時間が経つとすぐれた意見は残りますが淘汰されてしまったものは消えてしまいます。
後出しジャンケンも始まります。
ということでたまにはありのままの状態をメモしておかないといけないなと感じています。
誰かが淘汰してくれるのを待っていては間に合わないこともある。
次の判断のよすがになりますよ。
湯川遥菜さんが殺害されたと発表されたニュースが日本中を動揺させています。
生き死にの問題には誰もが真剣に、本気で考えると私は思っています。
どんな本気があるのでしょうか?
すでにすぐれた意見が出ているのに、他人の耳目と脳とをセンサーとして外部装置として活用しない人がいたりはしないのでしょうか?
私はときに舗装道路があるすぐ横で荒れ地の草むしりをしようとします。まったく新しい道路を作ろうとするのです。舗装道路がありそこを歩いている人さえ大勢いるというのに。私がやっているのは徒労です。練習としては、ありなのですけれども。
気づかないだけで、舗装道路を利用するのにやぶさかではありません。私というバカの一人も、よい舗装道路があるなら利用するべきだと知ってはいるのです。もしも労力を提供するのだとしたら舗装道路をメンテするとか少しなりとも延長するとか、有益な方向に使いたいと思っています。
でもわき目もふらずに気持ちに素直なまま道を作ろうとしそうになる自分もいるのですよね。でこぼこで、行き先だって間違っている道が生まれてゆき、たいてい、どこにもつながらないまま途絶えます。
そんなどうしようもない愚かな私を戒めつつ。
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