センター試験の国語で出題された文章、問いにもなった部分ですけれど。
>「教えて君」よりも「教えてあげる君」のほうが、場合によっては問題だと思います。
わかりやすい逆説だけれど、この出題は好ましかったなー。
論理の力を備えていない子には解けないから。
国語ってなぜか読解力というものを誤解されている教科で、その場その場でのがんばりが成績を決めるというように思われているものです。とりわけ、勉強において自分の限界に近づいたことのない人のほとんど全員がこの種の思い込みを持っています。
あらかじめ体験しておいた思考回路、論理の筋道なしに論説文が読めるでしょうか?
あらかじめ味わっておいた人生の疑似体験、感情の振れ幅の経験なしに小説が読めるでしょうか?
もっと突き詰めて言ってしまえば、毎日毎日の日々の生活で言葉と論理と人物の心情の動きの観察とを磨かなくて国語の得点力など上がるものでしょうか?
よく言われる「本を読め」というのは、これらの鍛錬を端的に言ったものとして間違いとは言えないのですけれど。
でも、生きて呼吸している時間のすべてが国語の勉強ですよねー。
能力を磨かない人は逆説すらわからない。
昏い。
ものすごく昏い世界でロウソク程度の明かりもないまま歩いていく。
べつにセンター試験のために国語を学ぶのじゃないわけですよ。
学ぶとセンター試験でも得点力が上がるというだけで。
昏いままの人生は辛いよという事実を端的に表しているだけで。
見通しが違うし、道端にいくつも落ちている幸福のタネ、かんたんに拾える黄金の粒に気づいて拾い上げることができるようになるというのが、大きな違いですよね。黄金の粒って言いましたけれど、お金を手に入れるのだって楽になるのですよね。(「いいところに就職する」なんていう意味じゃないですともー)
これからも学ばない人たちを落とす入試であってほしいな。
それだけが、学んだ人、これからも学んで人類に利益をもたらす人を白亜の塔に招き入れるために必要な道ですから。
大学の力って、日本の国全体を幸福に押し上げるんですから。
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