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2008年12月04日14:54

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【バイク】愛車遍歴

現在所有する2台のバイクに「うっちゃん」「竹ちゃん」とニックネームをつけているワタクシ。実生活上バイクにそう呼びかけたりはしないんですが、ミクシィ日記で便利なんです。

ところで、42歳の今日に至るまで、幾つもの「乗り物」を所有してきました。名前をつけたもの、つけなかったものがあります。自分の備忘のために、振り返って書き記してみたいと思います。


幼児の時買い与えられた三輪車は記憶にほとんどないのですが、確か小学一年生のとき、親に子供用自転車を買ってもらったようです。近所の上級生を真似て補助輪を取り外すと自ら言ったはずなのです。次第にサイズが合わなくなり、5年生のころには完全に放棄。家にあった共用の自転車に乗っていました。自分用のがなくても不便は感じていなかったですね。札幌在住なので公共交通機関がそれなりにあり、どこへ行くにもバスと地下鉄でした。

高卒後一浪して盛岡に転居。2年間住みました。最初は自転車がなく、遠出するときは大学のサークルの仲間の自転車の後ろに載っけてもらっていました。札幌に比べると交通機関が少なくて不便なので、お金を貯めて安い自転車を買いました。ロードというにも恥ずかしい、スチールの重いフレームにドロップハンドルがついた赤いチャリで、バーハンドルに換装してブレーキレバーをリバースタイプにしたのが、唯一の贅沢でした。

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ちなみにリバースレバーというのは↑こんなのです。


盛岡での生活は二年で終わり、赤い自転車と一緒に札幌に戻って一年。今度は所沢に引っ越しです。ここで自転車に愛称が付きました。その名もザンザン1号です。

なんでザンザンなのか?今でも判然としませんが、僕の住んでいた所沢市東部はけっこう起伏の激しい土地でした。登り坂をよく、息を切らしてペダルを漕いでいた様を友人達に見られ、「またザンザン走っていたね」と言われたのがきっかけだったような…。とにかく考えてみると、もう20年近い昔のことで、よく覚えていません。

このとき知り合った友人たちがバイク、それもオフロードを所有している割合が高かったのです。今でも親しく付き合っているマイミクのY君はキックのセロー、バイク雑誌の編集者になったH君はヤマハのDT125に200のエンジンを積んでいました。「ボレアース」(北風の意)というカッコイイ名前がついていましたが、外装がヤレていたので、みんな「ぼろアース」と呼んでいましたね。

他にもTDR250に乗った人、Y君のセローをその後引き取ったI君、ハスラー50に乗ったN君など、思い出は尽きません。酷使したせいかザンザン1号のハンドルが折れたりしたこともあり、僕もバイクを買うことにしたのです。

ザンザン2号はHonda MTX50Rでした。所沢のバイク屋さんで中古で15万だったかな?いや〜、一気に世界が広がりましたね。所沢から学校のある池袋の方まで行ったり、時には渋谷まで足を伸ばしたりしました。一度H君に誘われて長野県小諸市に行ったら、サプライズでY君、I君が待っていてくれたりして、うれしいことでした。今から考えるとアクセル全開にしても80キロ出るか出ないかの遅いバイクだったはずです…。

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自宅のある所沢の奥から、西武新宿線の航空公園駅の駐輪場に走るのが毎日の日課でしたね。学校に通うのも、バイトに行くにも、毎日毎日乗っていました。ところでザンザン1号はその後アパートに停めていたのですが盗まれてしまいました。けっこうボロボロで、ハンドルも折れている自転車をどうして持っていったのか?残念なことです。


4年住んだ所沢を引き払うとき、ザンザン2号は先輩のご友人にお譲りしました。色々バタバタして、ちゃんと引き継ぎをしなかったのが心残りです。もうとっくに廃車になったんでしょうけど。札幌に戻って1年は個人所有の乗り物のない生活で、用事のあるときは親の自家用車を借りていました。

でも社会人になって余裕が出来てきたので、中型二輪免許をとってバイクを買いました。ザンザン3号は新車のKawasaki KLE400。バイク屋さんと馴染めず孤独で、ソロツーリングでもあまり走った思い出がありません。支笏湖のほとりで立ちゴケして往生しましたっけ。

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1年半後、網走の近くの北見市に引っ越し。ここはもう地方都市なんで、クルマがなくてはほとんど生活できません。先輩からホンダ・プレリュードの中古車を安く譲ってもらいました。4WSがついたタイプでしたね。

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こう考えてみると、現在に至るまで2輪の乗り物には名前を付け、4輪の乗り物にはつけないんですね。このクルマには5年ほどお世話になりました。着座ポジションが独特で、長距離乗ると腰が痛くなって参りましたっけ。ザンザン3号は北見ではほとんど出番がなく、雨ざらしで可哀想な状況でした。バイク好きの同僚に譲った正確な年月も忘れたほどです。

5年ほど乗ると、プレリュードは相当痛んでしまいました。札幌〜北見間を何度も往復しましたからねぇ。エンジン、4WSと次々壊れ、最終的には燃費が3キロ/Lに。これはもういけません。思い切って新車を買うことにしたのが2000年、現在のフィアット・プント・スポルティング・アバルトです。

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日本には黒・黄・赤の3色が輸入されていましたが、僕は青が欲しかったので塗ってもらいました。現在まで9年、5万キロ乗っています。最近ギアの調子が良くなくて困ってますが…。


北見ではクルマ生活のせいか、太りはじめました。こりゃいかん、ということで買ったのがザンザン4号です↓。

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ドイツ製の折りたたみ自転車「BD-1」ですね。これは便利に乗り回していました。ブルホーンハンドルをつけたり、色々改造する楽しみも覚えました。とはいえ完全に「脇役」な乗り物で、遠出することもなかったですねぇ。


さて北見に5年半暮らした後釧路に引っ越し、5年を過ごすことになります。この間、乗り物は全く関心の外で、プントと自転車で満足していました。札幌に10年ぶりに戻ってから事態は動きます。

今も忘れない2006年、大阪出張したついでに、何か遊ぼうと思ったのですね。九州に友人がおり、日本国内では四国に上陸した経験がなかったのでレンタルバイクで走ってみようと思いついたんです。なぜそう考えたかは覚えていませんが…。

このとき借りたのがYamaha XJR400。大阪を出発して淡路島経由で松山を通り、フェリーで九州に渡って福岡泊まり。門司から大阪まではまたフェリー、3日で1000キロ走りました。

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これで完全に運命が変わりましたね。この年の10月、大急ぎで大型二輪免許を取得、ふらりと立ち寄ったBMWモトラッド店・アウフヴィントでO村社長と出会い、翌07年春にBMW R1200STを購入してしまったのです。

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いままでの命名法に従えば、STは「ザンザン5号」ということになります。しかしどうも歴代、ザンザンという名前がつくと縁起が悪い気がしました。そこでナンバープレートから一文字とって「うっちゃん」と呼ぶことにしたのです。

ところで、昨年暮れにセローを購入したとき、ナンバープレートにあった平仮名は「け」でした。「けっちゃん」は滑舌が悪いし、「けっちん」だとキックスタートのときに脚が痛くなりそうです(笑)。そこでこのときはエンジンのオーバーホールをしたメカニックさんの名前を取って「竹ちゃん」としました。

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ザンザン4号たるBD-1は会社の同僚にお譲りし、現段階ではクルマ1台、バイク2台体勢でおります。こうして文字にしてみると、けっこう乗ってるんですね。次に何に乗るのか分かりませんが、人・バイクともにいい出会いをしたいものです
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