中国人は天安門について語るとき「羅生門」という言葉を使う。
何故かというと羅生門に登場する人物たちは
自己保身のために平気で嘘をつき、真相を闇に葬り去ろうとするからだ。
天安門事件の当事者たちも都合のいい事実を作り 真相を見えなくさせる。
「天安門事件の関係者はまるで羅生門の登場人物のようだ」というのである。
芥川龍之介は羅生門の原作となった小説の中で
善と悪について語り、人間の本質を描きたかったのだろう。
中国人は物事を相対的に考える傾向が強い。
だからこそ芥川の考え方に共感するのではないだろうか?
つまり芥川はこう考えたのではないか?
「0と1は違うが1と100は同じだ。
何故ならば1と100は存在するという意味において同じだからだ」
たとえば中国人に政治腐敗を質すと「全く腐敗していない国などない」と答える。
中国では0でなければ1も100も同じなのである。
善と悪は表裏一体という考えで
100%の善もなければ100%の悪もない、
つまり「この世に絶対は存在しない」という東洋思想が根付いているのだ。
映画「天安門THE GATE OF HEAVENLY PEACE」の内容を巡っては羅生門現象が起きた。
学生リーダー柴玲の発言は不自然で、
別々の記者に答えた物を編集してつなぎあわせたものだ、という説が有力だ。
つまり彼女を陥れるための捏造だという。
映画を作った中国人監督のカーマ・ヒントンは毛沢東崇拝者で 、
今もプロパガンダ映画を作り続けている。
学生運動指導者たちによれば
中国共産党工作員が運動に参加して学生の過激性を演出し
弾圧の口実を政府に与えたのだという。
中国社会は今も昔も混沌としていて
真相は常に闇の中である。
中国で真相を明らかにすることは
善と悪の境界線を見つけること同じくらい困難なことなのだ。
■天安門から27年、香港で追悼集会 中国厳戒10人拘束
(朝日新聞デジタル - 06月04日 22:53)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4027349
ログインしてコメントを確認・投稿する