自分と同じことを言うから正しいと考えるのではありません。
むしろ逆で、彼も正しく思考し、我も正しく思考するならば着地点は必ず近いだろうという当然を感じるものです。
三橋貴明さん。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11981747013.html
小学生に言うように「国は国民を守るものだ」ということを言わないといけない状況ですよね。
物事をまっとうにとらえ考えるスキルというものを誰もが磨かなければいけないと思います。
一部をメモします。
◆
(略)
わたくしには、「安倍政権の責任」論も、「自己責任」論も、共に違和感を禁じ得ません。なぜなら、事は「日本国が、日本国民を救うのか、否か」という、国家の根源的な問題であるためです。
安倍総理のイスラエル外交や反イスラム国支援が正しかったのかどうか。あるいは、湯川氏や後藤氏の行動が正しかったのかどうか。あるいは、テロリストに息子を人質に取られた母親が、外国人記者クラブで「反原発」を主張することが正しいのかどうか。
上記は、問題ではないのです。安倍総理の外交がどれだけ失敗だったとしても(「失敗だった」とは書いていません。念のため)、あるいは湯川氏や後藤氏の行動がどれだけ無責任であったとしても、それでも、
「日本国は日本国民を見捨てない」
が成立しなければ、我が国が繁栄の下で継続することはないでしょう。
(略)
現在の日本国は、「自己責任論」や「安倍責任論」にかまけるのではなく、
「どうすれば、人質となっている『同胞』を助けることができるのか」
「どうすれば、今後、テロリストに邦人が人質になることを防ぐことができるのか」
について、国民一人一人が考え、議論をしなければならないのです。
正直、今回の人質事件を受け、「安倍総理の責任にしたい」「安倍総理を庇いたい」に代表される、個々の「政治意図」を優先する言動が蔓延っているのを見て、冗談でも何でもなくかつての魯迅のような気持ちになってしまったので、反発覚悟で本音を書かせて頂きました。
◆
(超耳)
私の見方とは違うところもあります。
国民全体の考える力は損なわれていない。一丸となる力も損なわれていない。そう私は今の時点では感じています。
一部にバカがいるのは古今東西に共通なのですから、一部のバカを見て「みんなバカだ」と思ってしまってはいけない。むしろ「このバカ」と一蹴するだけの力がまだまだ大衆に備わっている。そんな現状です。バカの暴走が目立つ(人質画像の模倣やコラージュがたくさん出回っているなど)とはいえ、国民の力が昔より劣っていると感じるずっと手前です。
私が子供の頃からずっと見てきた大人たちも子供たちも、まあ、今よりマシとは到底言えない感じでしたよ?
自己責任論にまた触れますけれど。たしかにごく一部の人たちは暴走しています。
けれども私自身がそうであるように「自己責任だって問わねばならない。次の被害を減らすためにも」と考える人はその何倍、何十倍も多いと思います。
暴論を吐いている人はたしかにちょっとおバカさんですよね。でも違う見方もしてみたいと考えるのです。「自己責任だ」と言い放つその気持の根底には何があるのでしょう?
被害を防ぎたかったという思いがあるのに違いないと確信しています。防げなかったことの悔しさもあると思います。悔しさや無念さを抱えるにも心の強さが必要ですよね。それに耐えられない人もいるのでしょう。耐えられない時に出てくるのが、他者に責任をなすりつけて自分一人を楽にさせたいという弱い心。人の心にはそんな作用があることも、私個人は推察しています。おそらく当たっていることでしょう。彼らが悪い行動をするおは悪い気持ちからなのではなく、不勉強であり、学んだ経験が足りないせいなのです。(もちろん学んでこなかったことはダメなんですけど!)
安部総理責任論者にも同じ心の弱さを感じます。これにも自信があります。悪の心ではなくむしろ「自分にも何もできなかった。助けてやれなかった」という事実を受け止めることができず、逃げたいあまりに「悪いのは自分ではない。自分は一般人だ/野党の人間だ。安部総理なら止められたはずなんだ、自分じゃ無理だったけど」という言い訳が暴走している。私はそう見抜いているつもりです。(見抜かれている人は、見抜かれている事実を知って恐怖してもらいたい。恐るべき目が世の中にはたくさんあることを知っておいてもらいたい)
はびこっているのはあくまで不勉強、努力の欠如、努力しないくせに黙っていることもできない愚鈍+蛮勇、気持ちに素直なくせに自分の弱さだけは隠すさもしさ、そういうものだと思います。
日本人が殺されたことが嫌なんですよね、みんな。そうじゃなかったら「誰々のせいだ」なんて言うことなく無視して忘れてしまうことができるはずなんだし。
心の痛みから逃れる方法だけを間違え、そして自分の曲がった性根に当の本人だけが気付いていないという悲しい状況なんですよね。
学ばないこと、自分を改めないこと、なんと恐ろしいことではないですか。
三橋貴明さんという優れた知性が考えを公開してくれて助かります。
今は「みんなの日記」を眺めてみてまっとうだと思える意見は少なめです。ても、やはり物事を捉える力と判断する力が備わった人はいるとわかります。(エキセントリックな発言のほうが注目を集めているだけで実数ではまともな方がずっと多いのかもしれないですよね)
優れた考えは時間とともに劣った考えを駆逐していくものだと私は思います。
自分の未熟さに対して謙虚な人というのは他者の意見にも耳を傾け胸を開いて受け止めてくれるに違いないからです。
ログインしてコメントを確認・投稿する