日本を代表する世界的なハイデッガー研究者に京都大学名誉教授の辻村公一さんという人がいる。
辻村公一さんは、ハイデッガーの『Sein und Zeit』を『有と時』と訳する。ハイデッガーの『Sein und Zeit』を『有と時』と訳するのは、辻村公一さんだけで、他の翻訳者は『存在と時間』と訳している。
辻村公一さんが��Sein�瓩鬮猴��瓩般�されるのは、多分に和辻哲郎の��Sein�瓩鬮猴��瓩箸��犖粛��瓩箸�と訳されていることも影響しているのかもしれないが、辻村公一さんは、最晩年の田辺元に哲学を学んだ人であり、京都学派の「絶対無」の思想からハイデッガーの哲学と�狢亰茘瓩靴討い辰真佑任發△襦�
わたしは、恩師・西谷啓治先生の法事の際、お酒を召し上がられていた辻村公一さんにお目にかかったことがあった。
「山内得立先生なんか、怖くない」
と、お酒を召し上がられて、少しいい気分に酔われた辻村公一さんはそう語られていたことを思い出す。
辻村公一さんの学生時代、辻村公一さんの卒業論文の主査は山内得立先生で、副査が西谷啓治先生であった。主査である山内得立先生は辻村公一さんの卒業論文を�爍足疊縦蠅砲靴茲Δ箸靴燭里髻�副査である西谷啓治先生が�爍銑疊縦蠅砲靴茲Δ隼各眛昔�先生に随分働きかけたという話を聞いていた。卒業論文が�爍銑疊縦蠅任覆い函�大学院への進学が不可能になってしまう。そこで西谷啓治先生が動かれたという。
しかしそのような山内得立先生と辻村公一さんとの関係の原因は、戦後の京都帝国大学時代の戦争責任を問うて、高山岩男氏を大学追放事件がある。当時の京都帝国大学文学部哲学科の主任教授は山内得立先生であった。高山岩男氏の大学追放に反対した辻村公一さんは山内得立先生に猛抗議をしたという。そのことがあって、辻村公一さんの卒業論文判定騒ぎになったという話を聞いたことがある。
辻村公一さんは、京都学派の「絶対無」の思想からハイデッガーの哲学と�狢亰茘瓩靴討い辰燭判颪い燭�、辻村公一さんにとって「絶対無」とは何だったのか。辻村公一さんが京都学派の「絶対無」をどのように解釈されていたのか、そしてどのような意味合いでハイデッガーの「有の問い」に絶対無から解釈しようとされたのか、辻村公一さんのハイデッガー解釈にもいろいろと問題があるように思われる。
まずは辻村公一さんが�爍咤紕蕋遶瓩髻嵳�」と訳されたその理由から明らかにしていこうと思っている。辻村公一さんは日本を代表する世界的なハイデッガー研究者であり、京都学派の流れを汲む哲学者でもある。そんな辻村公一さんのハイデッガー解釈についても少しエッセイを書いてみたいと思ったりしている。
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