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2019年05月06日11:28

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実家のお蔵の階段と田中城

https://photos.app.goo.gl/PLTsHpp7zBAu9N689

先日出かけた藤枝の城跡田中城の階段が、懐かしく感じられて仕方がありませんでした。
画像の向きを変えて
よく思い出してみました。


それは実家のお蔵の階段でした。このなまこ壁のお蔵は、2階建てで2階部分は、襖で仕切られた二間の和室。一階一部屋が和室となっています。自在鉤の厚い重たい引き戸は、二箇所ありました。北側が和室の部分です。
入り口を通ると、土間がありました。南の蔵の側は二枚目も柵となった厚い扉で覆われ自在鉤。

北方の正面奥の部屋は、今では母屋と廊下で繋がり図書室となっています。
こちらの側の土間から3段の上がり踊り場が階段を繋いでいました。扉が行き来しますから、踊り場右には写真と同じ様に厚い板で不意の来客に備えて扉の行き来をを覆ってありました。
階段を登れば跳ね上がりの扉が有りました。上面は扉が二階の床の面と連なりました。

フォトGoogle画像URLには、私の手持ちのものはぼろぼろですがスキャナーで呼び込みアルバムにしました。建てた曽祖父がお蔵の前で写っています。尋常小学校の校長先生でした。江戸時代の慶応元年生まれの方です。私が小学校三年生のときに百歳で他界されました。

画像のお雛様は私が金谷生まれの祖母に抱かれてお蔵二階の奥の間で父と共に3人で写っています。ニ歳の頃と思います。私のお雛様は四人官女でしたが、母がお歌と同じに飾ってくれました。衛士は、五人います。曽祖父はこの頃健在で、94歳の頃と思われます。母屋の座敷に曾祖母と居られました。私は小さいながらも曽祖父と火鉢を囲み語り合いました。
床の間の壁の雨戸の出し入れの為の飾り手抜き部分を映し出そうと編集していると、三本の飾り竹が現れました。


時代は過ぎて安全性を考えて、土間を板の間に変え階段を付け替えました。

その時には、同じ造りであるからと、何処から聞き付けたのか展示場が引き取ったと聞いています。

全てが個となり繋がらない時代ですから証明もないのかもしれません。しかし幅は今でも残るお蔵の土間の幅と階段の幅が一致すると思われます。

考えれば、城跡と同じく、三部屋に別れた一部屋の板の間と押入れ、つなぎ二間の馬屋もよく似て、母屋の隣に有りました。

懐かしい思いでいっぱいです。




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