mixiユーザー(id:26450852)

2019年02月19日12:21

634 view

�犹犲圓箸箸發棒犬�ていく��

昨夜、Eテレの「100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』」を見た。何時頃からか、毎週月曜日の夜10時25分からはEテレの「100分de名著」を見るようになった。

昨夜は、オルテガ『大衆の反逆』の第三回�犹犲圓量閏膽腟銑瓩任△辰拭I磴了爐鬚�っかけに、�犹爿瓩箸��犹犲圻瓩箸いΩ斥佞防甸兇砲覆辰討い襦�

さて、オルテガ『大衆の反逆』の第三回�犹犲圓量閏膽腟銑瓩瞭睛討麓,里茲Δ覆發里任△辰拭�

�爛�ルテガによれば民主主義の劣化は「すべての過去よりも現在が優れているといううぬぼれ」から始まる。過去や伝統から切り離された民主主義は人々の欲望のみを暴走させる危険があると警告するオルテガは、現在の社会や秩序が、先人たちの長い年月をかけた営為の上に成り立っていることに気づくべきだという。数知れぬ無名の死者たちが時に命を懸けて獲得し守ってきた諸権利。死者たちの試行錯誤と経験知こそが、今を生きる国民を支え縛っているのだ。いわば民主主義は死者たちとの協同作業によってこそ再生されるという。第三回は、「死者たちの民主主義」という視点から、現代の民主主義の問題点や限界を照らし出す。��

ゲスト講師である中島岳志さんもあの3.11東日本大震災以降、「死者とともに生きていく」ということを考えるよ絵になったと話されていた。�犹犲圓箸蓮∋爐鵑任靴泙辰涜減澆靴覆�なったのではない。死者は目に見えない形で存在しているのだ�瓩箸睿辰気譴討い拭�そして中島岳志さんがある原稿を徹夜して書いていて、�犹妬�がないが、こんなものでいいだろう�瓩噺狭討鮖転紊欧蕕譴襪海箸鯆�めかけたとき、ふっと亡くなられた友人のことを思い出したという。�爐△い弔覆蕁△海鵑覆錣燭靴鬚澆討匹ΔいΔ世蹐Δ��瓩箸佞辰隼廚ぁ△修慮狭討鮟颪�直したという。

その時、亡くなられた友人との関係は、単なる友人、仕事仲間という関係を超えて、ある種倫理的な意味合いを持つようになったと中島岳志さんは話されていた。そこに死者との新たな関係性、つながりが生まれたと話されていたのが印象に残った。

�爐海譴眤茖害鵑脳椶靴�お話ししますが、これはいまの日本で非常に大きな注目を集めている「立憲」という問題そのものだと思います。
民主主義と立憲主義は、元来どうしても相反するところのある概念です。民主主義とは、いま生きている人間の多数決によってさまざまなことが決定されるシステム。対して、たとえいまを生きる人間が決めたことでも、してはならないことがあるというのが、立憲というシステムなのです。いくら多数派に支持されようと、少数派を抑圧してはならないし、守られるべき人権を侵してはならない。それは「死者からの制約」があるからです。
そうした立憲主義の考え方を取り入れて、「死者とともに民主主義を行っていく」ことが、いわば文明の英知だったはずなのに、近代はその英知を投げ捨てていっている。これは暴走にほかならない、というのがオルテガの主張でした。
彼がこうしたことを考えたのは、その生きた時代と密接な関係があります。オルテガが活躍したのはいまからおよそ百年前で、今回取り上げる『大衆の反逆』が刊行されたのは一九三〇年。これは、二二年にイタリアでファシスト党が政権を取り、三三年にドイツでナチスが政権に就く、そのちょうど合間にあたります。さらにその少し前、一七年にはロシア革命が起こるなど、まさに革命とファシズムの時代と言うべき時期でした。
そのさなかにオルテガは現代的危機を感じたわけですが、ではその「危機」が現在の私たちにとって遠い昔の問題かと言えば、そうではありません。むしろ私たちが生きるいまのほうが、問題はより深刻で、かつ精細な形で蘇ってきている。オルテガが「二十世紀がそぎ落とそうとしているもの」として危惧したことが、私たちの時代にはより根深い形で押し寄せてきているのだと思います。
この二十世紀前半の著作が、二十一世紀の私たちにとって非常にビビッドなものとして響いてくる。それは、私たちが民主主義の危機を感じ、オルテガが守ろうとした「リベラル」という概念が崩壊しつつあることを感じているからではないか。オルテガの言う「大衆」はいわば、そのときを生きている人間のことしか考えない傲慢な精神の象徴だったわけですが、いままた私たちはその「大衆」になろうとしているのではないか。そのことを意識しながら、自戒も含めて読み進めていきたいと思います。 ��

上記は、「名著 げすとこらむ」によれられた中島岳志さんの「過去の英知とともに生きる」というコラムからの引用であるが、中島岳志さんによれば、�猯�憲主義�瓩鉢猝閏膽腟銑瓩箸和侘�関係にある。�猝閏膽腟銑瓩亮臾鬚�生存者であるのに対して、�猯�憲主義�瓩亮臾鬚六犲圓世�らである。�猯�憲主義�瓩箸蓮∪菴佑燭舛梁燭�の経験、失敗、成功等による�狠匏鼎了妻��瓩覆里任△襦�だからわたしたちの真の民主主義は、先人たち、死者の智慧に支えられて行っていくところにあるのだと、オルテガの「大衆の反逆」を通して中島岳志さんは語られていたように思える。

「死者をないがしろにする日本はおかしすぎる いとうせいこう×中島岳志対談」(東洋経済オンライン2018年4月9日)のなかで中島岳志さんは次のように語っておられる。

�犹犲圓寮こΔ蓮⇔邀Δ里茲Δ覆發里箸靴特影箸砲△襪里任呂覆ぁ�生者がいるから死者が存在していると。だから、生きている人類が全員いなくなれば死者もいなくなる。いま生きているというこの社会の中に、死者という構成員が含まれている。そういう考え方だと思うんです。/ しかし現代社会はそのことを忘却してしまっている。むしろ、まるで忘れることが社会を前に進めることであるかのように、何もなかったように事態にフタをしてしまう。��

�犹犲圓梁減澂瓩鬚覆�ったものとしている現代日本社会は中国や韓国などとの歴史認識の問題で、北東アジアで�犖瀕��瓩鮨爾瓩討い襦�それはどこかで日本社会が�犹犲圓箸梁佻鱈瓩鮃圓錣覆�なったからこともその一因があるのではないか、わたしにはそんな気がしてならない。そんなこと思いながら、昨夜、Eテレの「100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』」を見ていた。
5 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する