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2017年06月05日13:28

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西田幾多郎先生から内藤湖南博士に充てられた書簡

わたしがその額を初めてみたのは、中学一年生の時、恩師・原野栄二先生が開かれていた「アテネ塾」という学習塾に通うようになったからのことである。

わたしたち塾生は、原野先生のご自宅の床の間に並べられた机に座り、その部屋の片隅に置かれた本箱から問題集を取り出しては、その問題集を解くという方法で、わからないところがあれば、原野先生に聞くというものであった。

そのことの間に飾られていた一枚の額とは、大正六年四月二七日付の西田幾多郎先生から内藤湖南博士に充てられた書簡であった。

しかもその書簡は、「西田幾多郎全集」の未収録であるという。

その書簡は内藤湖南博士の息子さんから原野先生に、内藤湖南博士の形見として送られたものだと聞く。

原野先生の唯一の著作『うらばなし』には、「西田先生の書簡」として原野先生が内藤湖南博士の息子さんから西田幾多郎先生の書簡を送られることになった経緯を書かれていた。

青春時代、難解な西田幾多郎先生の哲学に学んだ原野先生にとって、西田幾多郎先生の書簡が送られるということになったときの嬉しさとは、いくばくのものかと思われる。

わたしは、その学習塾に中学一年の三学期から高校二年の三学期までの丸五年間通い続けていた。そうしてその後、原野先生の�猝臘錙δ鏤勠瓩鵬辰┐討發蕕辰燭里任△襪�、わたしが原野先生の正体を知るのは、大谷大学に入学した後のことであった。

西田幾多郎先生の書簡は、原野先生が亡くなられた後、原野先生の奥様の提案により、石川県にある「西田幾多郎記念館」に贈呈されたということである。

原野先生の奥様は生前、一度、「西田幾多郎記念館」に行かれ、原野先生が所有されていた西田幾多郎先生の書簡を見られたという話を聞いたことがある。

わたしもそれ以来。かつて原野先生のご自宅に飾ってあった西田幾多郎先生の書簡と�犧堂餃瓩靴討澆燭い隼廚辰討い襦�
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