この世界の構成は、真逆が存在する。
しかし人は弱者(個人)に内包する。
時(未来も)は現在に内包し、全てで一つの世界。
権力が世界を動かす能力をもつ。
言葉は現実を表現するようにできているため、まさに然り。
権力は弱者に希望を聞いて、願いを叶える。しかしときに質問の内容が、弱者と関係のない事柄や弱者の不利益になる事柄だったら、どうだろう?
権力(立場や経済の強者)はとかく庶民(子供も含め弱者)に、状況や結論が弱者に直接関連性のない質問をして誘導して、弱者の不利益を弱者に責任転嫁させて選択させて利用する。
その時果たして弱者に責任が伴うだろうか?この選択が社会の選択として利用された場合に、撤回はできるものだろうか?
しかし一時は権力に有利に見えた世界も、いずれは一つの世界だから、このような選択は、権力の不利益に流れるのは当然のことだと思う。
賢い権力者は、全体の未来を心地良い空間に導くと信じてやまない。
そのために
選択に足りる情報を発信しなければならないし、全てはそれを受信し学ぶ義務もあるが、大きな組織ほど弱者受信の具合を見定める時間がないのではないだろうか。
大人は子供の命と人生のための情報発信(導き)が義務と責任。
信号は赤で止まる。歩道では自転車は乗れない。
「危険入るべからず」の文字。命を守るための情報を伝える義務と責任がある。
それと同じ。
行動選択をするための情報は、平等でなければ、社会は成り立たないと思う。
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