テロリンは、5月15日に、2130年から1932年へタイムリープした。1907年生5月24日生まれの川島芳子は、25歳になったばかりだ。
この時期、川島芳子は、関東軍がでっち上げたばかりの「満州国」の、日本軍占領地に居るはずだ。
5月15日に首相公邸を襲った海軍青年士官ら九人を射殺して、犬養毅総理大臣を守ったテロリンは、その後12日間、東京の銀座、浅草、を中心とする歓楽街のカフェーで、女給さんと遊び呆けていたが、「満州国」の、のちに「大慶」と呼ばれる油田地帯に残して来た、同志・傭兵・眷属たちが、石油の採掘と精製に成功した、と言うので、満州へ行って、川島芳子と会うことにした。
大慶の油田地帯は100�匯擁�に及び、そのほぼ中心地から半径55�劼鮴�圧して、油井、製油所、石油タンク、を優先的に建設しているが、半径200�劼砲歪�が無い荒野の真ん中なので、二〜三日は誰も通りかからず、通りかかった者は、「プレデター」改良型の無人機で威嚇して追い返していた。
しかし10日たち、追い返された者の通報で、満州国軍や日本軍がやってきて、数回にわたり、数カ所で軍事衝突が起きていたが、「AH1S攻撃ヘリ」、カーボンナノチューブ装甲車、を装備したテロリン軍は、敵を制圧、撃退していた。
この当時、日本軍が装備していた89式戦車は、AH1S攻撃ヘリの20�亠ヾ慄い如∈任眩�甲が厚い部分を撃ち抜けたし、日本軍戦車の57�佶い任蓮�厚さ5�舒幣紊離�ーボンナノチューブ装甲で覆われたテロリン軍車両はビクともしない。
日本軍戦闘機も、まだ複葉機か、セスナ機みたいな高翼単葉機で、最高速度は「オスプレイ」より遅い。
大慶から東京まで2000�勸未竜�離だったが、オスプレイだと航続距離は、ギリギリ往復ができるかどうか。
「列車で、北九州あたりまで旅行してから、オスプレイで迎えに来てもらおうか。この時代だと特急列車を乗り継いでも二泊三日の旅になるな。 明日朝一番の特急列車で大阪まで行って、その日は大阪泊まり、翌日の夕方、大阪発の寝台特急に乗って車中泊、博多到着は三日後の昼頃、と言うところか?
いずれも一等車で食堂車を利用すれば、けっこう楽しい旅になるだろう」。テロリンは考えた。
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