mixiユーザー(id:18218462)

2009年08月07日01:29

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非核三原則というイデア、世界平和というイデア、反戦のイデア

「やられればやる」という「やられることが前提のラッパ」は大ペテンにすぎません。

「やられる(かもしれない)恐怖」を「やることが正しい」にすりかえて煽り立てている、ただそれだけのことにすぎません。



ましてや、核を持つことが相手への抑止力になる、などというのは徒に乱暴なだけで、万が一実現してしまえば破滅へのカウントダウンを早めるに過ぎない愚論。




ただ、その愚論がまかり通ってしまうのは考え物ですが、
どのような愚論でアレ、その活動が平和的な手段で行われている以上は、制約されることがあってはならないです。





また、
その愚論への支持が、到底多数派となりえない程度の勢力に収まっている限りにおいて、
そういった愚論があるということ自体が、必ずしも負の効果だけではなく、時には有効なカードとなりうる可能性は否定はしません。
(つまりは、ある種の恫喝を肯定してしまっているわけなので、ムナクソ悪いですが、じっさい外交においてはしばしば有効です、残念ながら)

もちろん、ワタシ自身はそのような愚論に加担するつもりは毛頭ありませんが。



しかし、それも全ては、「現状では実現不可能だ」と感じられかねない域にまで純化された理想・理念・イデアとしての平和を追求しようという意思があって初めて意味があることです。
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