記者はしっかりした人ですね。
ちゃんと「「弱いものがさらに弱いものを叩く」ことを放置すべきではない。」の部分を末尾に持ってきています。
弱者にはいたわりが必要です。守らなければいけないと思います。
だから「弱弱問題」にもちゃんと向き合わないといけないですよね。
自分が弱者だということを免罪符にわがままを通すのは別の弱者への攻撃です。ときには強者から弱者への攻撃より激しいものになります。
代表例が、殺人事件のいくつかにも現れています。社会的弱者が、子供を殺す。たぶん性犯罪を含めると弱弱問題はすごく巨大な問題になっていると思います。いえ、人類発祥以来まったく絶えることなく巨大であり続けたんじゃないでしょうか?
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■過剰クレーマーに「孤立、ストレス、劣等感」の共通点 「寂しい独居老人」や「介護疲れの主婦」も逆上
(キャリコネ - 05月03日 18:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3401272
GWは仕事を休み、行楽に出かける人も多いだろう。しかし世の中には休めない人たちがいる。特に接客サービス業は、連休こそが書き入れ時だ。おかげで休みを快適に過ごせるのだから、もっと感謝されてもいい仕事ではないか。
そんな接客サービス業で、最近特に問題になっているのが「過剰クレーム」だ。2015年4月24日放送の「おはよう日本」(NHK総合)では、「追いつめる社会」と題してその実態を追っていたが、そこには珍しく「加害者の論理」が紹介されていた。
40代男性「飲食店や工場などで非正規の仕事を転々し…」
あるコンビニでオーナーが深夜勤務をしていると、おにぎりの温め中に男性客が店外に出ていってしまった。その客はしばらくして戻ってくると「食べようとしたら入っていなかった!」と怒鳴り散らし、オーナーに土下座を強要したという。
このような理不尽かつ激しい感情的な批判を伴うクレームは、明らかに過剰なものだ。オーナーはこれがきっかけで店に近づくのも怖くなり、恐怖で深夜勤務ができなくなった。
なぜ過剰なクレームが増え続けているのか。番組では過去に土下座をさせたことがある関東地方に住む40代の男性に話を聞いた。病院で長時間待たされたことに腹を立て、事務職員に土下座を求めた時のことをこう語る。
「自分は間違っていないという事を知らせたかったのかな、他の人にも」
この男性は、飲食店や工場などで非正規の仕事を転々としてきた。「(上司からの)圧力がキツかったねえ。言われたことは全部やらなくちゃいけないと思うから。無理をして無理をして」と当時を振り返る。いまも仕事ができないでいるという男性は、胸の内をこう明かした。
「自分が厳しくされたことを世間に見せつけみたいなことをさせたい、という気持ちはあるかもしれない」
ストレスのはけ口を他人に求める「負の連鎖」も
クレーム対応のコンサルティング会社を経営する援川聡さんは、1000以上の企業からクレームの相談を受ける中で、過剰なクレームをつける人に共通する傾向に気付いた。それは、孤立やストレスで社会のひずみの影響を強く受けている人たちだ。
「75歳、独居のお年寄り。家族とは疎遠な関係がうかがえる」
「50代、自分の母親の介護に疲弊している」
援川さんは「劣等感や自分の『こうしたい』という欲望・希望が、思いどおりにならなかった時にクレームになっている」という見方を示した。
取材にあたった水嶋大悟ディレクターは、過剰クレームを発する人の言葉の端々に「社会に対する強い不満」を感じたと話し、ストレスのはけ口を他の人に求める「負の連鎖」も起きていると感じたそうだ。
一方、接客の現場では過剰クレーマー対策を練り始めており、過剰な要求に応えないとする研修も行われているという。名古屋市の市営地下鉄では、警察を招いた暴力に対する対応の仕方を学んでいた。
番組を見ると「加害者の論理」にも同情するが、だからといって「弱いものがさらに弱いものを叩く」ことを放置すべきではない。まじめに働いている人が理不尽に被害者にならない工夫はもっと必要ではないか。「おもてなし」の名の下で、働く人に我慢を強要する世の中の風潮を根本的に変えるべきだ。(ライター:okei)
◆
(超耳)
順番を正しく捉えて発信する記者には好感が持てますよね。
ちゃんと
>まじめに働いている人が理不尽に被害者にならない工夫はもっと必要ではないか。
「もっと」必要なことに目を向けようとしています。
ちなみに弱弱問題は辞書にも乗っている、古くから知られている有名な問題ですよね。
>ルサンチマン【(フランス)ressentiment】
>強者に対する弱者の憎悪や復讐(ふくしゅう)衝動などの感情が内攻的に屈折している状態。ニーチェやシェーラーによって用いられた語。怨恨(えんこん)。遺恨。
>提供元:「デジタル大辞泉」
でまあ、強者に向かうルサンチマンはそれほど多くないわけです。お上が恐ろしくて歯向かうことはできないと被差別民に石をぶつけるような輩が歴史上にもすごく多かった(マジョリティだった)わけです。被差別民を設定する社会制度が264年間続いたりした事例もありますもんね。それがなくなったのだってべつに被差別民を置いたことにより崩壊したというわけじゃないですし。
ルサンチマンに染まる人の思考は単純で、為政者によって最初から仕組まれている通りに不満を抱き恨みに身を焦がすのですが、為政者によって最初から仕組まれている通りに被差別民というべつの弱者に攻撃をしたりするようなのですよ。
全部、読まれている。コントロールされている。理不尽な目に遭わせても計算通りに動くから大丈夫だと思われている。辛いことですね。
アリの飼育のようです。
江戸時代にはたぶん一人の人間の力で逆らうことはできなかったでしょうけれど。
抵抗するとしたら、弱者への攻撃でウサを晴らすようなことは自分だけはしないと決意して生きていくことくらいでしょうか。
でも今は違うはずですよね。
誰も仕組んだりしていない。ルサンチマンに操られて生きる必要はない。
だのに。
他人によって冷静に観察されている状況で、決まりきった通りにルサンチマンに染まるとしたら悲しいですよね。アリのように「こうしたらこういう行動を取るのに違いない。やはり思ったとおりだ」と観察されているわけですから。意志などかかわりなく、ルサンチマンを優先してしまう人格だと見抜かれてしまうわけですから。
他人に読まれている通りにしか行動できない無能も悲しい。輪をかけて、その行動の結果が自分を害悪にまで貶めてしまうものだという事実が悲しい。
しかも、彼らは弱者でありながら順番によって守られるよりも先に排除され、攻撃されなければなりません。要するに、大概の場合において守ってもらうことはなく排除されるばかりです。
学ぶ機会が、一度もなかったのでしょうか?
まわりの大人は一言も注意したりアドバイスしてくれたりはしなかったのでしょうか?
どんな人間になるべきかを教えてくれる本の一冊でも読むチャンスはなかったのでしょうか?
おそらく義務教育にしたがって学校生活を送るだけで、まともな人間ならふんだんにその機会はあったはずでしょうに。どんなダメな大人に囲まれて、どんなにハズレの先生にしか当たらなかったとしても、図書館には知恵もあり道徳心を備えた人たちの言葉がたくさんあなたを待っていたでしょうに。
いえ、学校で終わりじゃないですよね。今からでも本を読むことくらいかんたんにやれること。
弱者でありながら、弱者であることを盾にしてふるまうのは悲しいですよね。
弱者から抜け出す努力は自分ではまるで不足しているのに、他人には自分を守れ助けろと要求するのは浅ましいことですよね。
クレーマーだって弱者です。守られるべきだと思います。
でも順番はいちばん最初ではないですよね。
そして、弱者にいちばん辛い未来を押し付けているのは誰なのか、しっかり見据えておかないといけないですよね。
彼をアリの一匹のようなアルゴリズムで動く小さな存在に押し込め続けるのって、もしかして彼自身なのじゃないかなって、疑ってもいいでしょうか?
(NHKのサイトから画像。アリのアルゴリズムを観察しているようだなあー。あ、すみません、悪く言うつもりはなかったのです>アリ ダメ人間と比較なんかしてごめんなさい。)
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