢れた内容だと思うので付けておきます。




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父はこの一連の日記の中で話すチャンスを与えて頂いたことにとても感謝をしております。

父はmixiをやっておりませんので、この一連の日記の中でみなさんから頂いたコメントも、この頃父に読んで聞かせました。

揚げ句、「う〜ん…」と、考え込み、
「頭が痛ぉなるの覚悟でまたパソコンに向こうてみるけぇ、
 何日か待っとってくれ。」
と、電話を切りました。

そして送られてきたものが下のものです。

きちんとまとめてからアップしようと思いつつ、一時mixiから遠のいていた期間などもあり、
遅ればせながらのアップになってしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

相変わらずの堅い文面で読みづらいかもしれませんが、
父の意図せんことが婉曲されないように、
父の表現をそのまま尊重して掲載させて頂きたいと思います。

読んでいただくのにちょっと根気を要するかもしれませんが、
おつきあいいただければありがたき幸せですぴかぴか(新しい)





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『父からのメッセージ・2』


人間は思考力を持つ動物だ。
また人間個々の考えも千差万別だ。
だから、ある時点のある現象に対する判断も千差万別だ。

原爆投下と云う行動をどのように解釈し、如何なる価値を見出すか、
も、人それぞれによって異なる筈だ。

1945年8月の日本の情勢、世界の情勢がどのようなものだったか。
また、パパが生まれて終戦までの日本はどんな状態だったか、
と、熟慮する人も居るだろうし、
終戦後の日本の繁栄を見てこの問題を考える人も居るだろう。

アメリカ人の大多数は当時の日本への原爆投下を肯定している。
当時の日本の状況に視線を向けてみると、それもまた致し方なし、
と、パパは感じる。

昭和に入ってから日本の国民は、まさに軍部(特に陸軍)に洗脳され、
戦争をすることの正当性を植えつけられて、
『神国日本は絶対に負ける事はない!』と、信じていた。

しかしいざ戦ってみると、近代戦術の物量作戦に対応する事が出来ず、
精神論のみで無闇に玉砕を繰り返し敗退を重ねていった。

1945年(昭和20年)時点で、世界に誇った
大日本帝国海軍の聯合艦隊は壊滅状態だった。
世界一と言われ、不沈戦艦だと信じられた“大和”も九州沖で海の藻屑となった。
折しも連合国は日本に対して降伏を呼びかけるいわゆるポツダム宣言を発してきた。
時に陸軍はこの宣言を拒否して本土決戦をやるべし、と、言い張った。
海軍は駄目でも陸軍はまだ100万以上の軍隊を残している。
そして満州(現中国東北部)には無傷の関東軍もいる。
更に本土決戦になれば国民も必死に肉弾攻撃をするはずだし、
またやるべきだ、と、主張した。
現実にパパの町でも、
パパのお父さん達が軍から支給された“竹槍”を担いで国道を示威行進し、
それを陸軍大佐が壇上で閲兵するのを手を叩いて応援したし、
国民学校(戦争中は小学校の事を“国民学校”と言った)で竹槍訓練をやらされたものだ。
当時は本当に竹槍でアメリカ兵と戦え、と、洗脳されていたんだ。
本土決戦となれば、子供であろうと女であろうと老人であろうと、
みんな本気で敵兵に槍一本で突っ込んでいったことだろう。
だから本土決戦になっていたら、
もっともっと多数の兵隊、一般市民が死んでいただろう。

そんな折に日本は原爆に見舞われ、
8月9日には日ソ不可侵条約を一方的に破ってソ連軍がいきなり満州に侵入してきて
天下無双といわれた関東軍を打ち破った。
ここに至ってはもう仕方ない、渋る陸軍を「天皇の御意志」と言う切り札で押し切り、
鈴木貫太郎内閣はポツダム宣言受託を相手に伝え、降伏した。

更に言うならば、ソ連が参戦した時点でソ連軍は北海道上陸作戦を考え、
現にソ連潜水艦を北海道沖まで侵入させていた。
これを時の連合軍最高司令官マッカーサー元帥が強硬に反対し、
スターリンはソ連軍に潜水艦の引き戻しを命じたのだ。

これも『原爆を持ったアメリカ』の優位性がなした事であり、
もしこの時そのままソ連が北海道上陸を成し遂げていたなら、
戦後の日本は今の韓国・北朝鮮、あるいは
かつての西ドイツ・東ドイツのように分断国家になっていただろう
(これは飽くまでパパの考え)。

以上の状況を鑑みて、長い物指しで見るならば、
原爆を起点にして戦後の苦しい時代を乗り越えて
現在の日本の繁栄があると考えられなくもない。

故にアメリカ人のマジョリティは原爆投下を肯定し、
そうする事によって日本を救ったと教えられている。
だけどアメリカ人の中にも投下を批判する人はいる。

先に言ったように人それぞれで判断は異なる。当然の事だ。
互いの考え、互いの判断を尊重しなければいけない。

だから今は、原爆投下は是か否か、それを問うのではない。
現在は世界中に核が散らばっている。
相手とのバランスを保ちたいがため、
或いは自我の存在を示さんがため、
色々その国の事情に基づいて核を保有している。

こういった時に、家族を原爆で失った我々はただ単に被害者意識で
原爆反対、落とした奴が悪い、と、叫ぶのではなくて、
核被爆の悲惨さを世界中に知らしめなければならないのだ。

現在の水爆は広島・長崎の何百倍、何千倍も威力が大きくなっている。
何かの間違いで暴発、誤発する事があるかもしれない。
人間のやる事だ、絶対ないとは言い切れない。
また核保有国の中に狂信的な権力者が出ないとも限らない。
現在の核爆弾が連鎖的に爆発したなら、地球規模で被害を被る。
本当に人類は滅びてしまう。

その観点で被爆者たる我々は根気よく、激しく、
核廃絶を訴え続けなければいけないし、
現代の若者たちに引き継いでいってもらいたい。




            上野平 耕三 拝




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追随。
父からFAXを受け取ってから
確認方々この文面のことについて父と話していたのですが、
“竹槍”のくだりに触れたとき父は

「パパも竹槍の作り方教えられて“マイ・竹槍”作ったわ(笑)
 栄養失調の小学生に軍は
 『これでアメリカ兵に突っ込めーーーっ!』って
 本気でそういうことさせようとしとったんやからなぁ。笑わせる。
 そんなん、ババババババッ!て、機関銃で一掃されて、
 ハイ、おしまい、よ。」

と、ゲラゲラ笑って話しておりました。


長いものにつきあわせてしまい、本当に申し訳ありませんでした。
そして、最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。

伴侶を亡くして寂しい余生を送る一老人の戯言と、
どこかで割り切って受けとめていただければ幸いです。





最後に、

私がこの一連の日記の中で言いたいことは、
父が上記で言っている部分と重なってしまいますが、
ある日記の中で述べている、

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日本がしなくてはならないことは、
アメリカを責めることではなく、謝罪要求をすることでもなく、
被害者意識が先行した体験談を吐露するのでもなく、
ひとえに、
『だから“核”は地球上から根絶しなくてはならないのだよ』
と、いうことを、
“世界で唯一の被爆国家であるからこその経験”を踏まえて
世界に強い意志を持って発信することだと思うのです。

あくまでも“そのため”に、
被爆した人間がどんなに凄惨な目に遭ったかを、知らしめなくてはならない。
被爆した人間やその家族の痛みや苦しみ、怒りや悲しみの感情は、
それを目的に発露されなくてはならない。
ただの恨みごとではいかんのです。

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ここに尽きるのかもしれません。



もしもここに掲載されている全ての日記と、
日記の中でリンクされている全てのものに目を通して頂けた方がいらしたとしたら、
本当に、本当に、心から感謝いたします。

ありがとうございました。






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