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2015年03月10日12:52

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�狒蟾饂�にて参禅せよ��

かつてわたしが大谷大学の大学院に通っていた頃、西谷啓治先生から「相国寺で参禅する気はないか」と聞かれたことがある。

わたしは、知っての通り、重度の身体障害者で�犧汰気鯀箸爿瓩海箸�不可能に近いと思い、「参禅するつもりはありません」と答えると、西谷先生は、「そうかな。きみなんかが参禅したら面白いと思うのだが」と、煙草をふかされたことがあった。

場所は西谷先生のご自宅の応接間であり、先生はいつも人とお会いになるときは、応接間で面談されることが多かった。

「ぼくも若い頃、相国寺で参禅したんだ。だから君も参禅したらいいと思ったんだが・・・・」
と、先生がまた言われたので、わたしは思わず、
「ぼくには�狷醋軌ぬ鐶吠��瓩�ありますから」
と、言い返した。

わたしが西谷先生が自分に�犹価記瓩箸い錣譴燭里蓮⊇ゞ掬�学研究の上で、参禅の経験をしておいた方がいいと言われたのだと考えていた。だからわたしは宗教哲学研究に禅仏教ではなく、浄土教的アプローチをしたいと考えていたのだ。だから�爐椶�には南無阿弥陀仏がありますから�瓩氾�えたのである。

すると、西谷先生は、
「きみ、そんなことを言っていたら、�狷醋軌ぬ鐶吠��瓩砲覆襪世韻世茵�
と、笑いながら言われたのを覚えている。

後日、そのことを堀尾孟先生(当時は大谷大学文学部哲学科宗教学分野専任講師だった)に話すと、
「それは、西谷先生が白隠禅師のことが頭にあって、君にそう言われたのではないかな。白隠禅師も足が不自由だったしね」
と、解説してくれたことがあった。

それがきっかけで、白隠禅師の書物を何冊が読んでみたことがある。白隠禅師はとてもユニークな禅僧だったらしい。その�爛罐法璽�さ�瓩惑魃A技佞�足が不自由だったからなのかもしれない。そんなことを科感じたりしていた。

西谷先生は、それ以来、わたしに�犹価気擦茘瓩箸いο辰呂気譴覆�なった。その代わり、「親鸞とエックハルトの信仰における近さと遠さ」というテーマを頂くことになったのかもしれない。今となっては、�犹価記瓩鯀�んでおいたうがよかったのかなと思ったりもするのだが。
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