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2022年07月09日13:13

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【評伝】安倍晋三元首相 垣間見た優しさと苦悩

【評伝】安倍晋三元首相 垣間見た優しさと苦悩
7/9(土) 9:06 西日本新聞 配信より

https://news.yahoo.co.jp/articles/b03a131601942fe7517d225db49e40d2e1f0cf83

西日本新聞
参院選候補者への支持を呼びかける安倍晋三元首相=6月24日午後、北九州市小倉北区のJR小倉駅前(撮影・平山成美)

■前東京報道部長(佐賀総局長) 植田祐一

 人によってこれほど好き嫌いの分かれる政治家はいないのではないか。安倍晋三元首相は在任中、保守派の絶大な支持を受ける一方、リベラル派からは相当な批判や反発を受けた。その政治手法や政策には常に光と影がつきまとい、評価は今も国民を二分する。

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 にもかかわらず、安倍氏は安定した政権基盤を背景に歴代最長政権を築いた。真骨頂は「危機管理」だった。とりわけ第2次政権のアベノミクスは専門家の賛否を巻き起こしながらも景気拡大を実現し、不況が政権批判に直結するリスクを遠ざけた。

 閣僚の問題発言が発覚すればスピード更迭し、初動の遅れが批判の的になりかねない大規模災害では、発生直後の「プッシュ型支援」を徹底した。2016年に「保育園落ちた日本死ね!」の匿名ブログが反響を呼ぶと、保育士の待遇改善を打ち出し、野党の攻め手を奪った。

 これは民意の離反を招き、短命に終わった06〜07年の第1次政権から導き出した教訓だった。「いろんなことで決断ができなかった。悩んで夜も眠れなかった」。安倍氏は通算の首相在職日数が歴代1位となった19年11月、当時の苦悩を周辺に明かしている。

 私は1990年代に山口県に勤務した。1次政権時は首相官邸の担当記者だった。2次政権は東京報道部長として2度目の退陣を見届けた。安倍氏の政治家としての軌跡をたどる時、近年の老練さよりも、かつての苦悩にその実像を見る思いがする。

 目に焼き付いている光景がある。1次政権の2007年5月29日、スキャンダルで自殺した松岡利勝農相のひつぎを乗せた車が、お別れに国会周辺を巡った。安倍氏は身じろぎもせず官邸前で車を待った。一緒にいた下村博文官房副長官らが話しかけても応じない。ゆっくりと車が通った時、唇が震え、目が潤んでいるように見えた。

 郵政民営化の造反組を復党させたり、問題閣僚をかばったりと温情で傷口を広げたかつての安倍氏。再登板は強気と周囲の忖度(そんたく)で「1強」と称されたが、そこで封印した優しさ、朗らかさ、そして弱さが安倍氏の本質ではなかったか。

 安倍政権の功罪はこの先も問われ続ける。だからこそ時代の転換期に世界と日本の行く末を見届けず、凶弾に倒れた安倍氏の無念さを思う。

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最終更新:7/9(土) 12:54 西日本新聞

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