ソ連でもアメリカでもいい。キリストでもイスラムでもいい。今日は武器を置こう。
政治がどうとか、外交がどうとか、国益とか、そういうのを忘れて、
亡くなった方に哀悼を捧げようよ。
抑止力とか、報復とか、いろんな理屈はあるけど、核を捨てよう。
広島、長崎の平和宣言文は尊いものです。
従来その宣言文は、投下したアメリカを責めず、それを招いた日本を責めず、
世界中の誰も責めることなく、犠牲者を悼み、平和と核のない世界を希求しました。
その理念は政治思想の優劣を超え、根源的な願いとして共有されるべきものです。
しかし、そこに、特定の政治思想を盛り込んだ途端、
浅い思想の透けて見える、醜く汚い、独善的な宣言文に成り下がりました。
安保法制に反対と言ったからではありません。
安保法制に賛成と言っても同じように私は非難します。
政治の話をするとき、どちらの派閥も、どれほど意見が対立したとしても、
心の奥底には平和を求め、安心できる世の中を願う心があるはずです。
しかし戦争とは、それらを基にした正義のぶつかり合いです。
ヒロシマナガサキが忌避したかったのは、正義の名の下に行われる悪事のはずです。
今回、ナガサキの平和宣言文はそのような崇高な理念を土足で踏みにじりました。
「私こそ正しい」という傲慢さは、ヒロシマナガサキの理念を根底から覆すものです。
戦没者を政治利用した、一瞥にすら値しない、唾棄すべき政治集会に成り下がりました。
それすら気づかない平和主義者たちが多くいることもまた、空恐ろしく感じます。
マイミクさんのお勧め記事
ナガサキの平和理念について、わかりやすく書かれています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944919605&owner_id=12848274
■安保法案への言及、起草委が議論し盛る 長崎平和宣言
(朝日新聞デジタル - 08月09日 18:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3558388
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