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2017年04月20日12:57

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1945年 哲学者・三木清の獄死―�犇λ添甅瓩箸い�視点から

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4536257


(あのとき・それから)1945年 哲学者・三木清の獄死 「共謀罪」に重なる治安維持法

 (昭和20年)
 「『共謀罪』が無くても、テロ犯は取り締まれます」
 日本弁護士連合会の共謀罪法案対策本部事務局長、山下幸夫弁護士(54)は、3月に横浜市であった神奈川県弁護士会主催の講演会で、聴衆約160人を前に語った。
 爆発物、化学兵器、ウイルスなどテロ準備が対象の法律はすでにある。国会で審議中の「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織的犯罪処罰法改正案は、「準備行為」が拡大解釈されれば犯罪と無関係の市民を監視し、政府と異なる意見表明を脅かす可能性がある。「社会を一つの方向に導く現代版の『治安維持法』です」と山下弁護士は述べる。
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 1925年に制定された治安維持法は、国体の変革と私有財産制度の否認を目的とする結社やその加入を禁止し、思想運動や大衆運動を弾圧した。45年10月4日の連合国軍総司令部(GHQ)の「人権指令」で廃止された。
 指令8日前の9月26日、「人生論ノート」などで知られる哲学者の三木清は、東京の豊多摩拘置所の独房で、寝台から落ちて亡くなっているのが発見された。朝日新聞は「治安維持法等の容疑により拘引されたものと云(い)はれてゐる」「(三木の)獄死事件は(中略)思想警察への強い反発として多くの反響を呼んでゐる」と伝えた。
 三木の研究者で和歌山大名誉教授の永野基綱(もとつな)さん(80)によると、三木は2度、警察に検挙されている。最初は30年。知人に「頼まれて出した金」が共産党への運動資金だったため、治安維持法違反の罪で懲役1年執行猶予2年の有罪判決を受けた。法政大教授の職も失った。45年には疎開先の埼玉で、治安維持法関連で特高警察にマークされていた昔の友人を一晩泊め、金銭と服を提供。これが獄死につながる検挙となった。
 共産党員ではなく、首相を務めた近衛文麿の政策研究会の一員だった三木が検挙された背景を、研究者の永野さんは「三木は歴史と社会の中で生きる人間が直面する非人間的な問題を批判した。いわば行動的なヒューマニズムを貫いたからだ」と解説する。
 一方、治安維持法や特高警察について研究する小樽商科大の荻野富士夫・特任教授(64)=日本近現代史=は「治安維持法の目的遂行罪による解釈の拡大がなければ、三木は獄死することはなかった」と話す。目的遂行罪は、28年の改正で、最高刑を死刑に引き上げるのとともに導入された。潜伏の手助けやカンパ、出版物配布の援助などが対象とされ、行為が目的遂行罪に当たるかは、本人の意図の有無ではなく、特高警察や思想検事の判断だった。
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 当初のターゲットだった共産党員だけでなく、宗教団体や自由主義・民主主義者へと取り締まりは広がった。太平洋戦争直前の41年の改正では再犯のおそれを理由に拘禁を続ける予防拘禁制が取り入れられた。警察の統計では治安維持法違反による検挙者は約7万人。しかし荻野さんは「思想事件」の検挙者は数倍だとみる。令状を読み上げられることもなく、罪名がわからないまま取り調べられ、「違反する」運動にかかわらぬように警告後、釈放されるケースも多かったという。
 九州地方の男性(91)も44年9月17日朝、突然、下宿から刑事に連行された。「戦死者は靖国神社に合祀(ごうし)するのではなく、キリスト教徒らの遺族の意思を尊重すべきだ」と書いた文集が検閲に引っかかったらしい。刑事に殴られる取り調べが1週間続き、釈放された。「治安維持法違反の検挙だと思っている。自由に発言できない時代が再び来ないことを願っている」
 荻野さんは「治安維持法を歴史的事項にとどめるのではなく、現代への教訓と考え、人権を脅かす法には声を上げ続けるしかない」と語る。(平出義明)
 ■社会のあり方、考え続ける 「三木清研究会」事務局長・室井美千博さん(67)
 1999年に発足した三木清研究会は、彼の郷里である、現在の兵庫県たつの市を中心とした会員が講演会や研究発表、「人生論ノート」の読書会をおこなっています。私は、三木が卒業した旧制兵庫県立龍野中学(現龍野高校)の後輩だったこともあって、高校時代から三木の著作にふれてきました。
 「人生論ノート」は戦時色が濃い38年に文芸誌「文学界」で始まった連載をまとめ、太平洋戦争が始まる41年に刊行されました。その一編「幸福について」にある「幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ」という言葉は、ファシズムの時代への批判であるとともに、現代にもあてはまります。
 「中央公論」の36年の論文「日本的性格とファシズム」では「単なる役割における人間はなほ真の人間ではなく、いわば偽善者即(すなわ)ち仮面を被(かぶ)つた人間である。真の人格はそのような役割を脱ぎ棄(す)てて裸の人間になつた時にあらわれる」といい、真の人格を認めない全体主義はファシズムでありヒューマニズムに対立すると述べています。
 三木は穏健な思想の持ち主です。その彼を獄死させた社会のあり方には憤りを感じます。三木は自ら考えることの重要さを訴えています。「今」がどのような時代か、一人ひとり問い続けることが大事だと思います。
 ■治安維持法の関連年表
<1925年>
 治安維持法制定
<28年>
 共産党員の大量検挙(3・15事件)
 治安維持法改正で最高刑が死刑になり、結社員だけでなく結社と関係する者(シンパ)も取り締まりの対象に
<30年>
 三木清が共産党への資金提供容疑で検挙される
<31年>
 満州事変
<33年>
 作家の小林多喜二が特高警察による拷問で死亡
<37年>
 日中戦争始まる
<38年>
 国家総動員法制定
<41年>
 予防拘禁制の導入と罰則強化を盛り込む治安維持法の改正(3月)
 太平洋戦争始まる(12月)
<42年>
 神奈川県特高警察が共産党再建謀議の容疑で言論・出版関係者らを逮捕。拷問で4人が獄死。「中央公論」「改造」が廃刊させられた(横浜事件)
<45年>
 三木清検挙
 終戦(8月)
 三木清が獄死
 GHQの「人権指令」
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記は、4月12日の朝日新聞に掲載された「(あのとき・それから)1945年 哲学者・三木清の獄死 「共謀罪」に重なる治安維持法」という記事の全文である。

わたしは、不思議なことに岩波書店から刊行された『三木清全集』を買いたいと思ったことはない。ただ、大学入学した直後のわたしは三木清の著作である『人生論ノート』(新潮文庫)『哲学と人生』(講談社文庫)『哲学入門』(岩波新書)『パスカルにおける人間の研究』(岩波文庫)等を漁り読み、三木清はわたしにとって�狄閥瓩陛�学者�瓩任△辰燭砲發�かわらず、である。

かといっても、わたしは『三木清全集』の数冊を�爛丱蘿磴き瓩靴討い拭�そのうちのほとんどは今回の引越に際して古本屋に売ってしまったが、今も『三木清全集』のうち、第八巻の『構想力の論理』と第18巻の『語られざる哲学・手記・哲学的人間学・親鸞』だけは手元に残してある。

三木清は、西田幾多郎の愛弟子の一人で、その優秀さは、のちに京都帝国大学文学部哲学科の中核を占めた、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治等問題ではなかったのかもしれない。しかし三木清は留学後、母校である京都帝国大学で職を得ることはできなかった。

その理由として、三木清が留学中にある夫人との�猊堽儉瓩�原因だったと言われているが、わたしにはもう一つ納得がゆかない。それよりも三木清が留学中にドイツで書き、発表した論文のなかで�狎簑佚傾沈��瓩箸いΩ斥佞鮖箸辰燭�らではないかと考えている。

戦前の日本社会において�狎簑佚傾沈��瓩箸いΩ斥佞論簑个龍惷腓任△辰拭E傾弔劉狄談鵜瓩任△詁�本国民が自らの国の仕組みに軽々しくものをいうとは�猊垠漂甅瓩謀�たると考えられていた。だから天皇を国家の仕組みと説いた美濃部達吉の�狹傾諜ヾ慇皚瓩廊猊垠匹謀�たる�瓩箸靴撞蠱討気譴襪砲い燭辰燭里澄�そう考えると、留学後の三木清が京都帝国大学のみならず、他の帝国大学で職を得ることができなかったということにも納得ができるのである。

三木清は、留学帰国後、西田幾多郎の努力により、新設された法政大学の哲学科の主任教授としてかろうじて職を得たものの、大学での�犖Φ羲圻瓩箸靴討領�場から哲学を論じるのではなく、�犧潴遒療�学者として�疆�学を論じたいという思いから、その法政大学からね離れていったという。

そうして1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして検事拘留処分を受け、東京拘置所に送られ、同6月に豊多摩刑務所に移された。この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、それに起因する腎臓病の悪化により、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡しているのを発見された、享年48。

三木清の獄死は。GHQにも知り大きなショックを与えた。敗戦からすでに一ヶ月余をへていながら、政治犯が獄中で過酷な抑圧を受け続けている実態が判明し、占領軍当局を驚かせたのだ。旧体制の破綻について、当時の日本の支配者層がいかに自覚が希薄であったのかについての実例なのである。この件を契機として治安維持法の急遽撤廃が決められた。そもそも三木が獄中にとらわれていたことを親しい友人たちですら知らされないでいたことも、当時の拘禁制度の実態を表している。

わたしの恩師・原野栄二先生は、戦前特高警察の24時間の尾行を受けていた。原野先生は共産主義思想とは全く関係がなく、むしろ共産主義思想を�狆�ばか�瓩砲靴討い燭砲發�かわらず、である。西田幾多郎も治安維持法違反での�犖ゝ鵑亮雖瓩傍擇鵑任い燭箸睚垢�。わたしは原野先生からその端をお聞きした時に、「治安維持法」の怖さを感じたのを未だに覚えている。

安倍晋三は、共謀罪が一般市民に及ぶことはないと繰り返す。では、安倍晋三が言う�牋貳婿毀鵜瓩箸呂匹里茲Δ併毀韻覆里�。それは、政治に全く関心がなく、ただ黙って時の政権の言いなりになり、�犢颪里燭瓩北曚辰道爐鵑任い���国家にとって都合のいい市民であり、安倍晋三は暗に共謀罪で逮捕されるのが嫌ならば、�犢餡箸砲箸辰禿垤腓いす駝韻砲覆讚瓩閥爾靴討い襪里任△襦�

わたしの研究テーマの一つに「戦前の京都学派哲学の戦争責任とは何か」ということがある。そのなかで�犹位收境瓩箸いε�学者の存在が大きくなってきている。そうして三木清という哲学者の存在は、単に�狹�学�瓩箸いο箸鯆兇┐董�大きく�犹�代�瓩箸いξ鮖砲箸いο帆箸澆里覆�で考え直していかねばならない存在になっているのである。

次回、岩波書店から『三木清全集』が刊行されたならば、全巻購入を考えようと思っている。
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