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2015年04月20日16:10

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菊池章太著『エクスタシーの神学―キリスト教神秘主義の扉をひらく』(ちくま新書)を読む

菊池章太著『エクスタシーの神学―キリスト教神秘主義の扉をひらく』(ちくま新書)を読む。

キリスト教神秘主義のみならず、あらゆる神秘主義において�爛┘�スタシー�瓩箸いΩ斥佞楼譴弔離�ーワードである。たとえば、�爛┘�スタシー�瓩箸いΩ斥佞蓮∧�教においては「法悦」「忘我」あるいは「恍惚」という言葉が意味するところににあたるであろう。

菊池章太氏は「プロローグ―教会公認エクスタシー」のなかで、わたしたちが歴史の教科書などでよく見るフランシスコ・ザビエル像を引きながら、次のように書かれている。

「本書の舞台となるヨーロッパはキリスト教社会である。そこでは理性が重んじられてきた。しかしその反動であるかのように、感性が頭をもたげることもしばしばある。理性と感性が綱引きを繰り返している。感性が優越したとき、その極点にエクスタシーという形態がある。それは自分を捨て去って自分の外にある途方もなく大きなもの(基督教であれば神)とつながらろうとする究極の達成にほかならない。」

心臓に十字架を指して点を仰ぎ見るザビエル像はまさしくカトリック教会公認の�爛┘�スタシー�瓩世箸い錣譴襪里任△襦�そしてザビエルが所属したイエズス会の創設者・イグナチオ・デ・ロヨラが著した『霊操』は苦行と祈りにより過去へと至る「魂のトレーニング書」であったという。

本書では、十四世紀の聖カテリーナ、十六世紀の聖女テレサ、十七世紀の修道女シュザンヌ、二十世紀の患者マドレーヌという四人の神秘体験をした女性を紹介しながら、そもそもキリスト教神秘主義の元祖であるプロティノスやその弟子ディオニュシオス・アレオパギテース等の神秘主義者を紹介しながら、キリスト教神秘主義がプラトンのギリシア哲学とキリスト教との出会いから始まったことを紹介している。

また、二十世紀の患者マドレーヌでは、彼女の神秘体験に対して精神医学のピエール・ジャネが次第に医学から宗教へと目覚めていった経緯は、科学万能だと考えられている今日のわたしたちに非常に大きな問いかけをしているように思われる。それは、はたして医学は人間の精神状態をどこまで解明しているのか、いや、もっといえば、科学は人間に何をもたらさせているのかという問いかけのように思えた。

菊池章太氏によれば、�爛┘�スタシー神学�瓩箸蓮⊆�分自身から〈外に立つ〉ことであると同時にあらゆるものの〈外に立つ〉ことである。それは、いかにして実現されるのかというと、人間のはからいなどおよびもつかない神の接待的な力によって可能となる。人間をエクスタシーに投入させ、「神の闇」へと上昇されるのは神自身だと述べられている。

そして自分自身の〈外に立つ〉のは人間だけではない。神もまた神の世界から〈外に立つ〉ことによって神自身が人間の世界に入って�犲�肉�瓩靴董▲ぅ┘后Ε�リストとしてユダヤ民族の、さらに人類の苦難を�爐箸發豊畆�けられたのだとキリスト教では解釈されてきたと述べられている。わたしはそこに歎異抄における法蔵の本願ではなく、�猝鐶砲遼楷雖瓩判劼戮真二造汎韻犬茲Δ聞戎泙鮖廚辰燭里任△襦�

さらに菊池章太氏は、『善の研究』における西田幾多郎の�狃秧莊亳貝瓩亡悗靴董◆峺�る主観なければ見らるゝ客観もない。恰も我々が美妙なる音楽に心が奪われ、物我相忘れ、天地唯嚠喨たる一音声のみなるが如く、此刹那所謂真実在が現前して居る」を、�爛┘�スタシー�瓩判鼎郵腓錣擦討い襪箸海蹐枠鷯錣亡愎瓦鮖�った。

本書は、キリスト教神秘主義の�狷�門書�瓩△襪い廊牋篤盻餃瓩里澆覆蕕此▲�リスト教世界我とも�猖�かな感性�瓩鬚錣燭靴燭舛剖気┐討�れる一冊であるように思えてくるのである。

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