昨日の夕方、下の妹から電話をもらい、いろいろと考えた結果、やはり母の見舞いに行っておこうという思いになった。
昨日の夕方、再び下の妹から携帯に電話をもらった。妹は、
「いろいろと考えたけど、お兄ちゃんがお母さんのお見舞いに行きたいのならば、行ってあげて。わたしたちに気を使わないで、外出介護を使ってお母さんのお見舞いに行ってあげてよ」
と、言い出した。
�爐┐叩△覆鵑如�いきなり��
と思いつつ、妹からの電話を聞いていると、
「ただ、今のお母さんはお兄ちゃんが知っているお母さんではなく、転倒して、片目の視力がほとんどなく、また右の耳もほとんど聞こえない状況になっているの。そのことだけは心にとめどいてね」
と、話してくれた。
母は転倒した際、かなりの勢いで転倒したようだ。
わたしはふっと、高校三年になる春休み、母が脳内出血で倒れたときのことを思い出した。
母はかなりの大手術を受けて、初めて父に連れられて見舞いに行ったとき、母はわたしが知っている母ではなかった。頭は丸坊主にされ、転倒した時に前歯を折って歯が抜けたようになっていた。あのとき、幼稚園児だった下の妹は、そんな母を見て、
「この人はお母さんではない。怖い」
と言って、泣いたことを思い出した。
しかし人が�猩靴Ν瓩箸蓮△修ΔいΔ海箸覆里�もしれない。わたしは息子として�猩靴い討い�母の姿�瓩鬚靴辰�りと見ておく義務があるように思えた。
「わかった。一度、考えてみるわ」
と言って、電話を切った。
�爐�兄ちゃんが知っているお母さんではない��
妹は、よくわたしにそう話す。わたしが母と同居していた頃の母とは姿形は変わってしまったのかもしれない。たしかに正月、母とステーキを食べに行った際の母の姿は、わたしが母と同居していた頃の母とは全く異なり、�猩靴い伸瓩箸いΔ海箸�よく見て取れる姿に変貌していた。
でもこれまでに三度母はわたしに電話をかけてきてくれた。老いて転倒し顔面を強打しているにもかかわらずである。
わたしにはそんな母の今の姿を見る義務があるように思えた。そしてすぐにヘルパーと連絡を取り、母が大阪市立総合医療センターに入院していること、そして一度、母の見舞いに行きたいと思っていることを伝え、貧集の土曜日、母の見舞いに行くことにした。
わたしには、母の今の姿を見ておく義務があるように思えた。
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