今朝、目が覚めると、煌々と部屋の照明がついていた。
�爐┐叩△覆鵑如2燭派�屋の照明がついているのだろうか?��
と、思いながら、しばらくベッドのなかで考えていた。
昨夜、BSプレミアム「シリーズ深読み読書会「井上靖“敦煌”」」を見ながら、うつらうつらしていて、気がついたら、その番組は終わっていた。
最近、夜、ドラマを見ながら、うつらうつらと寝入ってしまい、気がついたら別の番組が放映されているという事が多くなった。だからそのドラマの最後どうなったのかという事が分からじまいに終わってしまうことも多々ある。
しかし昨夜は、ベッドに入ったときにたしかに部屋の照明は消したはずである。ひょっとして夜中にトイレにでも行ったのであろうか。しかしわたしにはその記憶がない。では、ベッドに入って照明を消したという事自体がわたしの記憶近いなのだろうか。
独り暮らしをはじめて、4年目になる。朝、新聞配達の人が玄関まで新聞を届けてくれるので、6時半には起きていなければならない。このことが少しプレッシャーでもあるが、そのことが独り暮らしをはじめて、この4年、大きな病気もせずに、メリハリの効いた生活を送れている大きな要因の一つでもある。その考えると、紙ペースの新聞を取り続けることはわたしにとって有益で、新聞代以上の価値があることだ。
しかし今朝、目が覚めたとき、どうして部屋の照明がついていたのだろうか。LED照明に変えたのでさほど電気代はかからないとは思うのだが、しかし気持ちが悪いのだ。
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