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2015年04月10日21:18

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[哲学]米国の宗教vs同性愛 差別と区別の定義とは[考察]

 ニューズウィークを読んでたら脳細胞を刺激されたので衝動的に書く。なんかこうパッと考えが浮かんで書かずにはいられなくなったのだ。この頭がムズムズする感覚ってなんだろうな。
 今日書く事は、政治の話というよりは哲学といった方が正確かもしれない。タイトルの問題について考える事は正解がないもはや哲学の領域であろう。

 さてタイトルの問題とは、米国の 宗教の自由回復法 の是非の事だ。インディアナ州ではこれに対する批判で大規模なデモが起こっている。
 どういう批判なのか簡単に説明すると、この法律が通れば、例えば同性愛カップルがケーキ屋さんにウェディングケーキを発注した際、ケーキ屋さんは宗教上の理由で受注を断る事ができるようになる差別助長の法律という訳だ。

 なるほど同性愛者にとってはたまったものではないが、しかし宗教の戒律に従う事ができないというのも問題がある気がする。つまりは「人権のジレンマ」が発生しているのである。

 双方が納得できる解決策は存在し得ない。そこでとりあえず、それぞれの言い分を正当化する理屈を考えてみた。あなたならどちらを支持するだろうか。

 まずは宗教の自由を優先する場合。(因みに私の自然な考えはこちら)

 それを論じるにはまず「差別の定義」をしなければならない。差別を明確に定義しなければ、ウェディングケーキの受注を宗教上の理由で断る事が差別なのか否か論じられないからだ。

 差別の1つの定義として、違いを理由に危害を加えるかどうかという点がある。
 例えばキムさんという人と知り合ったとして「ああ、韓国人なんですね」と感想を抱く事はただの区別だが、「韓国人かオルァ!」と殴ったら明らかに差別だという事は論を俣ないであろう。

 ただし、ややこしい話になってしまうが、ここでもまた「危害」について明確に定義をしなければならない。つまり、こちらから積極的に害を及ぼす事だけが果たして危害なのだろうか。 向こうから関わろうとする事を拒否する事もまた、危害とみなせるのじゃないだろうか。 つまり、ウェディングケーキの受注を拒否する事や、もっと分かりやすい事例を出せば学校や職場で「無視」といういじめを行う場合だ。

 無論、積極的な攻撃でなければ相手の気の持ちようであり危害ではない、と強弁する事は可能だが、それでは詭弁という感が拭えない。無視する側は確実に自分の判断で相手に不快感を与えているのだから。

 以上の議論からは、単に 区別に危害を加えた場合=差別 と定義する場合、ウェディングケーキの受注は断れなくなってしまう。

 だが差別の定義にもう1つの観点を加える事で宗教者の自由を守る事ができる。それは、「関わりの拒否に合理性が存在するか否か」である。

 例えばの話、私がある町で居酒屋を経営しているとしよう。当然の話、理由もなく「韓国人お断り」との看板を掲げれば明らかに人種差別である。
 では、仮にこの町が非常に嫌韓感情の強い町だったとして、私が韓国人の常連客達と仲が良かったとしよう。しかし「あの店は店主が韓国人と仲が良いからきっと韓国人が多く来るんだぞ」という噂が流れたせいで、みるみる店の売上が減少し経営危機に瀕したとする。
 こういう場合、経営上は「韓国人お断り」との看板を立てざるを得ないのではないだろうか。「客を選んではいけないが噂が流れて店が潰れるのは自己責任だ」といわれるのはあまりにも理不尽だろう。論理矛盾である。

 あるいは私が、極端に嫉妬深い女性と結婚したとしよう。それで妻に心配をかけない為、職場で女性職員とは仕事上必要最低限の会話しかしようとしなければ、それは女性差別となるのだろうか? 正解は存在しないが私としてはならないと考える。

 以上の事から、私式の差別の定義は [ 区別に付随して、「合理性のある関わり拒否を除く危害」を加える事]とする。 差別という言葉をこう明確に定義する事で、宗教上の理由でウェディングケーキの受注を断る事が人権上優先される事の説明がつく。
 日本国憲法上、日本国籍を持たない永住者に選挙権や生活保護の権利がない事も上記で説明がつくようになる。

 この場合では同性愛者はどうすればいいかというと、別に同性愛者である事を黙ったまま発注するなり、宗教者じゃないケーキ屋を探すなり方法はあるのである。その為、私としてはこちらの解釈の方が合理的と考える訳だ。


 ここで記事を終えると公平性に欠けるので、同性愛者側の視点でも考察してみよう。
 仮に差別の定義を上記にした場合でも、更に「宗教上の理由を合理性と見なすかどうか」という問題が浮かび上がってくる。


 仮に政府の立場として、「政教分離の『徹底』」を掲げる場合、同性愛者の人権を優先する事が可能だ。政府の見解として宗教上の理由を「合理性の範疇と見なさない」とする事で、ケーキ受注の拒否を差別と認定する事ができる訳だ。(この場合はいわゆる近代主義、すなわち左翼思想である)

 というか、元々米国は上記の状態であり、それを覆す為の法律が「宗教の自由回復法」であって、この度の騒動となっている訳だ。

 要は、基本的人権といった近代思想が成熟する前に発達した巨大宗教に対し、容赦なく政府の近代主義を押し付けるか否かというのが問題の根っこなのだ。

 現代であれば、近代思想から逸脱する新興宗教は(例えばオウムかな、オウムの教義を知らないので何とも言えないが)忌み嫌われて簡単に事実上消滅するだろう。だが、長い人類の歴史の中でしっかり根を張ってきた古典的宗教は自然消滅しない。

 言い換えれば、キリスト教やイスラム教とて人類が長年築き上げてきた伝統なのだ。そんなドッシリと根を張っている人類規模の伝統を、政府があっさりと否定してしまうのはいささか「傲慢」ではなかろうか(こういう考え方は保守主義(右翼的)とも言うだろうか)

 だが確かに近代主義(左翼的)とて、あながち間違ったものとは言い切れない。
 むしろ、政治とは1か0かの話ではないので、右翼と左翼というのは適切に混ざり合って丁度いい塩梅になるべきものだろう。もしくは、地域ごとに住み分けるとか。(日本だと例えば埼玉では宗教の自由回復法導入、千葉では不導入とか)

 
 まぁ日本人にはほぼ無縁な問題だが、あなたがアメリカ人だったら、果たして宗教の自由回復回復法に賛成? 反対?



■「イメージが崩されなくて嬉しい」「ハマっても辛いから見ない」『アルスラーン戦記』BL禁止説に悲喜こもごもの声
(おたぽる - 04月10日 03:11)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=178&from=diary&id=3364081
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