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2009年11月14日21:47

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【車】別れ

今日は三連休の最終日です。午前6時30分起床、7時30分に自宅を出立。平和トライアルパークでトライアルの練習です!

小雨が降っていますが気にしない、気にしない。雨具を着れば大丈夫。昨日に引き続き爆音を響かせ、愛車フィアット・プント・スポルティング・アバルトを駆ります。8時に現地に着くと、既にバイク屋さんのH地工場長、トライアルの先輩F川ご夫妻が準備されてました。僕も愛馬モンちゃんことHonda RTL250Rにまたがり、練習開始です。濡れるので、さすがにカメラで自分の走りを撮影することはできませんでした。

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ちょっと走ると愛馬モンちゃんは泥だらけ(笑)↑。基本の8の字走行など、見てくれる人がいるのは本当にありがたいです。走ればF川さんご夫妻がアドバイスをくださり、止まればH地工場長がバイクの調整をしてくれます。「お大尽遊び」とはこのことかも。

楽しい時間は矢のように過ぎます。10時を過ぎるとF川さんご夫妻とH地工場長は仕事等のため撤収されました。雨も本降りになってきて、一人で走るのはさみしい。時間はまだたっぷりあります。さて、どうしよう?この時間を利用して、いよいよクルマの入れ替えをすることにしましょうか。

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クルマに泥だらけのトライアル用品一式を積み込み一旦帰宅。シャワーを浴びた後、昨日目星をつけた車両のある、岩見沢に出発です。

ところで、事前にクルマ屋さんに連絡したところ、自動車ってお金さえ持っていけば買えるわけじゃないんですね。何せ今のプントを買ったのが10年以上前のこと、すっかり手続きを忘れていました。実印に印鑑証明が最低限必要です。また、車両の代金を支払っても、乗って帰る訳にはいかないらしい。車庫証明が出なければ原則無理だとか。クレジットカードが使えないというのも知らなかったなぁ。

なんかアメリカの映画みたく、スマートにクルマを乗り換えるイメージを持っていましたが、現実は厳しい。日本じゃ無理なのね。でもまぁ仕方ない、書類をそろえて岩見沢にGo! 道央高速道をひた走り、岩見沢ICを降りました。

目指すクルマ屋さんまであと少し、岩見沢の市街地を走っていると、突然「ゴン」という不吉な音が車体の下からしました!その後「がらがら」と何かを引きずっているようです。すぐにプントを止め、恐る恐る下側をのぞきこんでみると…

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こんな光景が目に飛び込んできました。ついに、ついにやらかしてしまいました…。よくよく見ると、マフラーの触媒から先の部分が折れ、脱落しているようです。

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昨日はマフラーに開いた小さな穴だったのが、走っているうちに急激に亀裂が広がったのでしょうね。さて、どうしよう?目指すクルマ屋さんはあと2キロほど。JAFを呼ぶか?いや〜、時間がかかるし、登録が切れているはず。迷ったあげく、そのままそろそろと時速30キロで目的地を目指すことにしました。

着いたクルマ屋さんはディーラーで、修理工場が併設されていました。これ幸いとファンカーゴの購入手続きの間に応急処置をしてもらいます。タイコ部分に穴をあけて針金を通し、何とか走れるようにしてもらいました。さて、これで札幌に戻れる!

ゆるゆると札幌を目指します。とにかく運転しているとエンジンがウルサいのなんのって、ヘッドセットなしでヘリコプターに乗っているようです。やっぱり愛車を見捨てた罰が当たったのでしょうか?走りながら、プントとの日々が思い出されます。

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このクルマを購入したのは99(H11)年です。以前に2000年と書いた記憶もありますが(苦笑)、それは間違い。僕が北見支社にいたときでしたね。そもそも札幌本社から北見に転勤したのが94(H6)年9月で、28歳のときでした。

北見市は北海道網走支庁の中心都市で、そのころ人口10万人余でした。地方の常で公共交通機関はバスしかなく、社会人はクルマを一台ずつ持つのが当たり前。僕も転勤してすぐ、会社の先輩N川さんから15万円でホンダ・プレリュードの4WSを譲り受けました。何しろ初めて持つ自分だけの自家用車で、走るのがうれしかったことでした。

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仕事の方はパッとしませんでした。生来不器用で要領が悪く、職場の先輩からも見放されていた感があります。これからどうなるのかと不安でいっぱいだった97年3月、一つの転機が訪れます。

札幌本社のエース、S井さんという方が北見に転勤してこられたのです。この方はものすごく仕事が出来、本社にいたころは怖いイメージでいたのですが、支社でお話してみるととても気さくで、仕事に行き詰まっていた僕は本当に救われました。

このS井さんのご趣味がクルマ、特にラテン車だったのです。ランチャ・デルタHFインテグラーレ16Vから同エボIIジアッラに乗り換えたり、日常の足は「実物大チョロQ」と呼ばれたマツダAZ1だったり。その後ローバーMGFやらロータス・エリーゼやら、果てはフェラーリ308からポルシェ944まで、色々なクルマを楽しんでおられました。

尊敬する先輩が空き時間に熱っぽく語るクルマ話の毒に、僕もすっかりやられてしまったのでしょうね。そのころ札幌に帰省すると、必ず石狩街道沿いのアルファロメオの代理店「アレーゼ札幌」に通うのが習慣になってしまいました。初めて155に試乗させてもらったときのことは忘れられません。

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2リッター4気筒ツインスパークモデルに乗り、アクセルを踏み込んで3千回転を超えると、突然フロントガラスから見える風景が一変して驚きました。エンジンの回転が上がるにつれ、何とも言えず気持ちが高揚するのです。「官能的」と言われるアルファの魅力が垣間見えた瞬間でした。その後156、145、166、147と様々な現代のアルファに試乗したとき、いつも共通するのはこの官能でした。とはいえ、新鮮な驚きだったせいなのか、この155における「盛り上がり」を超える感動は、どのアルファでも未だに味わっていないのが残念です。

156が出てすぐのころで、僕も買おうかと呻吟しました。ちょうどプレリュードが不調になり、乗り換えの時期でもありました。しかし、当時の給料では相当無理があります。なにせ400万円。随分悩みました。でも結局買えなかったですね。身の丈にあったクルマを買おう、でもイタリアの官能は捨てがたい。そういうときに出会ったのがフィアット・プント・スポルティング・アバルトでした。

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CVT変速ばかりだったプントの中で唯一マニュアルミッション。エンジンは1200ccと小さいながら、きびきびとした走りとハッチバックの利便性を兼ね備え、しかもお値段は156の半分、200万円!理想的でしたね。早速買おうと思ったのですが、色でつまづきました。

当時プンタボは3色で展開していました。黒、赤、黄です。赤は血のごとく濃いアルファロッソを見慣れると、なんだかうすぼけて見えるフィアットレッド。黄色はS井さんのデルタHFエボIIジアッラと同色になるので避けたい。残るは黒なのですが、黒い小型車がバラバラになるような、ひどい交通事故現場を見たことのある僕は、どうにもこの色がイヤでした。クルマ自体はいいんだが、色がどうにも決まらない。2か月ほど迷っていると、アレーゼの担当セールスはとうとうしびれを切らしたようで、格安で全塗装するけどどう?と提案をしてきたのです。

これは渡りに舟の話でした。さて、じゃあ何色を塗る?プント・カブリオ限定色の青が気に入りました。日本国内ではこの色のプンタボは珍しいでしょう。納車されたのが99年の秋口でしたかね。


新車で乗ってみると、プントは国産と文法からして違う設計・組み立てをされたクルマで、多いに戸惑い、または楽しませてくれました。多くの日本車でフロントガラス中央下にある時計は、プントではルームミラー上部にあります。ライトをつけっぱなしでもエンジンキーを抜くと全部消灯します。助手席をキーロックすると、運転席も集中ロックされます。とにかくユーザーを信用していないというか、フールプルーフな作りは便利でした。

安いクルマで、電動ウィンドウのオートスイッチすらついていないにもかかわらず、なぜかヘッドライトの光軸の上下調節ができます。これは夏の長いバカンスで家族総出・荷物満載で出かけた時、ライトが上向きになるのを避けるためとか。日本車では完全装備されているボトルホルダーや小物入れはほとんどナシ。サイドミラーの調節・格納は手動。車体パネルのつなぎ目に隙間があったり、モールがはがれかけていたり。隙だらけなのにユニークで、憎めません。後席を倒すと荷室が広いので重宝しましたね。

さて、イタ車といえば故障の代名詞です。プントもとにかく壊れました。というか、納車したての段階で、

(1)助手席側ウィンドウスイッチが押せない
(2)ウィンドウウォッシャー液の噴出口がフロントウィンドウに向いておらず、真上に噴水のようにウォッシャーが吹き出る
(3)エンジン回転がばらけるので調べると、4本のプラグケーブルのうち1本が断線していた

と新車状態でトホホな感じです。その後

(4)燃料ポンプが冬に破損し、エンジン不動になる
(5)原因不明の漏電箇所があり、一冬に一度はバッテリーがあがる
(6)スポーツ仕様のため純正で車高調サス。そのためクリアランスが少なく、オイルパンが割れたり、社員寮の駐車場で冬に埋まったりを繰り返す
(7)突然ウィンカーが出なくなる
(8)突然ギアが入らなくなる

と色々お騒がせなヤツでした。(5)についてはその後対策を施しましたが、それでも油断はならなかったなぁ。僕自身もぶつけたり、他の人からぶつけられたり、お巡りさんに捕まったり、好きな女の人と一緒にデートしたり、11年間、様々な思い出を作ってくれました。

そうそう、うちの父が助手席に乗っている時、「郵便を出す」というのでポストの横に止めたら、ドアをポストに直撃させたこともあったなぁ。青いドアに赤いへこみができて、後々まで父は「高い郵便代についた」とぼやいてましたっけ(笑)。

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三十台から四十台をともに過ごしたプントとも、札幌についたらお別れです。10年以上走行したラテン車で、下取り価格などつくはずもありません。ファンカーゴのクルマ屋さんに渡したら、スクラップヤードに直行です。それは忍びない。一番いいのは大事にしてくれる人に乗ってもらうことです。

プントをいつも治してくれた整備士のK藤さんは元々プジョーで働いていた人で、現在はラテン車全般を扱う工場を一人で切り盛りしています。話してみると快くプントを引き取ってくれることになりました。札幌市白石区にある工場に直行し、ファンカーゴがきたらカーナビとETCを移植する手はずを整え、車検証など書類一式をお譲りしました。その後記念写真を一枚。

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喜んで下さったご様子で、僕もうれしい限りです。最後にダッシュボードを撮って、プントとお別れです。総走行距離は55,052キロでした。

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機械に感情移入するなんてセンチメンタルこの上ないことですが、それにしても人間臭いところのあるクルマでした。K藤さんと、今回のこの故障も、別れ話で立腹した故なのかなぁ、なんて話しました。すると高速道路で壊れなかったのはプント一流の優しさなのか?本当のところはただの偶然なんでしょうが、そう思いたくなる気持ちがあります。次のファンカーゴとはどんな思い出を作れるでしょうか。一つの別れの物語でした
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