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2019年08月07日12:50

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母の遺骨箱を抱いて

母が8月4日に亡くなった、享年、82歳

母は自分で血液を作れないという難病を長年患っていた。そこに6年前にに乳癌となり、その癌が肺に転移もしていたという。

昨日、母の告別式を滞りなく終える。

「皆愛宥和信女」

母の戒名である。

臨済宗妙心寺派の僧侶による読経を、母はどのように聞いているのだろうか?

「なるようにしかならん」
と、母は事ある如くにそう言っていた。母の口癖である。

「なるようにしかならん」
これはひょっとして�狢称六彖朖瓩覆里�と、臨済宗妙心寺派の僧侶による読経を聞きながら、わたしはそう思えた。

母の実家は、遺骨は東本願寺の東大谷御廟に収めてある浄土真宗本願寺派の門徒、しかも�犖胸鰐臈稔瓩箸い錣譴襦∧茲鮖�たない門度である。

「墓のような冷たいところにはいるのは御免だ」
と、母方の祖父は言っていたから、母方の実家には墓がないと母も考えて来たが、本来浄土真宗という教団ができる前の�狄二駄臈稔瓩任蓮∧茲鮖�たず、親鸞の周囲に遺骨を納めるという習わしがあり、その習わしに従って母の実家では墓を持たなかったのだ。そのことをわたしは大谷大学の真宗史の授業で習ってわかったことだ。

出棺前の最後のお別れの際、わたしはずっと母の頬を触っていた。
�爐覆◆△發Π豌鵑世院�眼を開けてえな��
と、心のなかで何度も何度もそう言いながら、わたしは母の頬を触っていた。

わたしは、母のこの頬にどれほどの涙を流されたことのか。わたしはやはり�猊埔咾梁�子�瓩世辰燭伐�めて思いながら、母の頬をずっと触り続けていた。

告別式の後、斎場で母の荼毘にふされた。とても小さな遺骨であった。白い遺骨箱に入れられた母の遺骨をわたしは、ずっと抱いていた。二人の妹たちがわたしが墓に参ることができないからずっと抱いていてあげてと言ってくれ、ずっと抱かしてもらっていた。

母の遺骨箱を抱いていると、母に抱かれているような、そんな不思議な気がしていた。幼き頃、母に甘えて抱いてもらった、あの感覚が甦て来たのだ。

「お母さん、お母さん」
と、わたしは遺骨箱に何度も呼びかけた。それは母に甘えて抱いてもらっていた、幼き頃を思い出しながら。
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