我輩は安西雄介と言う者だが、須佐之男命の依り代である。
我輩が、その事を知ったのは、1984年の早春、26歳の時。同姓同名の主人公が登場する、栗本薫の「魔界水滸伝」と言うSFを読んでから、の事だった。
須佐之男命の「世を忍ぶ仮の姿」、安西雄介は、元・左翼ゲリラ「第三革命戦線」のリーダー、と言う設定だったが、
我輩も1977年〜79年には赤ヘルメットの新左翼セクトのシンパであり、84年の早春には、「原発いらない市民の会」と言うグループに入って反原発運動をすると共に、アナーキストの発行する「リベーロ」と言うミニコミ誌に投稿したり、アナーキストが主催する「自由人講座」に参加したり、していた。
浅草東宝と池袋東宝の土〜日オールナイト東宝特撮映画上映会でB5版4ページだての「ゴジラ通信」を発行して、ゴジラが反戦反核映画である事を再認識すべき、と特撮ファンに訴えたりも、していた。
現・世田谷区長の保坂展人と共にピースボートに乗り、現・参議院議員の辻元清美と知り合ったのは1983年の事だった。
当時、我輩は安西ゴジラ、と名乗っていた。
その我輩が、魔界水滸伝を読んで、我輩と須佐之男命の関係について調べてみると、まず、我が父上が、丑年生まれで、須佐之男命を祀る牛島神社の氏子。
我輩が生まれたのが、須佐之男命を祀る須賀神社の近く。三軒隣には須佐さん、と言う一家が住んでいた。
父上は元・陸軍上等兵、のち日本共産党員、60年代には全逓信労働組合・東京簡易保険局支部(組合員800人)の副支部長で全逓・東京南部地区(3000人)執行委員。60年安保闘争の時には全学連と共に国会議事堂の構内へ突入した事もあったそうである。
その父はSF、特撮、漫画ファンでもあり、SFマガジンを創刊号から購読、鉄腕アトムの第1回完成試写会に幼い我輩を連れて行ってくれ、我輩に初めて見せた映画は、宇宙大戦争だった。
ログインしてコメントを確認・投稿する