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2019年03月24日14:17

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林晋著『西谷啓治と田辺元』を斜め読みする

京都哲学会刊行の学術雑誌『哲学研究六百三号』に掲載された林晋著「西谷啓治と田辺元」という論文を斜め読みをする。

林晋氏によれば、西谷啓治と田辺元の関係は、西谷啓治の�犇�の立場における回互的相入�瓩蓮�田辺元の�犲錣力斥�の哲学�瓩痢嵶∧屬掘廚隆愀犬砲△襪箸いΔ里任△襦�そしてその「裏返し」の関係とは、�猗刃静�な批判�瓩砲△襪箸いΨ誅世砲覆襪箸いΔ里任△襦�

その結論を導くために、西谷啓治の主著『宗教とは何か』や理想社から刊行された「講座仏教思想」に収められた『空と即』、さらには創文社刊行の『西谷啓治著作集』に収められた「大谷大学講義」等を用いて、検証しているのである。

わたしが林晋氏の学術雑誌『哲学研究六百三号』に掲載された論文に注目したのは、「西谷啓治と田辺元」という西谷啓治と田辺元という並べ方にあった。普通は、『田辺元と西谷啓治』という並べ方になるのではないか、なのになぜ「西谷啓治と田辺元」という並べ方なのか。そのことについて、林晋氏は直接的には触れていないが、どうも西谷啓治の�犇�の思想の発達史�瓩暴鼎�を置いて論じたからではないかと思われる。

また林晋氏によれば、西谷啓治の哲学を西田幾多郎の哲学との比較で論じている論文は多いが、西谷啓治の哲学を田辺元の哲学との比較で論じた論文は各無だったという。その上で西谷啓治にとって人間関係的により近く、親しく交流していたのは、西田幾多郎よりも田辺元であったと指摘する。西谷啓治が京都大学の講師となり、田辺元が京都大学教授を退官し軽井沢へ隠居する間、西谷啓治と田辺元とは家族ぐるみの付き合いをしていたという。

�狹鎚娶気脇颪靴�、近づきにくい人であった�瓩箸い�事は、わたしも西田幾多郎、田辺元の門弟だった先生方から聞いていただけに、西谷啓治と田辺元との人間関係には少し驚いた。

「私が、本論文で紹介するような、西谷と田辺の思想の関係を考えるようになった理由は、敢えて単純化して言えば、田辺研究を通じて知った西谷と田辺の個人的親密さと、西谷の深い田辺理解、この二つ、特に後者に対する驚きであった。」
と、、林晋氏は書いているが、林晋が驚いたという西谷の深い田辺理解とは次のようなものだったという。

「田辺哲学が、新カント学派マールブルグ学派的な意味での数理哲学であったことを、最も良く理解していたのが、数理哲学には、縁のないといえる西谷だったのである。」

西谷啓治は、田辺哲学が�狄�理哲学�瓩任△襪海箸髻∈任睥匹�理解していたという。その点に林晋氏がこの論文を書こうとした理由があるという。その理由からすれば、「西谷啓治と田辺元」という論文のタイトルの意味もよくわかる気がする。長年、田辺哲学に従事してきた林晋氏が西谷啓治の深い田辺哲学の理解に気がついたとき、敢えて田辺元より西谷啓治の名前を先に書こうとするのもよくわかる気がしたのである。
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