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2021年05月24日11:24

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日露戦争時のロシア地図も「日本領竹島」だったw

日露戦争時のロシア地図も「日本領竹島」 日大・笠原助教が確認
2021.5.23

 韓国による不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)を日本領として記載した20世紀初頭のロシア製日本地図を、日本大学の笠原孝太助教(日露関係史)が確認した。地図の刊行は日露戦争(1904〜05年)中で、当時の敵国であるロシアでさえ竹島を日本領と認識していたことを示す重要な資料という。

 地図は、帝政ロシア時代の百科事典「大百科事典」(全20巻、1900〜05年刊)の第20巻収録の「日本」の項目に、彩色された別刷りで添付されたもの。笠原助教が今年、ロシアの古書店から取り寄せた。地図自体に制作年の記載はないが、同巻巻頭には1905年4月28日付でロシア政府の検閲許可を受けたとの表示があり、日本の領土に関する20世紀初頭のロシアの認識を示しているとみられる。

 地図の縮尺は800万分の1で、2つの小さな島からなる竹島の特徴的な形状がはっきり確認できる形で描かれている。竹島はロシア語で「リアンクルト(ゴルネット)」と記され、西隣の「マツシマ(ダゲレト)」と表記された鬱陵島(うつりょうとう)まで含めて日本領とされていた。両島の間には長崎とウラジオストクを結ぶ海底ケーブルが描き込まれており、笠原助教は「海底ケーブルまで描かれた地図は珍しく、その敷設地を示すために竹島を描いたのではないか。この地図により、日本の竹島周辺海域の利用実態が鮮明化した」と位置づけている。

 日本は江戸時代から竹島を漁業などで利用しており、日露戦争中の明治38(1905)年1月の閣議決定で島根県に編入した。同年5月27〜28日には周辺海域で日本海軍がロシアのバルチック艦隊に大勝した日本海海戦が行われており、アシカ漁のため竹島に滞在していた日本人漁師が海戦の一部を目撃。戦争後期には日本海軍の望楼も設置されていた。

 竹島を日本領と明示した19世紀後半から20世紀初頭の西洋の地図については、これまでにも英国の世界地図帳やドイツの日本に関する書籍に収録されたものなどが確認されている。日露戦史に詳しい現代史家の秦郁彦氏は「日露戦争中に出たロシアの地図という点が興味深い」と指摘し、「これまでに見つかった外国の地図と比べ、敵国の日本に不利な解釈を取るのが当然の立場であるロシア政府の検閲を経て公刊された地図ということに価値がある」と評価している。
https://special.sankei.com/f/society/article/20210523/0001.html?373976
韓国と対立している竹島問題で、少なくともロシアが韓国に味方することは無くなりました。
帝政ロシア時代の公式地図を否定したら、今のロシア共和国は正統性を失いますw

韓国に今見せても開き直るだけだろうけどね。
強盗に辻説法しても無駄です^^;
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