観点が優れていていいですよね。メモします。
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永田泰大(ほぼ日)
@1101_nagata
5月29日
この文章はここが日本語としておかしい、という「正しさ」で修正するのではなく、この文章だと人はこう感じてしまうよ、という「伝わらなさ」を軸にしたほうが、教える方にとっても教わる方にとっても理解がしやすい。たぶん、それは文章に限らず、いろんなものを互いによくしていきたいと思うときに。
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(超耳)
たいへん優れていて傾聴に値する意見です。
けれども注意点もあります。
「そもそも正しい伝達ができるというハードルを超えた人にのみ意味がある」という点です。正しい伝達ができる人は少ないのです。中学あたりの国語を思い出せば容易に想像がつくと思います。平均点が50点台とか60点台とかだったことがありませんか?
義務教育の国語で90点くらいは取れる人でないと「伝わらなさ」の話はできないんじゃないかなあ。
「教わる方にとっても理解がしやすい」と書かれています。この「理解」は受け止める心理の点では賛同です。けれども「正しさ」という前提なしに理解できる「伝わらなさ」はまやかしの可能性があります。
永田泰大さんのような観点、とてもいいと思います。その話をもっとみんながしたらいいし、技能を高めたらいいと思います。
でもやはり最後に目指すのは「伝わらなさ」の駆逐ではなく、あくまで「正しさ」であるべきです。
「感じてしまう」のは人として仕方がないことですが、そのために「正しさ」を失う判断をすることが、世の中を地獄にしちゃうんですから。
私たちはヒトなんだからさ、原初の頃から持ち合わせている下等生物を律している感情という暴れ馬の上に、私たちみずからを律するものを置きたいではないですか。
理性という望ましい御者を、誰もが持てるはずではないですか。
恐ろしいことに、永田さんのような技能を高めた人は「正し」くなどないことを「理解しやすい」話にして他人に伝えることができるのです。耳にやさしく心にやさしい言葉を紡いで中に毒を織り込むことができるのです。
私たちを救うことができるのは「伝わらなさ」の駆逐ではありません。そいつは便利な道具だというだけです。悪を為すためにも便利に使える道具です。
扇動家ども御用達の、便利な道具です。
ほら、今この瞬間にも頭のてっぺんから足の先までずっぽり騙されている人たちがいるじゃないですか。明らかに「正しくない」扇動で。「伝わらなさ」は極力減らした言葉によって。誰とは言いません。別の機会に名指しで言ったこともあるしね。
もう一度、見てみましょう。
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永田泰大(ほぼ日)
@1101_nagata
5月29日
この文章はここが日本語としておかしい、という「正しさ」で修正するのではなく、この文章だと人はこう感じてしまうよ、という「伝わらなさ」を軸にしたほうが、教える方にとっても教わる方にとっても理解がしやすい。たぶん、それは文章に限らず、いろんなものを互いによくしていきたいと思うときに。
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(超耳)
伝わりやすい毒を伝えてくる人にとっても福音となるツイートですよね。そこだけは警戒しないと。
「伝わらなさ」の話もして、それから最後には、永田さんのいざなう低レベルな場所にも決別しましょう!
複雑でも、わかりにくくても、ダメなものはダメで、いいものがいいんだって「正しく」判断するスキルに到達できるよう、学びたいですよね。
うーむ、永田さんのツイッターを覗いてみたけれど、御本人や周りの人たち(ほぼ日の方々)から私のような警告・警戒の言葉は存在していないようでした。
ちょっとがっかりです。
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