mixiユーザー(id:157948)

2017年01月31日04:05

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素晴らしい記事です、本当に素晴らしい人が書いた素晴らしい記事です(トランプ感)

 「まず褒めよ」という部分、いいと思います。誰も損をしません。
 「まず褒めよ」ができない人もいますよね。ダメな人だと思います。私は仮説を持っているのですが、自分がみじめなので他人が評価されるのがおもしろくない人というのがいるものなのです。そういう地雷人間は褒めない。自分の誤りも認めない。自分の評価がいつもギリギリ我慢できないくらい低いので、それを脅かすものに耐えることができないのです。仮説ですけれど、当たっている自信があります。

 ところで、人材育成なんですけれど。
 性善説か性悪説かに似た混乱がある気がします。どちらも正しいような気がするとき、「どっちだ?」と考えることが誤りというか、先入観であることがあるものです。言葉の定義づけが甘いので混乱するという可能性もありますよね。
 「褒める」「叱る」も、たぶん違いはわずかしかないんですよ。というか同じものですよ。言葉のくくりの問題で。

 「人を正しく見よ」
 「人を正当に評価せよ」

 ということだけでしょう? それが好評価の場合には「褒める」になるのだし、逆だと「叱る」になる。入力が違うと出力も変わるデバイスが人材育成という機構ですよね。

◆

■褒めて伸ばすか、叱責か。人材育成や子育てが二者択一ではない訳
(まぐまぐニュース! - 01月30日 17:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=240&from=diary&id=4408676

ほめて育てるか、厳しく育てるかという議論は、育児だけではなくビジネス等の人材育成の場でも頻出しますよね。そもそもどちらが正しいのでしょうか。こんな究極的な疑問に、無料メルマガ『弁護士谷原誠の【仕事の流儀】』の著者で現役弁護士の谷原誠さんが出した答えは?

ほめるか、叱るか

こんにちは。

弁護士の谷原誠です。

人を育てる方法は、ビジネスにおいて大きな課題の一つ。大きく分けて「ほめて育てた方が良い」「厳しく育てた方が良い」という二つの相反する考えがあります。ビジネスだけではなく、育児本などでもよく聞かれる正反対の論調です。

近年は「ほめて育てる」といった本が流行する傾向があるようですが、「ほめて伸ばすのは間違い」といった内容の、反対の立場からの論考もよく読むようになった気がします。この「対立」はなぜ起こるのでしょうか。

「ほめる」派の人の言い分はこうです。人に厳しく接すると、相手は萎縮して自分の力を発揮することができない。叱られることを恐れ、自分の意志で成長しようとしなくなる。よいところをほめ、伸ばすことで結果的に良い人材になる、というもの。

一方「厳しく」派の人の考え方は、人はほめられるとだらけてしまい、ミスをしやすくなる。そもそも基本的なスキルができあがっていないときにむやみにほめれば、増長し、勘違いするだけで成長が妨げられる、といったところでしょう。

それぞれに納得できるところはありますが、どちらの方が正しいのでしょうか。と、問いかけてみたものの、私はなにごとも二者択一の考え方が好きではありません。二者択一の問いかけを見ると、問題の立て方自体を疑ってかかってしまいます。「どちらが良いか」と言われると「両方良い」と言いたくなる性質です。



つまらない答えかもしれませんが、厳しくすべき場面で厳しく、ほめるべき場面ではほめるのが正しいのだと思います。そして本当の問題は、ほめることと厳しくすること、どのようなときに使い分ければよいのか、ということなのだと思います。

上に説明したように、ほめるのは長所を伸ばすため。厳しくするのは、ルールを守らせたり、ミスを防いだりするためです。目的が異なりますので、ほめることと厳しくすることの双方に矛盾はないはずです。

また、矛盾しないだけではなく、この双方には、互いのデメリットを減殺する作用が働きます。長所をほめることで、厳しくすることによる萎縮する効果がやわらぎ、いざというときに厳しくすることで、ほめることにより増長するというマイナスは減殺されることになります。

実は、「厳しく育てる」派の人の中には、元々ほめるのが苦手で、どうほめてよいかわからない人がいます。また「ほめて育てる」派の人は、部下を叱れない、あるいは厳しく接して嫌われることを極度に恐れている人がいます。その現状を正当化するための論理として、二者択一のどちらかを正しいとしている部分もあるのかもしれません。

何をしてもほめられるようなコミュニケーションでは、ほめられた方も何が良かったのかわからず、何も学べません。逆に根拠なく叱られること、まったく予測がつかないときに叱られると萎縮します。

適切な場面で使い分けることで互いに補完し合う関係にあると言ってよいでしょう。それぞれの機能を考えながら、メリットを最大限にし、デメリットを減殺する指導を行うのが重要なのではないでしょうか。

「まず相手をほめておくのは、歯科医がまず局部麻酔をするのによく似ている。もちろん、あとでガリガリやられるが、麻酔はその痛みを消してくれる」(デール・カーネギー)

今回は、ここまでです。

image by: Shutterstock

◆

(超耳)

>「まず相手をほめておくのは、歯科医がまず局部麻酔をするのによく似ている。もちろん、あとでガリガリやられるが、麻酔はその痛みを消してくれる」(デール・カーネギー)

 トランプ米大統領がいつもいつもいつもいつも使っているワザですよね。
 「素晴らしい人たちが集まってくれました」「ほんとうに素晴らしい人たちです」
 と、10秒後には貶す人のことまで一度は褒める。
 あまりにでたらめに褒めるので胡散臭い人間だと見えるんですけれどね。そしてその通りなんですけれどね。言葉に誠実さのない人間が中身だけは「ほんとうに素晴らしい」なんていうこと、ありますか? あれは、醜い人間ですよね。

 言葉の麻酔にコロリとやられる人がどうか少ない世界でありますように。
 (そうではないようだ、というのが2016年の北米の大きな国でひとつ実証されてしまいましたけれど)

 さらっと厳しいことを言って終わりにしますね。

・「褒める」「叱る」の両方ができない上司はダメ上司である
・ひるがえって、「褒める」「叱る」の両方ができない人はダメ人間である

 と言えると思います。
 無能な人って、上記のとおりのギリギリ低評価の大気に窒息しそうになっているので、やみくもに他人を貶して世界順位を上げる努力をしようとします。錯覚で、意味がないことなんですけれど、たぶん無能ゆえに自分一人をだけは騙すことができるんでしょうね。意味ないんですけれどね。
 貶すことしかネットに書かない人、飲めば他人の悪口を言う人、自分の誤りを認めることができない人は、そういう人ですよね。
 「自分はみじめな存在です。自尊心を保つ手段が他人の悪口を言うことしかありません」と喧伝しているのですよね。

 トランプさんみたいな人でも心にもない「素晴らしい」を連発できています。それすらできない器の小ささ、悲しいものがあります。
 どうかバカが一人残らずいなくなりますように。できれば学ぶことによって。
 私のようなバカも、こうしてネットの記事を読んで考えるくらいの耳垢レベルの努力くらいは、しつづけています。ちょっとはマシなものになるかもしれませんよね。そう淡い期待をしています。
 正しく見て、正当に評価するという地味な作業をしつづけること、忘れたくないものですね。

>何をしてもほめられるようなコミュニケーションでは、ほめられた方も何が良かったのかわからず、何も学べません。逆に根拠なく叱られること、まったく予測がつかないときに叱られると萎縮します。

>適切な場面で使い分けることで互いに補完し合う関係にあると言ってよいでしょう。それぞれの機能を考えながら、メリットを最大限にし、デメリットを減殺する指導を行うのが重要なのではないでしょうか。

 うん、正しく見て、正当に評価するだけですよね。たぶん記事では正当に評価するだけではなく匙加減によって効果を大きくしたらいいと言いたいのだと思います。そちらの具体例のほうも少しは挙げてほしかったなあ。

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