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2019年06月26日18:32

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一昨年は100メートル100本、去年は230メートル80本で同じことをしてきたのだから、知らなかったのではなく、カマトトぶって知ることをネグレクトしてきただけだ。

■真夏日に「100周走れ」=サッカー部顧問を懲戒−千葉県
(時事通信社 - 06月26日 16:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5680320

100周とか、小学生が口にする100万円くらいに迂遠でバカげた話なんですけど、マジメにやっちゃうからね。
知らなかったみたいにカマトトぶってるけど、知る気がなかったし、知ることを自らネグレクトしてきただけですよ。
無知で無能だから無罪です、という振る舞いをしていれば許されると思っている典型例ですな。

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去年は26歳講師が野球部員に100m100回させて、今年はさっそく31歳が230m80回させようってか? https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1967462855&owner_id=65933753&full=1

■顧問が「80周走れ」=中2熱中症で搬送−大津
(時事通信社 - 07月14日 13:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5200346


スポ根講師がまだいたか?って見たから、去年の8月に100m100本で熱中症になった症例のときの被疑者は26歳だったってのを思い出してほしい。

てか、10周を期待して4周だったからムカついて80周とか意味不明すぎてなんも言えねえな。
いくら暑くても、他人に当たるようなバカじゃ救急隊も手に負えねえよ。

それでも昔から倒れます http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1962311604&owner_id=65933753&full=1

■野球部員「100m走100本」で熱中症 コーチの指示
(朝日新聞デジタル - 08月27日 19:40)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4736709

現代の26歳とは思えない知識の欠如が見られる先生ですな。こんな先生に子息は預けたくないものです。

2016年08月20日 14:30
■奈良・生駒市長「運動場に温度計設置を」 熱中症で部活の中1男子死亡
(産経新聞 - 08月19日 08:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=3&from=diary&id=4150215

気温が29℃だから別に・・・なんてつぶやきを去年見つけたときに、今時湿度を加味せずに暑さ指数(WBGT)を考慮しないのがいるかなと思った自分を恥じましたね。

いたよ、みたいな。

だいたい29℃でやられてたのが恥なら、1926年の5月の群馬県の小学生15名は華氏81℃(摂氏27℃)でバタバタ倒れてます(「熱中症時代 戦前編」(パオロ・マッツァリーノ『「昔はよかった」病』pp.160-161))から、大恥辱(注)です。

フォト


注:1926年1月13日と同年2月15日の朝日新聞に掲載された『中学生』の広告のキャッチコピーに「中学へ入って『中学生』を読まないのは大恥辱」というものがありました。

日本は江戸までいっても暑いし、思考体系が明治〜大正〜昭和時代から進化していないやつもいます。

「(8月3日の)日本海洋少年団全国大会の開会式で、300人の団員が暑さのため倒れたそうだ。
30度足らずの暑さ、それもわずか一時間ほど立っていただけで、団員の一割が倒れたなど、私たちの少年時代を振り返ってみると不思議な気がする。
そのころ学校で、全校生徒が一時間以上の集合は常時のことだったが、その中で倒れた者など私の記憶には残っていない。
からだを大切にすることを考えすぎて、鍛練を忘れているのではあるまいか。
肉体も精神も鍛えて抵抗力をつけることが真の健康である。」(『読売新聞』1969年8月12日付、広島県71歳無職男性)

「近年、兵隊のみならず、小中学生まで日射病でバタバタ倒れるようになった。近頃の若者は、とんと意気地がなくて困ったもんだ。」(鴉勘左衛門『農閑出鱈目草』(弘学館書店、1916年))

近代デジタルライブラリー - 農閑出鱈目草

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955074/4

「兵卒が日射病で倒れたり死亡したりするたびに、新聞や世論は兵卒虐待、人命軽視と軍を批判しているが、そんなもん、数千人の兵のなかの数名の弱いものが死んだだけだ。」(三浦了覚『禅と武士道 坤』(小田栄吉、1915年))

「徳川時代に在籍していた昌平校の儒者、若山先生は、学生が薄弱なのを憤って炎天下に体操させる鍛練を課した。何人か死んだが、先生は気にせず続行した。」(Ibid.)

言うまでもないことですが、そんなことするやつが儒者なわけないですからね。
単なる『狂人』の域を出ません。
孔子が弟子に対してそんなことをした記述がいまだかつてありましたか。
若山先生なんてのは、『論語』を一度たりとも読んだことのないエセ儒者でしかなかったのですから。

○ベテランの炭鉱作業員でも油断すると熱中症にかかるので体の強い弱いの問題ではありません。
今で言うハワイアンズは、昔は常磐炭鉱でしたが、1944年から1949年の5年間に絞っても140例上がっています(東北大学医学部による)。

○1897年7月、徳島の小学校の閉校式の時に児童4名が罹患(読売新聞)
○1898年7月、遠州森町(現静岡県)の小学生が罰として(当時は苛虐、と呼ばれていました)炎天下に2時間立たせていたら罹患
○1912年7月、宮城県で700名の中学生を神社に集めたら50名が罹患。
○1924年6月、東京・本郷の小学校で2・3名が罹患。この学校ではここ数日毎日のように4・5名が罹患していた。
○1926年7月、札幌の少年赤十字団連合の発会式で150名の児童が罹患。
○1926年8月、北海道から上京した少年が罹患し、本郷の交番前で倒れる。
○1926年8月、千葉県で華氏100度の中、中等学校陸上競技会が行われ、選手・観客数十名が罹患。
○1927年夏、当時19歳の後のスター俳優になる長谷川一夫もとい林長二郎が鰻丼2杯を平らげたにもかかわらず炎天下に映画撮影をして倒れた。
○1906年8月、愛知県で強行軍の練習をしていたら800名の兵士が倒れた。
○1909年、大阪、浜松などでもやはり倒れた。高崎では6名の死亡者が出た。群馬はやはり暑い。
○1914年7月、山口県秋吉台の特命検閲演習で70名から200名が倒れ、7名が死亡。

昔から倒れてますねぇ。弱くなったとかつぶやいたユーザーは、罪深いですねぇ。

もしそれでも熱中症患者は弱いと言いたいのであれば、いますぐフランスに行ってメッタ打ちにされて殺されてきてはいかがでしょうか。そんなことに怯える日本男児じゃないでしょう?

http://blog.tatsuru.com/2012/06/11_1431.php
エアコンが突発的に止まったために、高齢者がただちに熱中症で死に至るというケースも想像しにくい。
フランスでは2003年の異常高温で、全土で15000人の熱中症による死者が出たことがある。夜間が高温で、そのために何日も寝不足が続き、心身がはげしく消耗した高齢者の死者が多かった。
いくつか原因があるが、医療体制の不備、政府の対応の遅さの他に、フランスでは一般家庭にエアコンというものが装備されていないことが挙げられる(パリで暑いのは盛夏の3週間だけで8月下旬には秋風が立つ。エアコンを買うなら、その予算で盛夏期に都会を離れて、田舎にバカンスに出かけた方がずっと快適である)。

http://worldwatch-japan.org/NEWS/ecoeconomyupdate2006-5.html
夏の熱波で5万2千人以上のヨーロッパ人が死亡 WorldWatch-Japan.org

連日の高温と、今夏は再び猛暑になる可能性があるという気象学者の警告を受け、ヨーロッパの公衆衛生当局者と政治家は、2003年の破壊的な熱波を再検証している。
(・・・)2003年夏の熱波では、合計で5万2千人以上のヨーロッパ人が死亡し、欧米の歴史において、もっとも破壊的な気象災害の一つになった。

2003年、ヨーロッパは少なくとも過去500年で最も暑い夏となり、多くの国々で、最高気温が更新された。異常な高温は6月に始まり、8月最初の2週間の容赦のない熱波でピークに達した。
日中も夜間も気温は高いままで、高齢者をはじめ、多くの災害弱者が焼けつくような暑さで死亡した。

病院は、非常に大きな負担を抱え、葬儀屋と葬儀場は悲鳴を上げた。
フランスでは、熱波の発生を警告する医師の声は、その大問題の認識を拒絶する同国保健省によって抑えられた。

このことは、数日で700人以上の死者を出した1995年のシカゴの熱波を、行政が当初拒絶したことを思い出させるものであった。

しかし死者数が膨らむにつれて、仮の遺体安置所が必要となり、「無視して放置」することはもはやできなくなった。

報道では、多数の犠牲者が出る恐れを予測していたが、より正確な死者数が明らかになったのは、熱波が終わってずいぶんたってからであった。

フランスは、不十分な医療機関と緩慢な政府の対応への批判に直面し、熱波の真の被害を明らかにする疫学的調査を発表した最初の国の一つになった。

2003年9月末には、フランス国立保健研究所は、8月の最初の20日間で、熱波により1万4800人以上が死亡したと発表した。熱波のピークには、死亡者数は1日で2千人を超えた。

このフランスの報告書とその他の当初の数字を用いて、2003年10月にアースポリシー研究所は、2003年ヨーロッパの熱波での仮の死者数集計を詳しく伝えた。
当時は、高温のために約3万5千人が死亡していたようであった。
当研究所では現在、この数字さえも実際より少なく見積もっていたことを確信している。
過去数年間で少しずつ漏れ出てきた新たな情報の中で、最大の驚きはイタリアのデータであった。
イタリア国家統計局によると、2003年夏の死者数は、前年より1万8千人以上多かった。
イタリアでは、前年の気温より平均で約8.9℃も高かった地域もあり、8月だけで、高温関連と思われる死者数は9700人であった。
これらの数字は、イタリア全土で熱波によりおよそ4千人が死亡したというイタリア保健省の当初の予想を大きく上回った。

(・・・)メディアでの強烈な印象は言うまでもなく、後にはっきりとしたダメージや死者を残すハリケーンや竜巻とは違い、熱波は静かに人命を奪う。
たとえ高温によって循環不全、呼吸器不全、脱水症を引き起こしていたとしても、検死官の報告書には、一番の死因として「暑さ」があげられることはほとんどない。
従って、熱波が終わっての死者数が平年の死者数と比較できて初めて、正確な犠牲者の数が分かり始める。
しかし、公衆衛生当局の失敗を認めたがらない政府は、たいてい、そのような数字を目立たぬように公表するのである。

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