<誰もが憧れたことがある推しのアーティストとの対面 B’zのMeet & Greet SARD UNDER GROUNDのリリース記念イベント(私との直接会話の内容 中東情勢 米カーター大統領 ZARDの坂井泉水>
今回、誰しも憧れたことのある、推しのアーティストとの対面エピソードを公開する。第1章は、SNSのX(旧ツィッター)で、公開数日で6万以上のイイね!がついた新婚夫婦を繋いだB’zとの直接対面である。第2章は、私自身と、ZARDのトリビュートバンドとして世に送り出された「SARD UNDER GROUND」の会話である。最終第3章として、アーティストとファンの付き合い方について考察した。
目次
第1章 Xで話題の記事 新婚夫婦の間を結んだB’zのエピソード
(1)新婚夫婦が描くB’zと出会う夢
(2)B’zとの直接対面
第2章 私自身とSARD UNDER GROUNDの対面
(1)リリース記念イベント、挨拶程度から始まり、
(2) 2023年9月10日(日)埼玉県羽生市でのリリース記念イベント パレスチナ情勢を持ち出す
(3) デビュー5周年を迎えた2024年 ガザ情勢、そしてカーター大統領
(4) シナイ半島の厳しい防衛政策
(5) ZARDの曲から和平について語る
(6) 2024年10月1日以降、SARD UNDER GROUNDの活動の転機、そしてカーター大統領が旅立つ
第3章 まとめ アーティストとファンとの付き合い方について
関連日記 2025年5月27日 ZARDの坂井泉水の命日 SARD UNDER GROUNDの歩み
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1990042964&owner_id=32437106
END
第1章 Xで話題の記事 新婚夫婦の間を結んだB’zのエピソード
前回B’z関連日記 1月23日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989264890&owner_id=32437106
年があけても、2人組のロックユニット「B’z」関連の話題が尽きない。各メディアから、紅白歌合戦の出場により、潜在的なファンを掘り起こしたと分析されている。
詳細記事 写真 掲載元 ねとらぼ 2025年1月24日付
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2501/24/news051.html
話題のユーザー 小咲もも Xアカウント
(1)新婚夫婦が描くB’zと出会う夢
今回SNSのX(旧ツィッター)に投稿されたB’zの二人とファンを繋ぐ不思議なエピソードが掲載されていた。
投稿者は「小咲もも」さん、B'zを通して、夫の心情の変化を赤裸々に綴っていた。新婚の頃まで遡る10年前(推定2015年頃)のことだった。毎晩仕事に疲れていた夫が、活力を無くしていた。しまいには「会社を辞める」と言い出した。新婚生活早々に躓き、将来についても悲観的になった。所属先の会社に、素直に気持ちを伝えると、「部署移動」で決着がついた。ただし人事異動の準備から、2ヶ月先と告げられた。
確かに、今の部署から離れることが決まったとはいえ、その間人間関係においても揉めやすい。なぜなら、部署のメンバーは、自ら配置転換を申したことを知っている可能性が高いからである。夫は、会社の対応に納得しつつも、移動までの引継ぎの間、心が折れそうになったという。
投稿者の小咲ももさんは、これまで以上につらい2ヶ月を耐え続けている夫に対して、何か力になれないか、と考えをめぐらした。
そこで、夫が好きだったロックユニットの「B’z」を持ち出した。ただコンサートに行くのではない。会話の中で、「B'zの二人と会えたらどうする?」と問いかけた。夫は冗談と受け取ったのか、何気なく、想像して答えたという。その当時は架空の世界だとおもっていた。
写真=最新「Plesure 2023 -STARS-」のロゴ
B’zは収容人数5万5000の東京ドームを2日間満員に出来る程の人気アーティスト。一人ひとりのファンと向き合う猶予はない。B’zの二人と、数十万単位の巨大なファンの塊。投稿者小咲ももさんと夫は、数十万の小さな粒の一つでしかなかった。
妄想することにより、いくらか悩みを忘れられる。B’zと対面した際の服装についても決めていた。夫は「グレーのTシャツ」と答えていた。毎晩語りつくすことにより、出勤の足が遠のくことはなかった。
無事に2ヶ月の引継ぎ作業を終え、新たな部署にて、再スタートを切った。生活にも一段と潤いを帯びて、夫婦生活も頓挫することなく、続けていた。新たに変化が訪れる。
(2)B’zとの直接対面
移動から2ヶ月後、吉報が飛び込んだ。B'zのオフィシャルファンクラブ「Party」から、抽選にて選ばれる「Meet & Greet」の招待状が届いたのである。コンサートのチケット確保者の中から、毎回複数組がステージに立つ前のB’zと楽屋で対面できるのである。
想像した世界が、実現した瞬間でもあった。配置転換にあたり2ヶ月間のつらい引き継ぎ作業を乗り越えたのは、B’zと出会うことを夢に描いたからである。その期間が過ぎ、新たな部署で業務をするにあたっても、さらに夢を膨らませていた。ついにB’zと対面する時を迎えたのである。
Meet & Greet時には、事前に用意していた手紙を、ギターの松本孝弘さんに手渡した。後に返事を戴いた葉書を写真入りで公開している。
あわせて、Meet & Greetの参加者全員に配られたネックストラップの写真もアップした。同エピソードは、発信主小咲ももさんにより、漫画作品として発表された。
写真=小咲もも X 2025年1月12日付
https://x.com/mangakakuhito/status/1878095454761791931
一連の出来事をまとめた文章を読んだユーザーから「強く思い続ける、想像するって大事なことですね」と共感の声が多数よらせられた。投稿者の小咲ももさんと旦那さんの円満な夫婦生活を応援する内容のコメントも多数投稿されている。
「何よりももさんの旦那さんを思う気持ちに胸を打たれました……」「B'zに会えた事よりも、あなたと出会えたのが旦那さんにとっては一番の幸せだと思った」
1988年にデビューして、37年が経過するB’zは、長期に渡り、人々に影響を与え続けていた。常にJ-POP界の一線を走り続ける彼らは、確かにファン個人個人に向き合う時間はとれない。ライブ活動においては、招待制を採用し、毎回抽選で選ばれた異なるファンと対面する。アーティストにおいても、ファンの言葉から活力を見出し、日頃のライブパフォーマンスで成果を発揮する。
60代になっても衰えしらずの二人は、ファンと共に走り続けていく。
第2章 私自身とSARD UNDER GROUNDの対面
次に、2019年9月18日にZARDのトリビュートバンドとしてデビューしたSARD UNDER GROUNDとファンの対面について描く。駆け出しの彼女らが、新たに潜在的なZARDファンを堀り起こすべく、全国のCDショップを中心に巡る「リリース記念イベント」を行う。CDの購入者らは、直接アーティストと対面し、写真入り色紙やポスターを含めプレゼントを受け取る。私の視点で、彼女たちのリリース記念イベントの会話内容を下に、ZARDの坂井泉水や中東情勢についても探っていく。
(1)リリース記念イベント、挨拶程度から始まり、
詳細 空っぽの心のリリース記念イベント関連日記
� �2022年5月4日と5日 イベント模様レポート
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982359299&owner_id=32437106
�◆�2022年5月18日 イベント模様レポート 5月27日の坂井泉水の命日日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1982415160&owner_id=32437106
SARD UNDER GROUNDの人気を支えるのは、ファンと触れ合うリリース記念イベントである。ファン同士の間でも毎回同じ顔ぶれが揃い、次第に交流が生まれる。コミュニティーが狭い文、互いに接点を持ちやすい。X(旧ツィッター)を通して、活発に意見交換も交わされている。
私も彼女らとの交流を目的に、沢山足を運んだ。始まりは、2022年3月20日(日)から5月28日(日)まで開催された4thシングル「空っぽの心」のリリース記念イベントである。当時、新型コロナウィルスによる最後の規制となる「蔓延防止重点措置等」の解除を待って、3月16日頃にオフィシャルホームページにて告知された。
憧れのアーティストとの始めての対面緊張して言葉が出ず、ZARDの坂井泉水の故郷である秦野市内の観光スポットを紹介し、メンバーにメッセージを述べて、締めくくった。当時対面回数は3回。思いをしっかり伝えたとはいいがたかった。
(2)2023年9月10日(日)埼玉県羽生市でのリリース記念イベント パレスチナ情勢を持ち出す
関連日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1985941247&owner_id=32437106
次は2023年9月10日(日)埼玉県羽生市イオンモールで開催された6thシングル「役者犬のうた」のリリース記念イベントである。客の中から先人を切ってメンバーの下へ案内され、緊張せずに、話すことができた。ZARDの坂井泉水が、バブル崩壊後に彗星のごとくに現れ、人々を勇気付けたこと。ウクライナでは終わりの見えない紛争が続いていることを語った。また当時9月13日に、歴史的なパレスチナをアラブ人による5年間暫定自治を認めたオスロ合意から30年を迎えるにあたり、現状を伝えた。当時PLOを組織したアラファト議長とイスラエルのラビン首相が、アメリカのビル・クリントン大統領に招待され、同国の首都ワシントンにて調印した。ラビン首相とアラファト議長は、翌1994年に、当時のイスラエルのペレス外相と共に、ノーベル平和賞を受賞した。
写真=オスロ合意締結(左側イスラエルのラビン首相、真ん中アメリカのクリントン大統領、右側PLOのアラファト議長)出展:ロイター通信より
94年に履行され、合意内容に従い、PLOはテロ活動の防止に努めた。95年に、イスラエルのラビン首相が暗殺され、ネタニアフ新政権に変わると、対パレスチナ強硬路線を貫く。翌1996年頃からハマスによるテロが相次ぎ、治安の悪化が懸念された。オスロ合意は、結局頓挫してしまったのである。
パレスチナ自治区は2007年に総選挙戦にて、ハマスが第一党になり、イスラエルとの争い姿勢を明確にした。自国の安全保障政策から、イスラエルは推定200万人が暮らすガザ地区を包囲する。国際社会から「天井のない監獄に閉じ込められている」とパレスチナ人を擁護する声が寄せられていた。
メンバーも真剣な面持ちで話を聞いてくれた。
彼女たちには、「坂井泉水さんが人々に勇気を与えたように、皆様もウクライナやパレスチナの人々を励ますような曲を作ってください」とメッセージを発した。
それから1ヶ月も立たず、2023年10月7日に、ハマスの戦闘員によるイスラエルの越境攻撃が開始され、泥沼化したガザ紛争へと突き進んだ。
(3)デビュー5周年を迎えた2024年 ガザ情勢、そしてカーター大統領
関連日記
・2024年5月6日武蔵村山、5月11日松本公演
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987677469&owner_id=32437106
その次にメンバーとの顔合わせは、2024年になる。デビュー5周年を迎える彼女らは、例年になく、精力的に活動した。私は、対面を通して、ガザ地区の窮状を訴え続けてきた。5月6日(月・祝)の武蔵村山イオンモールの公演にて、しっかりと参加できる喜びを表明した。「僕らファンは、このように憧れのアーティスト(SARD UNDER GROUNDのこと)と対面することができる日常があります。ガザでは今でも沢山の人が苦しみにあえいでいます。ウクライナやスーダン、ミャンマーなど紛争で苦しむ国民に勇気を与えてください」
杉岡泉美から「頑張ります!」とひときわ大きい声が返ってきた。
5月11日(土)長野県松本イオンモールでのイベント、8月21日(水)池袋アニメイト本店でのイベントでは、中東和平について説明した。
その主役は、米国の第39代カーター大統領だった。当時は存命中で2024年10月1日に100歳の誕生日を控えていた。カーター大統領の功績の一つは、1978年9月17日に仲介役を務めた「キャンプ・デービット合意」だった。9月5日から13日に渡り、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相を呼び、協議の場を設けた。
写真=キャンプ・デービッド合意の模様
互いの首脳の言い分を聞いて、中東の安全保障政策で最も良い方法を提案する。イスラエルには、1967年の第3次中東戦争時に占領したシナイ半島を返還するように求めた。その見返りにエジプトは、アラブ諸国で最も早くイスラエルを国家承認する。両首脳との間でまとまったのは、パレスチナ問題を先送りにすることだった。カーター大統領の口から、合意内容が明らかにされた。サダト大統領とベギン首相は、早くも同1978年にノーベル平和賞を受賞した。
領土と和平の交換ともいわれるエジプト・イスラエル平和条約として、翌1979年3月26日に、米ホワイトハウスにて、両首脳によって調印されている。
(4)厳しいシナイ半島の防衛政策
シナイ半島の防衛は確かに難しく、周辺のアラブの国々、エジプトやイエメンに紅海を封鎖されれば、船舶を通して、物が入らなくなる。エジプトと和平を結ぶことにより、仲介国のアメリカにも物流網の維持に理解を求めた。現に第3次中東戦争(1967年6月5日から10日)は、イスラエル自身、紅海の出口を求めて、仕掛けたのである。その発端は、隣り合うエジプトとの領土問題にある。当時エジプトの大統領だったナセルが、連帯を示すシリアのハッフィーズ・アサド大統領の要請を受けて、アカバ湾を封鎖すると宣言していたのである。実際軍事行動に出る意図はなく、イスラエルをけん制する狙いだった。イスラエル側は、自国の安全保障の観点から、スエズ運河に面したアカバ湾を守る必要性に迫られた。そこで、1967年6月5日に奇襲攻撃をかけて、シナイ半島に進軍し、ヨルダン川西岸、ガザ地区も制圧したのである。準備不足から敗退したアラブ諸国の連合軍は、土地を失った。責任をとってナセルは退任したのである。
写真=アカバ湾の位置 ウィキペディアより
イスラエルは、エジプトと和平を結ぶにあたり、シナイ半島の入植地解体の条件として、紅海から物資の輸送ルートを確保した。スエズ運河におけるイスラエル船舶の自由航行と、チラン海峡とアカバ湾を国際水路として認めることが規定された。
実はエジプト・イスラエル平和条約締結前から、領土問題について議論されていたのである。1967年11月22日、国連安全保障理事会決議242号において、中東戦争終結に向けた5項目が提案された。�\衫涼呂�らのイスラエル軍の撤退、��安全と承認された国境の下で脅威や力の行使から自由で平和に生きる権利、�9匚圓亮�由、�て駝洩簑蠅慮�正な解決、�ト麌霑�地帯の設置
国連加盟国は、全会一致(賛成15、反対・棄権0。非常任理事国であった日本も含む)で決議242号を採択した。
国連決議を受けてイスラエル側は1968年5月1日に受諾する。�\衫涼呂�らのイスラエル軍が撤退すれば、見返りとしてアラブ諸国から国家承認を得られる。ゴラン高原には部隊を展開したまま、シリアに睨みを利かす。当時はシナイ半島にも駐留部隊を置いた。イスラエル側から履行されないまま
1973年10月に始まった第4次中東戦争へと突き進んだのである。
シナイ半島に駐留部隊を展開すると、軍事的負担が大きい。最大の同盟国であるアメリカの意向を聞き、シナイ半島をエジプトに返還することにより、紅海を渡る船舶の通航権を確保した。安全保障政策からも、エジプトとの和平は得策だった。
(5)ZARDの曲から和平について語る。
関連日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988425354&owner_id=32437106
8月21日(水)池袋アニメイト本店で開催されたイベントにおいて、メンバーには、エジプト・イスラエル平和条約の締結時の写真を見せて、つい熱く語ってしまった。「友情を謡ったマイフレンド(ZARDの大ヒット曲)のように、互いに戦争をやめ、領土問題を解決し、手に取り合った光景なのです」と訴えた。
写真=SARD UNDER GROUNDのメンバーにも見せたエジプト・イスラエル平和条約締結時の写真 1979年3月26日:米ホワイトハウスにて。右側エジプトのサダト大統領、左側イスラエルのベギン首相 真ん中 カーター大統領
また和平後の出来事についても説明した。サダト大統領は、イスラエルを国家承認することにより、周辺のアラブ諸国から激しい反感をかった。1981年10月6日のことである。首都カイロにて、1973年に起こった第四次中東戦争の勝利パレードの最中、兵隊の中に紛れ込んでいたイスラム過激派に、突如銃を向けられ、帰らぬ人となったのである。63歳だった。
私の話を聞き、ヴォーカルの神野友亜は、沈痛な面持ちになった。私は、一呼吸入れて話を続ける。「サダト大統領が亡くなって43年が経過しました。皆様が坂井泉水さんの思いを受け継いでいるように、今のエジプト政府はサダト大統領の功績を引き継いでいます。イスラエルとの平和条約を遵守しているからこそ、今回のガザ紛争の停戦交渉においても、ハマスとの間に立ち、仲介役を担っているのです」
エジプトは、アメリカとカタールと共に、ガザ紛争の仲介役を担った。かつては、2008−2009年ガザ紛争、2014年のイスラエル軍によるガザ侵攻、その他あらゆる小規模衝突においても、エジプトが真っ先に調停役に名乗りを上げた。
私は、最後に次の言葉で締めくくった。「中東和平に貢献したのはカーター大統領でした。2024年10月1日に100歳の誕生日を迎えます。その時を祝ってください」
メンバーも頭を下げてくれた。
2023年から始まったガザ紛争においては、アラブ諸国を代表する仲介役の中心は、カタールへと移っていた。2025年1月15日に、ハマスとイスラエルの間では、60日間に渡る停戦合意を発行した。
(6)2024年10月1日以降、SARD UNDER GROUNDの活動の転機、そしてカーター大統領が旅立つ
ファンと程よい距離で音楽活動を続けたSARD UNDER GROUNDは、9月30日付けでベーシストの杉岡泉水とキーボードリストの坂本ひろ美が脱退した。そのカーター大統領が100歳の誕生日を迎える10月1日には、ヴォーカルの神野友亜によるソロ・プロジェクトへと移行したのである。
私は、2024年8月21日に、複数回カーター大統領が10月1日に100歳の誕生日を迎えることを伝えていた。脱退する2人のメンバーがどこか遠慮がちな表情で頷いていたのは、グループ活動から決別する日だったからである。
神野友亜は、ソロ・プロジェクトに移行して、12月23日(月)に東京都有楽町ヒューリックホール、28日(土)に兵庫県神戸朝日ホールにて、ファンクラブイベントを開催した。ファンは変わらずに、リリース記念イベントを通して対面した神野友亜に、温かいまなざしを送り続けていた。
写真=2024年12月28日、神戸朝日ホールで歌う神野友亜 掲載元本人オフィシャルX 同日付
https://x.com/yua_sard/status/1872990770342633866/photo/1
その年の暮れ、12月29日に、私が彼女たちに訴えたかった中東和平の功労者であり、2002年のノーベル平和賞の受賞者、第39代米ジミー・カーター大統領は、永眠した。100歳3ヶ月29日だった。
イベントを通して、知り合った同じファン仲間にも、カーター大統領が亡くなった事実を知らせた。Yahooのトップニュースになったことで、いち早く情報をキャッチしていた。私から聞いた功績を改めて学び、「平和主義者が大国のトップに君臨することにより、世界はよくなる」とのコメントを戴いた。
私は、池袋のアニメイト本店にて、3人のメンバーから個別にサイン入り色紙を受け取る際、キーボードリストの坂本ひろ美から次のように言葉を返された。「カーター大統領のことをしっかりと覚えておきます」私は興奮して、「(2024年)10月1日に100歳の誕生日を迎えます。その時を祝ってください」と繰り返し伝え、客席の方へと向く。最後に一歩踏みとどまり、振り返ると、もう一言述べた。「エジプトイスラエル平和条約は1979年のことです」彼女からOKのサインをもらった。
写真=坂本ひろ美2024年9月21日(水)池袋アニメイトでのイベント後
https://x.com/sakamoto_romi/status/1826271562607251690/photo/2
10月1日、楽器を担当した二人は、新たな一歩を踏み出した。その日が、丁度カーター大統領の100歳に重なっていた。なんとも不思議な巡りあわせだった。私自身、イベントを通して、対面した彼女たちに全力で思いをぶつけていた。日頃学んでいる、ZARDの坂井泉水の世界観や中東情勢について話すことにより、学術論文を発表するような気持ちになる。イベントを終えた後は、達成感に包まれていた。
カーター大統領自身は、2023年3月17日に、自身が立ち上げたNGOカーターセンターを通して、病気療養中の身でありながら、追加治療を受けないことを明らかにしていた。余生を静かに過ごす「ホスピス・ケア」に移ったのである。
私自身もカーター大統領が、いつ旅立つか分からない状況であることは把握していた。生きているうちに、推しのメンバーに、功績を伝え、思いを共有することが目的だった。
カーター大統領の訃報を聞いた際、確かに胸が痛くなった。改めて、「生きているうちに伝えることが出来て良かった」との思いを抱いた。中東情勢の緊張緩和、ガザ紛争と共に、レバノンでの紛争の解決、またシリアの新しい国づくりを応援する気持ちでいっぱいである。
第3章 まとめ アーティストとファンとの付き合い方について
世の中CD離れが進む中、販売手段として、アーティストと対面できる「特典会」を開催することにより、売上の起爆剤となる。その先駆けが2006年にデビューしたAKB48だといえる。
B'zの場合は、少なくとも2002年の夏場に開催された「GREENツアー」から抽選で選ばれたファンを楽屋に招待するMeet & Greetを開催していた。当時のツアーを記録した映像作品でもその様子が公開されている。ファンからプレゼントを貰うお返しに記念撮影に応じる様子が映っていた。
松本孝弘と稲葉浩志は、時にそれぞれ個別に海外の有名アーティストとセッションをする。有名アーティストとの競演を通して、感性を磨き、B’zとしての活動へと生かす。
SARD UNDER GROUNDの方は、2019年9月18日結成当初4人組ガールズバンドとしてデビューしていた。2024年9月30日付けで、ベーシストとキーボードリストの脱退により、10月1日以降ソロプロジェクトになる。デビューから5年の節目を迎え、6年目まで歩んできた原動力は、ファンとの対面だった。活動の手助けとなるは、2025年から始まったZARDのデビュー35周年企画である。2月10日には、オフィシャルホームページのファン投票によるベスト版がリリースされた。SARD UNDER GROUNDは、3人活動の総決算「LIVE TOUR 2024 Tear drops」のツアーを収めたブルーレイ作品を、3月19日にリリースした。
写真 掲載元 SARD UNDER GROUND スタッフXより 2025年1月22日付
https://x.com/sardunderground/status/1881900611995869232
新たにライブ活動の方も決まっている。2024年末のファンクラブイベントの会場の大型スクリーンにて、2025年6月下旬から9月まで、過去最大規模のライブツアー開催と表示された。イベント終了後の2024年12月28日(土)の午後8時以降、オフィシャルホームページにて、詳しい日程や開演時刻が掲載された。
写真 掲載元 SARD UNDER GROUND オフィシャルホームページより
若い頃、誰しもスポットライトを浴びる舞台俳優やミュージシャンに憧れを抱く。その夢を叶えられるのはほんの一握りの恵まれた逸材だけである。J-POPは、今なお若者から年配者まで世代を超えて、日本人の文化であり続けている。
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