よく言えば(?)玉虫色の返事ですよね。
言質を取られることを嫌う児童や学生に見られるのはよくわかります。追及されてものらりくらりと逃れればハッピーだと考えているのですよね。負の学習をしてしまったんでしょう。
言葉は人となりを語ります。
言葉使いがダメな人は人格もダメであることが多い。
ぜひぼかし言葉を憎みましょう。
近づけるべき人と遠ざけるべき人とを区別するためのフィルタとして使いましょう。
現実世界ではなかなかズバリと指摘することはできません。一過性の関係ではないですしね。ダメな人でも消えてなくなってくれたりはしませんし。
ネットではどんどんフィルタにかけるといいと思います。
人を遠ざける技術こそ必要なんですよ。ミスしてもいくらでも逃げていいんだし。
「ぼかし言葉」を使う人は「言質を取られることを怖がるチキンです。いつでも逃げる人間です」という幟(のぼり)を立てているのです。そんな人は多いですよね。
そうそう、この四月に家庭訪問を受けたんですけれど。そこでやってきた教員がまさにコレでした。のちに生徒たちにも見抜かれて嫌われ、バカにされています。問題が起こっても自分の責任は認めず他人は責める。ぼかし言葉を使う人の多くの割合がこういう手合ですよね。
世界一かわいい自分、守りたい自分を、ちっとも守れていないんですよ。おかしい話です。
繰り返しますけど、のらくらしていればなんとかなってきた学生時代とか教員世界とかの負の学習によってそうなってしまったんですよね。
頭の悪い教員ってイヤだなあ。
◆
■ビジネスでは厳禁?増加する若者の「ぼかし言葉」の是非
(JIJICO - 10月02日 18:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=180&from=diary&id=3645037
文化庁が「ぼかし言葉」の使用頻度増加を公表
「ぼかし言葉」の使用頻度が15年前より増えているということが、9月17日に文化庁が公表した2014年度「国語に関する世論調査」の結果とともに報じられました。「ぼかし言葉」とは、「良かったかな、みたいな」などの言い回しを指し、若い世代の「その場の雰囲気を壊さないように断定することを避ける風潮」から生まれたのではないかと、新聞記事では伝えています。
私は日々、塾の生徒である高校生以下の子どもたちや、スタッフとして働いてくれている大学生、大学院生の人たちとの接触が多くあることから、この見立てには概ね納得がいきます。また、二十年ほど前から、学生たちの気質の変化を取り上げる(時には嘆く)方々の文章で、「若い人たちは気を配ることができないのではなく、その表現方法が変わってきたのだ」という指摘をいくつか目にしました。言葉そのものが変遷するという本質と合わせれば、今回の報道も特に怪しむべきことではないと言えるかもしれません。ただ、この「ぼかし言葉」を全面的に支持して良いのかと言えば、そう簡単にイエスというわけにはいきません。
地域の垣根を越えて広まる言葉もある
実は、今まで筆者の元にかかってくる営業電話からも、これは「気を遣ったつもり」であるらしい「ぼかし言葉」という印象を受けることがあります。その中に「これはちょっと変だぞ」という言葉遣いがありました。
例えば、「現在行っている、大変お得なキャンペーンのご紹介だったんですが…」。ひところファミリーレストランで、注文したメニューを復唱したあとに「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」というフレーズで確認をとることが、「何で過去形なんだ」と取り沙汰されたことがありました。この言葉も、それと似ているように感じます。
このような言い方は、突然湧いて出てきたものではありません。愛知県あたりでは、昔から、「これでいいんですか?」ということを「これでよかったですか?」と言っていました。「ぼかし言葉」と思われる言い回しのうちでも、このタイプのものはかつて関西の女性の一人称だった「うち」が、全国の男子にまで(男子は一部だと思いますが)及んだ現象と同じく、愛知など一部の地方の「よかったですか?」のような表現が、地域の垣根を越えて広まった可能性もあるように思われます。
ビジネスの場では使用を控えた方が賢明
さて、ではこの「ぼかし言葉」は、どこまで受け入れられるものなのでしょう。前提として、「昭和の時代に成人し、現在50代の経営者である男性」という属性にある筆者の、さらに個人的な感覚であることをお断りした上でお話しします。ビジネス、もしくは社用(社内)では、いかにそれが「雰囲気を壊さないために気を遣った」結果のものであっても、あまりに曖昧すぎて話者の意図が酌み取れないような場合には「困る」というのが、本当のところです。
若い人たちと話していて、その人たちの「雰囲気」になじめないのではありません。やはり、時と所、そして相手を考え、結論と経緯が明確に求められる場合には、意図がはっきり伝わるよう、そして「言葉のルール」をわきまえて話すことが必要なのではないでしょうか。
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(超耳)
>ビジネス、もしくは社用(社内)では、いかにそれが「雰囲気を壊さないために気を遣った」結果のものであっても、あまりに曖昧すぎて話者の意図が酌み取れないような場合には「困る」というのが、本当のところです。
慎重な記者ですね。
でも不特定多数に読まれる記事としてはこのあたりが妥当だということもわかります。
伝わるといいですね。
「駄目だ」と言っていることが。
交渉時などの手練手管の一つとしての「ぼかし言葉」というものは有用かもしれませんけれど。
自分個人を(自分のミスの引責から)守るためだけにぼかし続けるというのはよくないですよね。いわば生きている間ずっと卑怯者を演じている。演じているというか卑怯者そのものですよね。
機会があったら他の人に「ぼかし言葉を使うのやめませんか?」と言ってみようかなあー。
力量ある記者のいい記事を読ませていただきました。
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