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2011年08月02日00:29

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7/22 fudge

昨年は楽しみに待つ時間が秋まで続いたのですが、今年は6月から7月にかけて皆さんやって来ては去っていき、夏本番を迎える前に祭りの後を迎えてしまいました。今はバルト前半の山崎さんのサックスの音色が気がつくと頭の中を流れています。じわじわ効く薬というか遅効性の毒というか、あたかも時限装置が組み込まれたような音色だったのだなあと実感しています。

土曜日(30日)は大通方面に午前中から自転車で出かけ、いろいろな用件を片づけていると帰りにはもう暗くなっていました。そしてfudgeの入っている興和産業ビルの前を通りかかると、1階の出入口のガラス戸には1週間前と変わらずJJF北海道ツアーの緑と青のフライヤーが複数枚貼られたままに。
その時の気持ちを何と表せばよいのでしょう。国破れて山河あり? 陽はまた登る? 決して寂寥ばかりではない、温かさも入り交じった感情でした(月曜の夜にはもうなくなっていました。)。

さて、JJF北海道ツアー後半の話に戻ります。
幕別百年記念ホールの後、こちらは火水木と札幌で働き、JJFの皆さんは弟子屈辻谷商店、釧路HOBO、富良野野良窯を経て22日の金曜日。
17日と18日は小規模とはいえ旅をして、こちらが非日常に足を踏み入れる感覚がありましたが、今度はJJFの皆さんが我々の日常の中にやってきてくれます。

そうすると、夕方に翌日がデッドラインの仕事を渡されるというあまりに日常すぎる出来事が起きました。しかし、当日中の処理を迫られなかっただけよかったというべきでしょう。翌日は本当は休日なのですが、私が処理した後バトンタッチすべき相手方も1日出勤してくれるので、夕方までに何とかすればよいことに。万が一にもアミカに間に合わなくなることのないよう、私も明日は午前中から職場に出ようという気持ちを固めました。日常といってもそんなに頻繁にあっては困る出来事ですが。

明日のアミカに影響の及ぶことのないよう、この日もやれるところまではやっておかなければなりません。fudgeのサイトには19時開場19時半開演なる記述もあったのですが、JJFの皆さんのお知らせを信じ、19時半開場20時開演の前提でfudgeを目指すことにしました。fudgeは職場からそんなに遠くなく東へ6丁くらい。これまでもゆかりの方々が御出演されており、前は何度も通ったことがあります。

職場でデスクに向かって作業しているうちに19時も15分近くとなり、そろそろ玄界灘、いや限界だなと撤収にかかり、残りは明日の作業に委ねることとして、自転車でfudgeに向かいました。

激走にならない程度に急ぎ、fudgeの入る興和産業ビルの前に自転車を駐めて3階に上がっていった時には19時半を少し過ぎていたと思います。するとどうでしょう。予約もしておらず、焦ってやってきたというのに、トップバッターとしての入場ではありませんか。

fudgeにはカウンター席もありますが、テーブル席の最前列に就くと御出演の方々とはこれまで経験のないような至近距離となります。しかし、帯広、幕別と最前で通してきたので、このツアー、行けるところまでいってみようと最前中央に座ってみました。開演後には山崎さんの正面になりそうな位置でした。

帯広や幕別では見知った人もありませんでしたが、札幌では客席にも日常の香りが漂います。ふだん札幌でのライブでよく御一緒になる方々、先月のtricolorの時にもお見かけした中村さんの高校時代の御学友とそのお連れの方々。
中村さんとはひと月おいただけの再会ですが、じょんさんとトシさんは昨秋のオータムフェスト西6丁目会場でお会いして以来だったようです。そして今回のツアーでは御学友から連絡を受けた御両親が帯広百年記念館を訪れていたようでした。
息子から言われて来たと御両親がおっしゃり、中村さんが去年のオータムフェストに来てくれた誰々君の御両親と説明すると、じょんさんやトシさんが、ああ、あのイケメンの!と反応し、それを聞いた御両親は息子をイケメンと言われて満更でもなさそうだったと。
このエビソードはツアー中に複数回披露されていましたし、そう言われてみればあの御家族かなと私も思い当たります。こういうのがツアーの複数箇所を訪れる醍醐味かもしれません。

また、御学友の御一行、札幌でのライブでよく顔を合わせるちえさん御一行、そして私がたまたま同じテーブルとなったのですが、開演前、御学友がお連れの方にannieの由来やじょんさんの御本名を問われてわからないとお答えしているのを聞いたちえさんが、教えたくてうずうずしてるんじゃない?という趣旨のことを私におっしゃるので、ついつい調子に乗って、同時期に2人の転校生があって〜とか、大久保真奈さんとおっしゃるのです〜などと口をはさんでしまいました。何も言われなければ黙っていたと思うのですが。

北海道で御学友と再会というと中村さんの独壇場の観がありましたが、この日はじょんさんの中高(東京の女子校?)時代の御学友もいらしていました。小柄で凛とした印象の女性で、現在は札幌で教育関係の職に就いておられるのか、職場の同僚風の男女を5名ほど伴い、集客にも寄与されていました。この辺りは私も見習わなければなりません(S氏はせっかく札幌人となったのに、この日は所用で欠席でした。)。

終演後に旧交を温めるのをお隣で聞いていると、じょんさんからは札幌出身の元モー娘メンバーのようにお名前の最初の音にアクセントを置いて呼ばれ、卒業後はライブの時くらいしか会わなかったものねといった話をされていました。じょんさんの同級生ということは私が東京にいた頃はまだ就職前だったわけですから、どこかのライブ会場で御一緒になる可能性もあったのかもしれません。

また、隣の人ずいぶん変わっちゃったねというような御発言もあったと思うのですが、隣りでバウロンを叩いているのが、可憐な廣瀬さんからいつの間にか屈強なトシさんに〜という趣旨なのかなと想像して聞いていました。
その流れからでしたか、終演後にはじょんさんから廣瀬さんの話題を聞く機会もありました。最後にお会いしてからもう2年くらいになります。またいつかハープやバウロンのお姿を拝見する機会があるとよいのですが。

終演後にまで先走ってしまいましたが、話を戻します。

開演少し前には東京から遠来の客人お二人も登場。
以前も御一緒になったことがあったのかもしれませんが、私が気がつくようになったのは今春くらいから。たまに上京すると行く先々で必ずお見かけし、志向を同じくする熱心な方々なのだということは容易に想像がついていました。
特に年配の方のお客様とは今春以降でも4か所くらいは御一緒していると思います。4月には新宿タワーレコードにもいらしたのではないかと思いますし、翌日の公園通クラシックスでは私の少し後方に着席しておられ、終演後に内藤さんと親しくお話しされていました。5月には表参道のヤマナシヘムスロイド前で三脚の傍らに佇んでおられたのではないかと思いますし、翌日の西荻窪CLOP CLOPでは今回のお二人にもうお一方加えた3人が私の前列にずらり並んでおられたと思います。
昨秋の北海道ツアーではなかったことで、興奮が静かに高まります。

さて、開演ですが、この日のコンセプトはメガネ!でした。
じょんさんの伊達メガネは可愛らしかったですが、男性陣の中には物語に出てくる悪い人のようになっている方もありました。

なぜそのようなことになったかというと、じょんさんが開演が迫る時間にコンタクトを割ってしまったそうなのです。すわ人前では見せたことのないお眼鏡姿での演奏かという騒動になったといいます(それはそれで拝見してみたかった気がしますが)。
そこで訪れた近所のアイシティ。山崎さんはパルコとおっしゃっていたような気がしますが、近所でアイシティが入っているとなると4丁目プラザの上層階ではないかと思います。じょんさんは普段は上野店を利用されているとの由ですが、さすが現代企業、オンラインで結ばれた顧客情報が瞬く間に表示され、折良く在庫もあって割ってしまったものと同じものを購入することができたとのことです。しばらく新調していなかったので検査なりを経るべきところ、開演30分前という事情を話して分けてもらったとのことでした。
それだけで済めばいいのですが、なぜか眼鏡で盛り上がって同じ4プラ(?)の1階で皆さん競ってファッショングラスを買い求め、そのお姿での登場となったとのこと。興奮に華を添えます。

演奏の方も札幌では初のワンマンをたっぷりと楽しませていただきました。
夜も更けて、背後の開け放った窓から伝わる雑踏のさざめきが音色といい感じに溶け合っていました。

「古い映画の話」では、じょんさんの声がかすれ気味に聞こえました。連投に強いタイプではないと想像される繊細な歌声なので、6連投の負担やお疲れは大丈夫なのかなと終演後に心配を申し上げたのですが、かえって失礼になってしまったでしょうか。その朝、喉がイガイガした由で、風邪症状が出てしまったのではないかとのことでしたが、翌日のアミカでは全く遜色のない歌声で安心しました。釧路と東京では実に20度もの気温差があり、メンバーの中には帰京後に風邪を召した方もいらしたようです。すぐにまた催しが続きますから、くれぐれも御自愛をお願いしたいと思います。

SelmaやSally Gallyでは客人が率先して流石の手拍子のタイミング。もう少しタメてからでもと思いつつ引っ張られました。

終演後の自然発生的な打ち上げも楽しかったです。中村さんは御学友と旧交を温めておられ、私や客人は主に山崎さんを囲んでいました。じょんさんも御学友が帰られた後いろいろお話を聞かせてくださいました。

中村さんが御学友を送っていかれて戻られるまで中座された時間がかなりあり、実はその間、翌日に中村さんのお誕生日を祝うサプライズのための密談が交わされていました。ケーキは操さんを通じて香聡庵のみかさんに手配済みとのこと。クラッカーの用意は東京からの客人が引き受けてくれました。ドンキあるかなとのじょんさんの言葉に、そこにハンズもありますと指差しましたが、本当は地元の我々がコーディネートしなければならないところを客人たち、かたじけない。

日付が変わっていましたが、中村さんの帰りを待って、最後は私と東京からの客人の3人で小松崎邸へ向かう中村車をお見送りしました。楽器を積み込んだ後、メンバーの皆さんが我々に握手を求めてくださいました。私は自転車に手をかけた状態だったので片手になってしまいましたが、4人それぞれの手の大きさや感触の違いなど興味深かったです。

東京からの客人が小松崎さんの家は草刈りが大変なようだが札幌市内なのかなどと語らっていたので、地下鉄で数駅くらいの距離で、草刈りは市内の御自宅とは別の追分という場所なのだと教えて差し上げてお別れしました。

月曜日のバウロンワークショップのことまで一気に書こうかと思っていたのですが、金曜のfudgeだけでこんな分量になってしまいました。土曜のアミカ以降のことはもしも機会があれば稿を改めて書きたいと思います。
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