セザンヌの絵は、絵の具の質感も少なく、写実的でもなく、果物の絵などは構図の不自然で、余り好きではありませんでした。
よく晴れて高い青空の合う、「みなとみらい」にその理由を探しに行きました。
誤解が解けました。
筆や絵の具の使い方にも、物語を内包するような絵にも、考え抜かれた構図にも、当然なのですが、全部理由があったのです。
目に見えたものを、そのまま風景や人物、静物として切り取って絵にするのではなく、どのように表現すれば、その背景や物語、空気感を伝えられるか、神経質な位に考え抜かれた結果が一枚一枚の絵になっているのです。
言葉で伝えるのはなかなか難しいのですが、既成観念を打ち破る、それも単に打ち破るだけでなく、伝統のいい部分も利用しながら変えて行く。結果、革新的な画法や考え方が生まれ、ヨーロッパでも日本でも、新しい彼の手法や考え方に倣う、基にする画家がたくさん現れました。
写真でも、ある瞬間を捉えながら、背景を思わせるものがあります。でも、決定的に違うのは、「在るものを写す」ことと、「作者の思いも含めて描き込む」ということ。改めて、絵の凄さを感じました。(作者の思いをどう理解するかは見る人に委ねられているのですが…)
目を閉じて、いつまでも残る、ある意味、自分の頭の中で(都合よく)整理された光景。そんな印象がする絵画たちでした。影響を受けた画家を含め、論理的な構成で、とてもお得感のある、おすすめの展覧会です。
東京と違い、それほど混んでませんので、時間をかけてゆっくり観ることができました。
でも、みなとみらいって、最近またずいぶん変わったと感じました。
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