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2014年11月25日08:38

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古代日本は文化的に南中国とつながりがあったと言う話。

対馬で仏像盗む 韓国人4人逮捕
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3155941

対馬は韓国の領土だった!と韓国人は主張しているようですが、
有史以来の話をするなら、韓国の南半分は日本のもの、ということになってしまいます。
うわぁいやだわー

すでに紀元前2-3世紀には、朝鮮半島南部はくっきりと日本の文化に覆われていました。
加羅、任那と歴史で習いましたかね。※
あの地域。と、少なくとも百済があった南東部。
日本式の作物、土器、装飾品の出土する密度がハンパないです。

百済近辺は、漢などの中国中央政権の迫害を逃れた人々がやってきて、定着し、国を作ります。
有名なイヤンバカンカンベン…バカンベンカンシンカンですね(面倒なので変換しない)。
なぜ、朝鮮半島北部を経由することなく、いきなりここに国を作った/作れたかというと、
自分たちとつながりの深い倭人がすでにいたからです。

倭人と彼らのつながりが深いというのは、明記されていないにもかかわらず
日本書紀などの中で読み取ることができます。

例えば、倭は一度、百済に土地を割譲しています。
いわゆる、加羅地区。※
後に新羅に奪われて国際問題化するとともに、
倭の大臣に汚職が発覚して彼は失脚します。
…朝鮮半島から賄賂をもらって売国する大臣のルーツは1400年の歴史がある訳です…。
まあ、それは冗談として、「新羅に奪われなければ」問題にならなかったんですね。

また、宗像大社(福岡県)の宮司は、当時2代続けて南中国から嫁をもらっています。
宗像大社はアマテラス大御神の直系の女神をまつり、
海の交易の重要な神様なので、その嫁が外国人、二代続けて…ということには意味がある訳です。

もちろん、当時の天皇家やその近くの貴族達にも、百済の血は多く入っています。
新羅、高句麗からも人質を取る一方で、彼らの子孫についての記述が少ない一方、
百済の嫁には○○の子孫は○○と、系譜がわかることが多くあるのです。

また、謎の百済の先進性も不思議なんです。
百済本紀など、歴史書の完成度が半端なく、新羅や高句麗を超えています。
百済はその国力自体は両国に劣るにも関わらず、です。
日本に仏教を伝えたのも百済なら、鉄を持ち込んだのも朝鮮半島南部。
中北部よりも優れた技術を持っていて、陸伝いに文化が伝播したにしては
おかしなことが多いのです。

水稲の文化なども総合すると、日本の文化的なルーツは揚子江河口付近にあったようで、
台湾から海伝いに九州に入り、朝鮮南部まで至ったのかなという気がします。
そこを頼って中国南部の王族が移住して百済となり、
結果的に百済は日本の分家、分国に近いポジションになったと思われます。
南中国の文化を共有するモノ同士、だったわけですね。

なので白村江の戦いでも、土地的に近い新羅&日本で組まずに、
百済&日本 VS 唐(北部中国)&新羅
で戦ったのだと思われます。
一見無茶な百済救援も、アラスカをまもるアメリカ本土のような位置づけだったのでしょうね。

白村江にいたった馬鹿天智(祟られそう・・・)の話も書きたいのですがまた今度。


あさっぱらこんな2本も長い日記書いてヒマなのか?
いいえ、締め切り前の現実逃避です!!!
業務にもどります!!


※
そもそもさー、韓国は自称的にKARAを使いますけど、
韓をカラと読むのは和読みですからね。
加羅をカラと読んだから、あの地区を指す「韓」を「から」と読んだのですよ。
わかってんのかなー。

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コメント

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