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2019年03月23日19:14

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最近、ニコラウス・クザーヌスが気になっている

ここにきて、ニコラウス・クザーヌスが気になって仕方がない。

ニコラウス・クザーヌスは、中世哲学に属する哲学者なのか、それとも近代哲学に属する哲学者なのかという疑問を持ったのは、カントの�狷仔租�宗教�瓩△襪い廊猴�性的宗教�瓩箸いΦ�原がこのニコラウス・クザーヌスにあるように思えて来たからなのだ。

カントは、�牋貔擇瞭仔租�義務を神の命令として認識すべきである�瓩函⊇ゞ気鯆蟲舛鼎韻鬚靴拭�いわゆる�狷仔租�宗教�瓩△襪い廊猴�性的宗教�瓩噺討个譴襪發里任△襦�カントは敬虔なクリスチャンであったことはよく知られているが、そのカントをして哲学において宗教を論じるとき、そこからは一切のキリスト教的啓示信仰を排除することが求められた。

カントの『単なる理性の限界内における宗教』は、カントの哲学的なキリスト教解釈であったが、そこで描かれた原罪もイエスキリストも神の国も教会もすべて�狷仔舛亡陲鼎��瓩發里箸靴堂鮗瓩気譴討い燭里任△襦�

そのカントの哲学的解釈の�狎莇郤圻瓩魯好團離兇世箸い錣譴討�た。スピノザの汎神論もキリスト教から一切の啓示的信仰を排したもの、スピノザの場合は、神から�狄由弊��瓩鯒喀�することによって�狄逝┝�然�瓩箸いΤ鞠阿�生まれて来た。それは、スピノザが自身のユダヤ教という宗教的信仰を国家によって奪われたことに起因すると考えられて来た。

しかしそのスピノザの�猗匿析性瓩皀縫灰薀Ε后Ε�ザーヌスの哲学的思想に起因しているのではないかと考えるようになったのである。ニコラウス・クザーヌの�猗紳个琉戝廰瓩箸蓮�中世における神秘主義的な思想を持ちながら、その反面において近代的な科学的色彩も色濃く持っていたと、園田担氏は論じている。有限者である人間がいかにして無限なる神の存在を思惟するのかというとき、中世における神秘主義的な傾向と、近代における科学的傾向とを共に持ち合わせていたと論じるのである。

そこにはニコラウス・クザーヌの生涯とも深く関わっているのであるが、やはりニコラウス・クザーヌの生涯が如何にニコラウス・クザーヌの哲学的思索に深く関わっていったのかを少し考えてみたくなったのである。そんな観点からニコラウス・クザーヌに関する書籍をまた買い集めている。とくにニコラウス・クザーヌの生涯と哲学的思索との関係に重点を置いた書籍を買いたいと思っているのである。
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