mixiユーザー(id:1806035)

2021年07月21日21:05

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「正義の暴走」という暴走

「正義の暴走」って言葉がある。
文字通りなんだけど、正義を信じて行った、または最初は正義の行動であったはずのことが、いつの間にか真逆の様相を呈してしまうことね。
 フランス革命とか、最初は貧困にあえぐ民衆を救おうとか、王や貴族だけが富や権力を独占す不平等を変えて平民階級の意見も取り入れる共和政治をしようとか、ま、良いことするために始めたんだけど、いつの間にか、派閥が違うとか、革命理念に合わないとか(どこがおかしいのかも解からない理由で)連日ギロチン処刑だらけの恐怖政治になっちゃったみたいな。
 スケールを小さくすると連合赤軍の山岳ベースとかもそうだよね、彼らは革命を信じていたわけで、まあその革命理論っていうのは未熟だったにせよ世の中を変革しようという理想はあったわけだ、ところがやったことはリンチによる仲間殺し。
 まあ、左翼系の例ばかり(といっても二つだけだけど)並べちゃうけど、右翼系であまり正義の理想って思いつかんから。

「正義の暴走」を防ぐには、常に自分(自分たち)が行っていることを振り返り、本当に正しいかどうかを検証し、間違っていたら修正していくってことなんだと思うし、それは間違った考えではない。
 でも、この「正義の暴走」つうのが、特に第三者的立場の人にとって都合よくつくぁれ過ぎてないか、と思うことが多いんよ。

 「人が本当に残酷になるとは悪を行う時ではない、正義を行う時にこそ人は残酷になる」
 これってさ、一見、賢くて冷静そうな言葉だよね、でも、よくよく聞くと
「で?」
なんだよね、自分が高みになったような気分になれるだけの、すっげー厨二臭ぷんぷん。
 
 特にこの「正義の暴走」が、差別とか批判とかに対するなんからの行動とかに対する皮肉として使われることがすっげー多いんだよ。

 今回の小山田圭吾もそうだけどさ、かつてはヘイトスピーチのカウンターもそうだし、安保法制反対のデモにたいしてもそうだし、差別表現や政治家の差別発言に対する抗議行動、抗議行動って言ったって、すごく穏やかなもので、せいぜい、政治家が街頭演説するときに抗議のプラカあげてシュプレヒコール程度で、別に火炎瓶の一本すら投げないし・署名集めたり、表現もとにメール送る程度のことなんだけど。
 どこが暴走?

 なんかさ、この「正義の暴走」って言葉がさ、中立な振りした責任放棄か、もしくは差別の肯定、そかも在特会的なある意味解りやすいヘイトクズではなく、逃げ場を作った孤独な差別ヘイト擁護に聞こえる。

 正義の暴走より、むしろ、正義を冷笑、のほうが、ずっとずっと、それこそ某マイミクさんの口癖を借りれば百億万倍、悪質だし、危険だと思う。
 なぜなら、それは声を上げることを封じてしまうから。

 あのさ「悪いことは悪い、間違ってることは間違ってる」って言えばいいんだよ。
まず、基本はそこ、それだけはブレないようにすれば、そうそうおかしな方向にはいかないと思うよ。
 
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