mixiユーザー(id:33240433)

2016年05月23日09:42

490 view

国民は教育で何をしたいのか。

私は勉強をしたいんだ、私学に入りたいから国は金を出せ、と、
大阪で大騒ぎした女子高校生をなんとなく思い出します。
一方で、かつて大学は大人になる前に好き放題遊べる場所、という認識もありましたし、
現在も少なからずそれに近いイメージを持つ高校生も多いのではという気はします。

大学とは本来高等教育であり、必要な人間、相応の人間にのみ与えられれば良い教育だと思うのですが、
現在は就職ツールとして、不可避の存在になってきているようです。
企業も大学からの新卒者を中心に採っていますしね。
この辺りは、アジア人的な(中国も韓国も似た状況なので)発想が強いのかな。
もはやこの時点で、能力主義など遥か彼方に吹き飛んでいるわけで、
迷走していると言ってもいいでしょう。

教育による国民全体の知的レベルの底上げ、というものは重要ですが、
基本的にはそれは義務教育で担われるべきものです。
ですので、例えば高校までを義務教育にする、というような議論であれば問題はないと思います。
教育内容というものは時代とともに増加しますし、
同時に社会的成熟というのも遅くなっていきます。
しかし、大学という高等教育にまで、希望者全員参加をさせることに意味は感じません。

勉強をしたい、という意味が問われる時代のような気がします。
有名企業に就職させるための大学に意味があるのか。
私はあくまでも高い教育が必要な分野、医療や法曹関係に象徴されるような、
一定以上高度な専門家を養成するためのものであればよいのでは、と思います。
そういう意味での大学教育と、その結果としての「学歴」であれば私は肯定します。

しかし、交友関係を満足させたいという憧れのようなもの、
学歴欄にまともな大学を書きたいという見栄のようなもの、
有名企業に就職できるツールとして、
あるいは有名企業が人を集めるための仕分けラベルとして、
学歴が存在するのであれば、私はそれを否定したいと思います。

ここでいう、給付型奨学金というものは、
受給者が何をするための奨学金なのでしょうか。
受給者側の目的意識や金銭感覚が薄いのも、そのあたりの目的意識に差がありそうです。
そのあたりを踏まえずに、多くの人が欲しがっているから差しあげろ、というのは、
衆愚政治の最たるものだと思います。








■返さなくてもいい「給付型奨学金」 どう考える?
(産経新聞 - 05月22日 13:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=4004693


2 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する