折々のことば:1535 鷲田清一
存在は与えられているのであり、いつ奪われてもおかしくない
(関根清三)
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神による世界創造という考えを否定しても、それが人に与えられているという事実は残る。そしてさらに重要なのは、与えられたものはいつか奪われるやもしれないという事実だと、聖書研究家はその著『内村鑑三』に書く。近代の科学・技術が創造の概念を放擲(ほうてき)しても、在るものには失われる可能性もまたあるというこの「根源的事実」まで一緒くたに手放してはならないと。
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上記は、先日にも引用した、2019年7月29日付朝日新聞に掲載された、鷲田清一さんの「折々のことば」である。
昨日、上の妹から母が危篤で今は病院のICQに入っているということ、そして医師曰く、今日か明日が山場だといわれたという。
ただ、病院のICQに入れるのは家族だけで、しかも時間が決められているという話である。上の妹には、申し訳ないが、自分はもう行かない、行けないと話しておいた。先程、下の妹に電話をして、同じことを伝えておいた。�爐�母さんもみんなもわかっているから大丈夫だ�瓩塙圓辰討發蕕┐拭�
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と、関根清三さんは語る。わたしは今、母を奪われようとしている。昨年の12月に父を奪われたところだというのに。
わたしが母の入院という知らせを知り、母を見舞ってまだ一カ月もたっていないというのに。
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わたしは今、母を奪われようとしている。
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